『人類の誓い』について(二)
川崎 幸夫
風信49号 2003年12月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
前回は久松先生自身によつて確立された定式である「『人類の誓い』=『絶対の大道』の『具体化』」を哲学的見地から若干の検討を加えることを試み、まず「絶対」という用語の来歴を尋ねることにしたところ、予想を越える厄介な袋小路に迷込んでしまいました。五月には別の仕事で追われていましたので、こちらの原稿に取組む余裕が生じたのは漸く六月に入つてからのことでしたが、疲労が重なつて脳細胞の活動が著しく殺がれてしまいました。加うるに手許にある資料だけでは不足なので、それを補うためには長年務めていた大学の図書館へ探索に赴く必要を感じながらそれも果すことができず、矢折れ力尽きた感じで中断せざるを得なかつたのです。そのために前回最後の段落で述べたことについては若干の補足修正をしなければなりませんので、悪しからずご諒承下さるよう御願いします。
西洋思想における基本用語の歴史的変遷を辿ろうとする場合に、私だけでなく多くの研究者から信頼を寄せられているのはJoachim
Ritter編のHistorisches Worterbuch der Philosophie(歴史的に展望せる哲学辞典)全十二巻でありましよう。十月の末になつて漸く調べてみたところ
absolutという語だけでも小さな活字で二○頁も記述されております。このように広範囲に及ぶ視野の下で、行き届いた分析がなされているのはヨーロッパにおいては珍しくなく、まだまだ日本の学問的水準や姿勢とは大きな開きがあることを痛感せざるを得ません。さて今述べた辞書のabsolutという項目の初端では大体次のやうに述べられています。「absolutという語はほかの語と結合した多彩な語形や、名詞化してdas
Absolute(絶対者)となつた形を含めて、哲学が始まつて以来、形而上学、神学および認識論上の重要な基本概念となつている。とり分け今日においては絶対者という名詞は、形而上学のほか、経験を超越した一切の立言に身を委ねることを拒否する―それについては語ることができない故に(ヴィトゲンシュタイン)―哲学の判定に則つて、ひとびとは沈黙すべきであるとされている一群の概念に所属しているという観がある。しかしながら、もし人人が絶対者という語にはやはり『偉大にして深遠なる歴史』があるということで一致するならば、そしてまた、もし人人がこの歴史に重要な意味を認めようと欲するのであるならば、ヘルマン・コーヘンが言つたように『この概念の多義性からその根つこ(die
Wurzel)を掘起してみたいという気に自分がならされているのを感知するかも知れない』(H.Cohen,Logik
der reinen Vernunft,S.143)のだ」と。分析哲学の陣営に与みする人人は「絶対者」という概念に暴力を感じて一斉に反撥し、このことは廿世紀後半以降の世界的な潮流ともなつているのですが、そこには一つの語に含まれる多様な意味の中から或る特定の意味を槍玉に挙げて全体を蔽おうとする恣意的態度が先行していることが多いのではないでせうか。コーヘンのいう「根つこを掘起す」術を会得する道は古典を熟読玩味するほかはなく、論理的操作で一挙に片がつくと考へるのは木を見て森を見ざるものと言わねばなりません。このような問題意識に立つて、この辞書においては、古代から現代に及ぶまでの語義の歴史が追跡され、特に近世以降の哲学における用法がかなり詳細に辿られています。
まずギリシア哲学においてはabsolutおよび
das Absoluteに対する正確に等価な同義語は欠如していることが宣言されています。例えばプラトンやアリストテレスにおける
auto kat` hauto(それ自身のみで)とか、haplous(端的に)等はそれに近似した表現とされますが、それは認識や存在の全体を包括する無制約者を意味しているに留り、しばしば
absolutと翻訳されることがある――アリストテレスのproteron
haplos(端的により先なるもの)をコーヘンは
absolutes Prius(a.a.O.s.31)と訳している――にしても、そのことは変りない、と述べられています。
ついで近代語における absolutに対して直接の祖形となつているのは古典ラテン語における
absolutus(adv.)―absolute(adj.)であります。まづそれはローマ帝政期の思想家においては
relativus―relative(相関的・相対的)に対する反対概念として用いられ、この場合には
perfecte(完全に)およびplene(完全に)との同義語として使われます。この時期の用例としてはキケロやセネカなどの作品から若干の引用がなされ、道徳的な問題を叙述するのに使われることが多かつたようですが、前回すでに触れていますので省略します。
キリスト教がローマ帝国に浸透しはじめ、次第に勢力を強めてゆくにつれて、西暦二世紀の末頃からラテン語で著述活動をするキリスト教の思想家が多く現れるようになると、ラテン語の歴史も第二段階に移り、absolutus(adj.)―absolute(adv.)は道徳や人生論の領域から出てキリスト教の神(形而上学的には第一原理)に適用されるようになり、後代における
absolutum(無制約者)に関するすべての規定がこの時期に形成されたといわれます。したがつてこの語が抽象概念に高められて、直接に神と等置されるに到るのは十一世紀にアンセルムスが登場するのを俟たねばならなかつたのですが、absolutusが神の基本的性格を特色づける修飾語として使用されるのはラテン教父の間では極めて早くから開始されたようです。まずグノーシス派反対の急先鋒となつて信仰の非合理性を主張したテルトゥリアーヌス(ca.160―ca.240)の著した『マルキオン論駁』(Adversus
Marcionem)から文例が示されております。マルキオンは二世紀中頃に活動した人ですが、旧約聖書を否定し、グノーシス派の一員と目されました。さて引用文が置かれている第二巻第五章ではマルキオンの輩が『ヨハネ黙示録』(二二・一五)に出てくる「真理の神に向つて吠える犬たち」に譬えられ、「悪魔に囲まれて」加担すると、「対抗者から制約されることのない善なる神を信ずることができなくなり、また(未来のことを)予見し、(対抗者を追払うことができる)力を具へた神を信ずることができなくなる」(absolutum
est et contrario deum neque bonum credendum,neque
praescium,neque potentem:)といわれています。なほこの引用箇所は
Migne編 Patrologia Latina(ラテン教父全集)―以下PLと略す―Tomus2,P.315にあります。次にアウグスティヌスの同時代者で、且つカトリック教会の正典となつた俗語訳の聖書を完遂したヒエロニムスの『エゼキエル書注解』からでありまして、この辞書では「最高善への超越的関係が彼においては明白にされ、それは人間的行為の目標点であるが、その完成は神の許にのみある」と要約されていますが、ヒエロニムスは「良い樹、善い人間、善い…とは一体どういう風にして語られているのか」と疑問を呈したのち、『ルカ傳』一八・一九にある「神のみ以外の誰ひとりとして善い者はいないのだ」(nemo
bonus nisi solus Deus.)という聖句を引用していますが、その際に彼は自らが仕上げた訳文には入つていない
absoluteを補つて、「神のみ以外には、誰一人として無条件に善い人はいないのだ」(nemo
autem absolute bonus,nisi solus Deus.)(PL,Tom.25,P.161)と書いております。この場合の
absoluteは condicionaliterの反対語と思われます。以上の二つの文例からラテン教父の初期の段階では、absoluteはbonus(善い)という形容詞に附随する形で神と結びつけられていて、その用法は大筋においては古典ラテン語の意味を承け継いでいると思われます。
ところがアウグスティヌスの場合には absolutusがキリスト教信仰の在るべき姿を形容する役目を引受けるに到つていると評価されて、そのような用例として『ファウストゥス論駁』より次の一句が挙げられています。ファウストゥスは若き日のアウグスティヌスが大変な影響を受けたマニ教では最も博学とされた司教でありますが、二九才になつて始めて対面することができたアウグスティヌスが大いなる幻滅を味わつた場面が『告白』の第五巻において描かれています。そのために『ファウストゥス論駁』(Contra
Faustum,12.1)から引用された一句には実はキリスト教信仰を馬鹿にする態度が露わであるやうに思われます。彼はキリスト信仰が根拠薄弱なことを説いた上で、「単純で無内容なのがキリスト教信仰である」(simplex
sit et absoluta christiana credulitas.)(PL.Tom.42,P.254)と語つています。この
absolutaをここでは「無条件的」という意味から他の影響を混じえない「純粋生一本」という意味が生じ、更に転じて「空虚・無内容」となつたと解釈しました。しかしファウストゥスの無知を見抜いたアウグスティヌスはこの言葉を逆手にとつて、却つてキリスト教信仰の本質を表明した旗幟に切換え、「純一無雑に徹しており、しかもひた向きにして一切の迷いなきもの」という風に翻へしたのではなかろうかと思われます。更にアウグスティヌスからはペラギウス派を論駁した『自然と恩寵について』(De
natura et gratia,58,68)からもう一句が示されています。彼は恩寵を健康と類比させながら「健康にされた四肢のために感謝するように、その上に何ものをも附け加えることができないほど完全無欠な健康(absolutissima
cui nihil addi possit sanitate)と、神から授けられた否の打ちどころのない甘美さと、まつたき自由を心ゆくばかり享受するために、救われることを求めてわれわれは祈らなければならない」(PL,Tom.44,P.280)という箇所で、ここでは女性形の
absolutaは最上級で語られています。このように信仰や恩寵という神の本性に直結した働きに
absolutusを適用した根柢には、彼が未だ「絶対者=神」(absolutum=Deus)という等式を知らなかつたとはいえ、既に初期の一連の「哲学的対話篇」の代表作というべき『ソリロクイア』において、以下のようにキリスト教における神概念の絶対性を明白に自覚していたからでありませう。即ち「神よ、汝の上には何ものもなく、汝の外には何ものもなく、汝なくしては何ものも存在しない、のである」(Deus,supra
quem nihil,extra quem nihil,sine quo nihil
est.)(Soliloquia,T,1,4)と。
以上のごとき absolutus‐absoluteの神学的な用法に比して、後世の理論的な「絶対」概念の発展にとつて更に重要な意味が含まれているのは、アウグスティヌスを回心に導いたアンブロシウスよりも更に一世代前のポアチエのヒラリウス(三六六または八没)とされます。彼はその著『三位一体論』
(De trinitate)第二巻三四章において、聖霊がわれわれの内で行なう奉仕活動の「すべては唯一にして同一なる霊が働いているのである。それ故に、この贈物の原因をわれわれは了解しており、結果をも了解しておりながら、その贈物の両義性の本質と、その原因と根拠と権能とは完全なものの内に在る、ということを知らない」(Omnia
autem haec operatur unus atque idem Spiritus.
Habemus igitur doni istius causam,habemus
effectus,et nescio quid de eo ambiguitatis
sit,cujis in absoluto sit et causa,et ratio,et
potestas.)(PL.Tom.10,p74)と述べ、この箇所が「完全者における原因、根拠、権能の等値」(Gleichsetzung
von〈causa〉,〈ratio〉und 〈potestas〉《in
absoluto》)と評価されています。この解釈に基づいてヒラリウスの文章に以上のような苦し紛れの訳文をつけてみたのですが、なにしろ急拵えなので、出来映えについては疑問符がはずせません。更にこの辞書ではヒラリウスの同じ書物の九巻六一章(p.330)から、以下の用例が示されています。「神の内には物体的なものはなく、完全なもののみが在り、分節化されたものはなく、全体的で普遍的なものが在る。…全体者としての神は部分から合成されたものではなく、単一性から成る完全な者である」(Et
cum in Deo non sint corporalia,sed absoluta;neque
particulata,sed tota et universa;……dum(totus
Deus)non ex portione compositus est sed
ex simplicitate perfectus est:)と。こういう文章に接すると四世紀中頃の人とはとても思えない高度の思弁が展開されているのに驚きを感じないわけにはゆきません。更にもう一人、五○○年頃に没したといわれる文法学者のプリスキアーヌス・リュルスは
absolutumの適用を神にまで拡張して、「完全者とはそれ自身によつて知解されるものであつて、『神』とか『理性』とかいつた名称との結合を必要とはしない」(absolutum
est quod per se intelligitur et non eget
coniunctione nominis ut〈deus〉,〈ratio〉.)(Solut.2,27)と、まるで盛期スコラ哲学の先触れのような言句を吐いています。この
absolutumなどは存在論的な思索を反映しており、「絶対者」と訳してもよいのではないかという気がするのですが、プリスキアーヌスだけは原典を参照することができませんので、何とも決めかねます。しかし彼の時代はスコラ哲学の鏑矢と位置づける哲学史家もいるほどのボエティウスが出て、論理学研究が高度の水準に達しておりましたから、十二・三世紀の言語論理学に大きな影響を及ぼしたらしいプリスキアーヌスの登場は不思議ではないようです。
今までみてきましたように、absolutus‐absoluteという修飾語は次第に抽象化の過程を辿つてゆき、前期スコラ哲学において普遍概念の存在を肯定する
Realismus(実念論)を代表したアンセルムスによつて、神と直接的に等置されうる普遍概念の性格を具えたものとして周知されるに到つたとされます。彼は教父哲学のように、信仰の立場を前提とした上で聖句の解釈に導かれて神の真理を証明するのには満足せず、あくまでも知性の必然性に立脚して神の存在を論理的に証明することを意図して『モノロギオン』(Monologion)という書物を著しました。その冒頭において、彼は神を「存在するすべてのものの内で、最高なる一つの本性」(una
natura,summa omnium quae sunt)と規定し、それに引続いて、かかる本性は「自らの永遠なる浄福の内に自足している唯一のもの」(sola
sibi in aeterna sua beatitudine sufficiens)であり、且つ「他のすべての存在者に、それらが何ものかとして存在し、また何らかの仕方でそれが善なるものとして存在するということを、自らの全能なる善意を通して授け、またそうさせている」(omnibusque
rebus aliis hoc ipsum,quod aliquid sunt aut
quod aliquomodo bene sunt,per omnipotentem
bonitatem suam dans et faciens)(§1)と述べています。そしてかかる本性の存在について細かく論じたのちに、かかる「最高の本性」は「最高の本質」、「最高の生命」…「最高の大きさ」…「最高度に存在するもの」(summe
ens)(§16)であり、したがつて相対的な在り方を呈する被造的存在者と共通な仕方では実体として取扱うことはできないが、それでもやはり「実体」にして且つ「固体的な霊」(individuus
spritus)(§27)であると規定されます。以上のような帰結を拠所として、二八節の冒頭において「かかる霊は或る種の驚嘆すべき独特な仕方で、且つほかに類例のない驚嘆すべき仕方で存在しており、或る意味ではそれのみが唯一つ存在しているのであつて、他の存在者は、たとえそれらが存在しているように見えていても、それに比較するならば、存在してはいないのだ、と結論されるように思われる」(Videtur…consequi…quod
iste spiritus,qui…quadam mirabiliter singulari
et singulariter mirabili modo est,quadam
ratione solus sit,alia vero,quaecumque videtur
esse,huic collata non sint.)という風に、論理的思惟を尽した末に彼は不可思議な神を仰ぎ見ております。以上のような論証の連鎖をつらねた上で、まるで一切がふつ切れたように彼は「仔細に考察するならば」(Si…diligenter
intendatur,)、「唯一つその霊のみが純一無雑に、完全な仕方で、無條件的に存在しているように思われるであろう」(ille
solus videbitur simpliciter et perfecte et
absolute esse,)と確信を披瀝しております。そして僅か四十二行からなる二八節において、この
simpliciter et perfecte et absolute esseという一句が、「この創造者たる霊」(ille
creator spiritus)に関して実に五回も立てつづけに強調され、更にこの表現形式が被造物には適合しないことを示すために、二回繰返えされているのは、異例なことだといつてよいと思われます。
さてこれはわざわざ断るまでもないことですが、ここで
simpliciter et perfecte et absolute esseとつらねられる最後に置かれた
esseはうつかりすると名詞だと糠喜びしかねないのですが、残念ながらこれは存在動詞であつて、独訳では
ist、英訳ではexistが当てられています。したがつて
absoluteなど三つの副詞は「霊」すなわち「神」の存在の特殊性を表示する役を果しており、その意味においては神と等置されていると判断され得るのですが、しかし未だ実体概念として神と同一視されるところまでは来ていないと考えられます。それにしてもここで七回も現れる
absoluteの用例は常に simpliciterおよび perfecteとの組合せの内に位置づけられており、その順序は変更されても、三者の組合せそのものは変らないことから、三者は基本的には同義語の関係を保つていると見做し得ます。そうするとアンセルムスにおいても古典期ラテン語における
absolutus‐absoluteの語義が依然として継承されていると想定するのが自然であり、アンセルムス全集を校定した
Schmittも absoluteに対して一貫して unbedingt(無條件的・無制約的)という訳語を与えており、このことは一五節と三一節に見出される場合にも同様であります。これに反して、S.N.Deanseによる英訳が
absolutelyを当てており、また二種類の邦訳――長沢信寿訳(岩波文庫)、古田暁訳(平凡社「中世思想原典集成」7)――がともに「絶対的に」と訳しているにも拘らず、シュミットの解釈にしたがう方が妥当と判断しました。しかしこの
absoluteは言葉のニュアンスとしては「絶対的に」とほとんどすれすれのところに来ているといえるでしよう。
以上のように『歴史的に展望した哲学辞典』においては、アンセルムスに到るまでの
absolutus‐absoluteの語義の哲学的洗練の経過を振返つた後に、いよいよ盛期スコラ哲学を代表するトマス・アクイナスの語法を取上げております。まづ最初に「トマスは時折
absolutusを separatus(分離された)の同義語として使用し、その結果として
anima separata(分離された魂)という通常の用語と並んで、anima
absolutaという語が姿を見せている」と述べています。「分離された魂」とは身体と結合した感覚・表象・想像力といつた諸能力から完全に切離された純粋に叡智的な魂を指しており、これが主題的に取上げられている箇所は私も気になつて、前号の際にも創文社版『神学大全』の第六冊を探してはみたのですが、absolutusが「純粋な」と訳されていたことには思い到らず、〆切時間に追われて体力も尽きたので、やや焼糞気味にトマスに難癖をつけるような評言を下してしまいました。そこでこの巻の訳者である年来の友人大鹿一正君に前号を贈つて軍門に降つたところ、案の定手厳しい叱正が舞込みました。私が「absolutusはトマスの哲学用語のなかでは片隅に追いやられており、極く目立たない端役を当てられているだけ」と書いたのが逆鱗に触れ、トマスの知性論のみならず、プロクロスや偽ディオニュシオスから後代のエックハルトやクザーヌスに到る思弁的神秘主義に接続する局面で重要な役割を演じた分離霊魂を考察した箇所と取組みながら、苦心の名訳を搾出した辛酸を無視するとは何事かというわけです。そこで急遽大鹿君から郵送されてきたデフェラーリの大型版『トマス辞典』(Thomas
Lexicon)に目を通すとともに、本文の方も読み返してみました。この巻はトマスの思弁的能力が最高度に発揮された箇所ともいえ、加うるに
absolutusが abstractum(抽象された)や separatum(分離された・離在的)という形容詞ともほぼ同義語として、密接に結びつけられています。それらの用例の内で、absolutus‐absoluteが続けて出てくる第七五問題第三項の用例が比較的理解しやすいので、そこを取上げることにします。
第七五問題の題目は「霊的実体と物体的実体から成る人間について――ここではまず魂の本質に関すること」(De
homine,qui ex spirituali et corporali substantia
componitur. Et primo,quantum ad essentiam
animae)という長たらしいもので、魂とは此世に生を享けたものの内における生命の第一根源(primum
principium)であることを確認した上で、まず魂は物体ではないということを説いております。つづいて人間と動物の魂の比較を行なつたのちに、第五項においては「魂は質料と形相との複合体であるか」(Utr
um anima sit composita ex materia et forma.)ということが問題にされ、「魂は質料をもたない」ことが主張されます。まず一般論として形式化して表現しますと、「何ものかの内に受容されるものはすべて、(それを)受容するもの(recipiens)の在り様(modus)に応じて、そのものの内に受容される」ということは自明的であります。このことを認識の場に当嵌めるならば、(認識とは)認識されるものが(それを構成する)質料と一緒に認識するものの内に在るというのではなく、「そのものの形相が認識するものの内に在る、という仕方で行なわれるのである」(Sic……cognoscitur
unumquodque,sicut forma eius est in cognoscente.)ということになります。その上で、叡智的魂anima
intellectivaが形相と質料の合成体としての或る事物(res)を認識する場合には、質料を一切除去して「純粋にその本性において」(in
sua natura absolute)認識するのです。例えば叡智的魂が石を認識するという場合には、「叡智的魂は純粋に石である限りの石(lapidem
inquantum est lapis absolute)(=石の形相)を認識する」のであり、「それ故に石の形相は、その固有の形相的本質に即して(secundum
propriam rationem formalem,)純粋な仕方で(absolute)叡智的魂の内に存在する」ことになり、このことを更に簡略に表現したのが「知性は純粋な諸形相を受容する」(intellectus……recipit
formas absolutas.)という一句であります。
しかしながらここで身体から分離された叡智的魂が「他の離在的諸実体」aliae
substantiae separataeを認識することは如何にして可能かという困難な問題が生じます。トマスはこれについては同書八九問題第二項において、アウグスティヌスの『三位一体論』第九巻を拠所として次のように説いております。即ち魂は身体と一つになつている限りは、自己を表象に向けることによつて知性認識するほかはなかつたが、一旦、身体から分離された暁には(cum
fuerit a corpore separata)、自らを表象に向けることによつてではなく、それ自らに即して覚知され得るもの、即ち叡智的に直覚され得るものに自身を向けることによつて(convertendo
se…ad ea quae sunt secundum se intelligibilia)、叡智的に直覚することになる」ということを示し、かくして分離された魂は「自己自身を通して自己自身を叡智的に直覚する(seipsam
per seipsam intelligit)」と説いております。しかし「分離された魂の実体の様態(modus
substantiae animae separatae)は天使の実体の様態よりは下位のものであるが、ほかの分離された魂の様態とは相似的(conformis)である。したがつて他の分離された魂(=人間の魂)については完全な認識を持つているが、天使のそれについての認識は不充分でしかないことになる。以上のことは分離された魂の自然的な認識について語る限りにおいてである」と附け加えております。かくしてabsolutusという語はseparatusという語と連繋させられることによつて、叡智的魂による認識を成立させる鍵となつていることが明白となりました。
ところで話の順序が逆になりましたが、人間の叡智的魂が質料的物体的な事物を認識する場合を扱つている第八五問題第一項においては、人間の叡智的魂は「物体的質料の内に個的な仕方で存在している形相」を「表象から抽象することによつて」(abstrahendo
a phantasmatibus)認識すると述べられています。ところでこのabstrahere(抽象する・切離す)ということは「われわれが一つのものを知性認識する場合にはそれ以外の事柄については何ら考慮に入れない」という意味で語られているのであります。例えば林檎(pomum)の特性を考える場合に、「その色がその色で彩られた物体(=林檎)の内には存在しないとか、そうした物体からは分離されている」(colorem
non inesse corpori colorato,vel esse separatum
ab eo,)のだと解してはならないのであつて、「個別から普遍を切離すこと、乃至は表象から可知的な形象を切離すこと」(abstrahere
universale a particulari,vel speciem intelligibilem
a phantasmatibus,)と受取らねばならないとされます。そのことをトマスは「単純且つ独立的な仕方で見るという方式によるもの」(per
modum simplicis et absolutae considerationis)と呼んでいます。以上の用例に拠る限り、知性認識が現象界に向つている場合には、absolutus(独立的な)は抽象化の作用を表示するabstrahere―abstractusと密接な連繋を保ちながら語られていることになります。
今まで見てきましたように、トマスにおいては人間の叡智的魂の認識作用の特質を明らかにするために、absolutusという語が「純粋な」とか「独立した」という意味で重要な役割を演じたことが浮び上つてきたのですが、このような用法は前号の五頁で提示した動詞absolvoに遡つて説明した原義を更に洗練させたものと言えるのではないかと思います。「遠去ける、離れる」を意味する前綴語のab‐と「解体する、解除する、分解する」を意味する動詞solvoから合成されたabsolvoの完了分詞から転用された形容詞であるabsolutusが身体から分離された魂に適用されると、不純物・異物(=感覚・表象・想像力)の除去が完成された情態を表示して「純粋な・混り気のない」ともなり、「独立した」という意味をも擔うことになつたのです。かくしてabsolutusという語によつて質料性と非質料性との間の次元の差が明確にされることが可能になつたのであり、またトマスにおけるabsolutusの最も特色ある用法として評価されうるものと思われます。なお『歴史的に展望せる哲学辞典』においては、absolutusがseparatus(分離された)の同義語として用いられた場合以外にも、relative(関係的・相対的)およびsub
condicione(條件の下で)の反対語とされた場合、simpliciter(単純に・端的に)との同義語として用いられた場合についても説明されていますが、これらについては前回に採上げていますから、省略することにします。
トマスにおけるabsolutusの用例を検討しながら中世哲学一千年の歴史を振返つてみますと、absolutusという語はローマ帝政期において人間の道徳的善に適用される語であつたところから出発して、ラテン教父の時代に入ると只管神信仰の在るべき姿を示す語へと転用され、次第次第に神の存在を修飾する形容詞を目指して、アンセルムスにおいては神の存在に等置される実体概念の地位を獲得する直前に迫つたのでありますが、トマスにおいては人間の叡智的魂の活動やその在り様に限局されるに留まつたと言わねばならないでありましよう。
しかしそうすると「キリスト教哲学」としての中世哲学は神の人格性や秘義性を守護して、「神=絶対者」という概念化された図式を拒否し抜いたために、ラテン語のabsolutusが本来的な意味で「絶対的」という意味を獲得したことはなかつたのであろうか、とやや途方に暮れる感を生じさせるかも知れません。しかし『歴史的に展望せる哲学辞典』はトマスの次に一五世紀の哲学者ニコラウス・クザーヌスの『無知の知について』(De
docta ignorantia)において、神が「絶対者」として意識的に主題化されたことを告げております。そして或る意味において神が遂に思弁的理性に屈し、「絶対者」das
Absoluteとして定式化されたのは更に四世紀降つたシェリングにおいてであることも明らかにしていますが、今回はこの辺で中断することにします。
(つづく)