二00二年夏 ティルテンベルヒで(二)

石川 博子

風信49号 2003年12月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)



 前の号(『風信』四八号)に掲載した「TEZ / FASリトリート --- Meditation and Mysticism(瞑想と神秘主義)」のプログラムが終了した後、引き続いて同日の夕方から、私が担当させて頂いた次のプログラム“Calligraphy -- Blush Meditation”(「書道…筆による瞑想」)というワークショップが始まった。

 当初、私は、この書道のワークショップも「TEZ / FASリトリート」の一環として開催されるものだと思っていたので、リトリートへの参加者の中で希望する人が、引き続いてこちらにも参加するものと理解していた。それで、東洋の宗教や精神修養に関心の深い方々の集まりになると思っていたので、東洋の伝統文化の一つである中国・日本の書道が、その根底で禅の瞑想と深いつながりをもつ精神修養性の高いものであることを、ワークショップでの実作体験を通して、理解して頂けたらと考えていた。そのような思いから、このワークショップを「書道…筆による瞑想」というテーマで進めようと決めていた。しかし、実際向こうに行ってみて初めて、このプログラムが「TEZ / FASリトリート」からは独立した催しとして企画されていて、参加者一五名中一三名は、必ずしもこれまでに坐禅体験を持っていたり、禅や瞑想に深い関心を寄せている訳ではないということがわかった時、自分のテーマ設定に多少不安を感じた。けれども、結果的には、受講した方々が皆、東洋の書道や水墨画に大きな関心を持っていらした上に、自分の生活の中で絵画やその他の美術、詩作、音楽等にかなり深く関わっていて芸術的素養が高く、〈精神性と表現性〉という観点から、私の掲げたテーマをよく受け止めて下さったように思う。ワークショップ開催期間中は、オランダとしては異例といえるような酷暑の三日間であったにもかかわらず、全員が極めて意欲的で熱心に取り組んで下さり、最終日に全プログラムが終了した時には、私の心は驚きと歓びと感謝の気持ちで溢れていた。


 前号の記事でも多少触れたが、ここでもう一度、このワークショップの開催が実現する迄の経緯を、少し述べてみたい。二〇〇一年夏に、ティルテンベルヒで催しものの企画を担当しているマインデルトさんから、私のところに、一年後の二〇〇二年夏ティルテンベルヒで「TEZ / FASリトリート」を開催した後に、書道のワークショップを実施したいので担当して貰えないかという話があり、しばらく考えた後、引き受ける決心をした。その時点から実施の時迄約十ヶ月程の準備期間があったので、その間に、テーマを決め具体的な内容を考えた上で、上限人数一五人分のお手本と各種の資料作りをし、人数分の書道用具や材料を日本で調達して、開催時期の一ヶ月前位迄にティルテンベルヒへ送るという予定を立てた。テーマの設定と内容の検討そしてテキストの準備には、担当を引き受けた直後から取りかかり、試行錯誤しながらゆっくり準備していった。先ず、書道についての基本的な概念を英語で説明するのと実技指導を英語で展開する上での参考にする為に、書道について英語で書かれた本を捜し求め、日本人の書家が書いた基本的なものを一冊と、長く日本に滞在して書道を究め続けているイギリス人の書家が書いたやや専門的な一冊とを購入して、外国人を対象にして英語で展開される書道のワークショップに必要と思われる知識と言葉の準備に入った。一方で日々の仕事に追われながら、手に入れた書物から必要と思われる部分を読み進めて、参加予定者への配布資料を作って人数分をコピーしたり、自分がこれまで学んできた中国や日本の書論と読み合わせて、自分用に英文で解説資料を作ったりするのには、かなりの時間がかかった。書道用具の調達には、渡欧予定の五ヶ月位前から東京の大きな書道用品店を巡り、筆・紙等を幾種類か買い求めては自分で試してみた後、実施の三ヶ月前頃から人数分に多少の予備を加えて、相次いでオランダへ送り始めた。お手本と書道の基本的知識についての英文資料のコピーも作成し、人数分に余裕を加え、航空便で発送した。結局、合計五個ものダンボール箱を次々にティルテンベルヒへ航空便で送ったことになり、受け取る側のマインデルトさんは、初めびっくりしたようであったが、自分の執務室に大切に保管しておいてくれた。船便は時間がかかるのと到着時の荷物の状態に不安があったので、送料は高いが航空便で送った。私が現地到着後、直ちに荷を解いてそれらの品々を点検し、何一つ損なわれていないことを確認した時は、先ずは一安堵であった。


 プログラムが始まる前、参加者名簿を頂き、受講者は上限の一五名に達し、女性一四名・男性一名であることがわかった。この一名の男性は、奥様と共に参加しておられ、お二人で水墨画教室を開いているという方々であった。こうして、参加者の殆どは女性であり、年齢幅は二十代から六十代に亘っていたように思う。三日間ワークショップが進んで行く過程で次第にわかったことであるが、受講者の中には、先程述べた水墨画を専門にしているご夫婦や、水墨画と西欧的絵画表現とを融合させようと試みている画家の方、詩作とスケッチと音楽を合体させた芸術活動をしている方、オーケストラで演奏活動をしている傍ら書道の体験もかなり積んでいるらしい人、社会福祉の仕事をしているが東洋の書道にとても興味があると話してくれた人、又脳梗塞で倒れたあと漸く手の自由が回復したので、何か社会参加をしながら気持ちの安定を図りたいので参加したと語ってくれた人もあり、実に様々な経歴の方々が来ておられた。私の友人で精神科医のアデリーンさんも参加してくれた。このアデリーンさんともう一名の若いもの静かな女性は、前のリトリートから引き続いて参加して下さり、お二人は最初から書道に対して禅との繋がりの上で深い関心を寄せている様子だった。また、このワークショップのアシスタントを務めてくれたグレータさんも、ティルテンベルヒで瞑想の指導を担当している傍ら、自分で独特な水彩画の制作に携わっている人であった。日本を離れ、外国の方々を対象にして、書道のワークショップをするのは、私にとって初めてであり、勇気のいる試みであったけれど、ティルテンベルヒの気持ちの良い施設内には、いつも清浄でゆったりした空気が行き渡っていたお陰と、加えて、この様に多彩な顔ぶれの受講者が見せてくれた熱心な志に支えられ、私は、終始伸びやかな気持ちでこのワークショップを進めることができ、最後は充足感と喜びを持って終えることができた。ティルテンベルヒは、企画担当の方々や参加者の方々と常に気持ちの好い交流がなされる場であった。


 次に、私がこのワークショップを引き受けるに当たって抱いた抱負、掲げたテーマ、そしてそれを展開した三日間の実際の様子を記したいと思う。書道に対する考え方は専門の書家の間でも様々に分かれるものと思う。私は、書道を専門にしているわけではないが、私にも書道に対する自分なりの求め方があった。そして、それは書道との最初の出会いで、方向を決定されたように思う。その初めての出会いについては、拙著『覚と根本実在』の「あとがき」に記したように、大学で選択した「書道」の授業で、担当の先生が書を書かれる姿に接した時であった。その姿には、言いようのない厳しい緊迫感の中に不思議な程の静けさがあって、その時の時間が静止したような静けさの中で、手に握られた筆のしなやかな筆鋒(筆の先)が、一瞬ごとにまるで書き手の魂が乗り移った命あるもののような動きを見せて、間髪を入れぬ連続性を以て紙上に躍動したかと思うと、真っ白い紙面に変化に富んだ黒い墨の形がピタリピタリと定着していく様を、目の当たりにした時であった。この様に、私が書道への入り口で出会った感銘は、書かれた書を鑑賞して受けたものではなく、書道を為す時の書き手の姿と、筆鋒の躍動による一瞬毎の創造性、そしてそれが間髪を入れず紙上に定着されて空間的な形をとって行くことへの驚嘆であり、言い換えれば、書を為す人の書を為している時の身心統一状態の深さからくる創造性・表現性の確かさというものに、由来していたのであった。私は、大学を卒業してから、この様な形で書の世界へ導いて下さったその先生に師事し、先生が所属する書道団体にも加えて頂いたが、やがて、この会の創始者である故田邊古邨先生(東京学芸大学名誉教授)の書道論に出会うことになった。そして、その田邊先生の書道観・書道芸術論が、私を、西洋の造形芸術とは異なった東洋的な独自性を持つ書道に、一層惹きつけてくれた。田邊先生は、東洋芸術の本質や書道の真髄を、例えば、次のように語っておられる。「東洋の芸術には救いがある。何故なら、東洋人(特に日本人)は「自我」を否定する方向に向かうからである。自我を否定し意識を捨ててゆこうというのが東洋の芸術の方向なのである。老子や荘子、インドの仏教における、無とか空がその方向の極である。自我の意識を捨て去り、自然と人間とが一体になり、無意識になったところに芸術の発生する「源」を見るのである。……書にも同じことが言える。書は、決して西洋流の苦悶(筆者注・西洋の芸術表現がめざしている自我の欲望の解放に伴い、自意識が肥大していくところに現われる自己矛盾・自家撞着という苦悩)の象徴ではない。又感情を無理に内面からしぼり出すというものでもない。西洋のイクスプレッションには、内にあるものを、無理に押しだして人の共感を得ようという言葉のイメージがあるのだが、それに対して、日本の表現はそうではない。内心の気持を、表現形式によって調えるのである。内心の気持ちは、言ってみれば、そのままで非存在であるが、確かに心がある方向に傾いているのであり、動いているのである。そういう内面の気持ちを形式によって整理し鎮めてゆくのである。激しくゆれ動く感情は「形式」により調えられ和らげられて静かな落ちついた感情、すなわち情緒に変えられてゆく。そしてしみじみとした感情に一人ひたれる。孤独の中に静まった心を味わえる。そのような情緒の積み重ねは、やがて一人の人間の心境となり、境涯となって、一本の或る持続した生の流れとなる。そしてそれは無につながってゆく。」(森高雲編著『田邊古邨自伝・談話録』より)私が、久松真一先生の書(毛筆の書作ばかりではなく、ペン字の書簡や葉書その他の筆跡も含めて)に接するたびに、そこで出会うものは、まさに田邊先生がここで語っておられるような、初めに強く激しい感情があり、それが「形式」により厳しく調えられて深く豊かな静けさを得、そこを源泉として溢れ出て来る自由な動勢・創造性に満ちている姿、言い換えれば、原初の荒々しい生の感情が「形式」により律せられて落ち着いた情緒に調えられ、しかも何ものにも束縛されないで自己本来の統一あるダイナミックさを持つ姿であった。更に、久松先生の数々の書作や書簡等をずっと追って拝見すると、紛れもなくそこには、田邊先生の言葉のように、それが「一人の人間の心境となり、境涯となり、一本の或る持続した生の流れ」となっていると思われる姿があった。上掲引用文での田邊先生の冒頭の言葉「東洋の芸術には救いがある」から末尾の「それは無につながっていく」という言明を一直線に貫いている先生の東洋芸術論は、東洋の芸術は、我々の内にある原初の荒々しい生命や生(ナマ)の感情をただ吐き出し解放することに表現性の意味を見るというより、そのように熾烈に炎を噴き上げる激情や内的混沌を抱えればこそ、人は、それを鎮め調える「方向性」とそこに至る「道」というものを表現世界・表現形式に求めるのであり、東洋の芸術はそのような「道」としての意味合いが深く、それが目指す「方向性」は「救いへ」であり、それは終局には「無へ」の方向である、というものである。ここには、西洋の芸術論に対置させて、東洋の芸道思想の独自性が語られている。このように、技芸の道を通して境涯を磨くという東洋の芸道の伝統には、究極的に「救いへ」・「無へ」という方向性が在り、それが東洋芸術の本質を形成しているという見解を示した上で、先生は、書道もそのような意味での芸道の一つであると、述べておられるのである。田邊先生のこの東洋芸術論・書道論は、久松先生の「芸道」や「禅と諸芸」などに見られる「無」を根底に置く禅芸術論(『著作集第五巻・禅と芸術』)と相通じる。久松先生ご自身の書の鍛錬は、田邊先生の謂う〈技芸の道を通して無へ〉というより、修禅により「無」へ体達したあとの悟後の修行〈無からの修行〉として為され、禅の修行と書の鍛錬とはまさに一元的であり、日常の一つ一つの所作において禅が究められていったように、それが先生の書道にも現われ、同時にまた書の鍛錬そのものが禅の修行となっていたのだと、思われる。書道は、茶道と並び、久松先生にとっては禅を露わにするという意味での技芸の道、即ち芸道であった。田邊先生が説かれたような、そして久松先生のお姿に見るような、書禅一元に至るような書道を、ヨーロッパの方々と実践を共にしながら模索し、お互いに日々の自分の在り方を顧み、その底に在る尚一層奥深いものを辿り行くきっかけにすることができたらというような思いが、二年前アデリーンさんが我が家を訪れ二人で坐禅をし書道をした際、かすかに私の心に生じていた ……それが、今回私がティルテンベルヒでヨーロッパの方々と書道のワークショップをしてみようと、最後に決めた時の心の動きであり、抱負といえば言えるかもしれない。

 そんな思いを心のどこかに持っていたので、多少大それた言葉とは思いながらも、ワークショップ全体のテーマを、「筆による瞑想」という形で表した。ここでは、東洋の書道に対して、西欧の人々が、書作の実際の姿をよく理解しないで、鑑賞者の立場でのみ書道を観ようとする場合によく陥りがちな、西洋美術の絵画やデザインのような造形芸術と捉えることを止めて、書道の本質は、書作をする人が、身心を統一させて、筆鋒(筆の先)に意識を集中し、呼吸と間合い(リズム)を以て筆を扱い、一点一画に筆鋒を躍動させながら、自らの心情や思いを表わす文字・言葉・文章を墨の黒色で紙上に表現してゆくという点にあり、時間的な動きをベースにして形を創造し、それを通して究極的には目には見えない「韻」や「気」を露わにする(〈表す〉というよりは〈露わにする〉即ち〈自ずから現われ出でさせる〉)というような芸術であるという点に、先ず受講者の注意を喚起したいと思った。東洋の書道で用いる筆の特徴は、鋒(筆の先)が各種の獣毛で作られた柔らかな弾性をもっている点にあり、書く人は、筆で文字や言葉や文章を書きながら、そのしなやかな柔軟性と弾力とに託して、自分の雄大な気宇や繊細な感情をその一点一画に露わにしていくのであるが、その時、刻々に揺れ動く生(ナマ)のままの感情や散漫な気の流れは、書き手の、穂先に意識を集中して筆をコントロールしていく技によって、調えられ鎮められた象(かたち)をとって現われ、同時に書き手の側にも、技の力によって調えられた、身心統一の静謐感が満ちてくる。逆に、その柔らかい筆の穂先は、筆を扱う技が拙ければ、書き手の刻一刻の心の動き、例えば、一瞬のたじろぎや、気の弛み、気の逸り、気の淀み等々を、そのまま露わにしてしまい、書き手の身心状態を更なる混乱に陥れる。田邊古邨先生の書道観が、用筆法(筆鋒の扱い方)を書道の要とし、用筆法を鍛錬することは、「道」を得ることである、とする所以は、ここにある。私の師が揮毫されたものに、「我愛筆、筆正我」(「我筆を愛し、筆我を正す」)という扁額があるが、書道に対するご自身の感慨を述べられた言葉である。先生は、どんな古い筆をも愛おしみ、筆は一本の毛先まで、墨は最後の一滴まで、大切に扱われ、全てを活かして使われた。先生の書道用具は、常に清められ、手入れが行き届いていて、先生も書の道具一つ一つの心を、道具も先生の心を知り抜いているかのようで、その物我一如が、先生が書を書かれる時には全一的に露わになるのであった。私が大学時代に、最初に先生が書を書かれる姿に接した時、あれほどの驚嘆を呼び覚まされた陰には、技の鍛錬を「道」として歩んで来られた先生のそれまでの長い年月があったのだ、と今にして思う。田邊先生の門下におられた先生の書道には、西洋的発想の芸術に携わる姿勢とは趣を異にする、東洋の技芸の「道」を究める人の姿勢があったのだと、今にして思う。正味三日間という短期間の、しかも文化背景を異にするヨーロッパの人達とのワークショップで、私たちが、何程のことを達成できるかは別にして、志ばかりは今述べたようなところにおいて、書道に取り組んでみようと思った。用意したお手本に従って、筆法(筆の扱い)と章法(紙面上の配置・構成)の鍛錬をしながら、書道に熱中し無心になっていく中で、筆・紙・墨と自分との一体感や、筆の扱いの鍛錬に集中しながら身心の落ち着きや統一感を、そしてそこから横溢してくる自由なしかし秩序ある創造を生み出していく解放感を、少しでも体験し合えたら、という気持ちであった。

 外国人の方々が、余り馴染みのない日本語の成句や文章を書くことは難しいと思ったので、書作としては漢字の一字書きを試みることにしたが、外国人にも形・筆順・筆路がわかりやすく、しかも宗教的に深い意味をもっている文字を選びたいと思った。それで、「心」と「無」を選んだ。「心」は心臓を表す象形文字で、最初に入るには形も筆順もわかりやすく、深い意味背景を持っている。又「無」は東洋的・禅的な宗教の真髄を表わしている漢字であり、古来禅の墨蹟にも一般の書道史上にも、この文字を書いた多くの優れた書が残されている。この二つの漢字は、それぞれを一字書きにして作品を作ることもでき、また二文字を併せて「無心」という言葉として書くこともできる、等々の点を考え併せて、正味三日間の書道ワークショップでの取り組みには、適切ではないだろうかと考えて選んだ。

 この期間、ティルテンベルヒでは、私の書道と、オランダ人の芸術家ルーディ・ファイエンさんが担当する、自然空間へのイメージの創造に取り組むグループのワークショップとが、平行して行われることになっていた。プログラムが始まった七月二八日の夕方、夏の美しい夕陽を受けながら、中庭に椅子を出して、二つのグループが一緒に集い、自己紹介をした後、最終日には再び合流して、それぞれが開催するエギジビションを互いに鑑賞し合って成果を楽しもうと約束して、お互いの健闘を祈りながら、その日を終了した。

 翌二九日、ワークショップの実質的な第一日目が始まった。この日は、先ず午前九時の開始と共に、各自の席を決め、書道用品・用具とお手本や書道について英文で書かれた資料を一綴りにしたものを配布した後、書道への導入として、筆・墨・紙の特質からくる書道独特の表現性・芸術性について語り、続いて道具の配置・書作の時の姿勢・筆の持ち方・墨の含ませ方等へ話を進めた。それから、書道の要である用筆法の基本について話し、縦画・横画等の基本的な数種類の 点画を実際に練習する段階に入った。その後、休憩を取り、午前の後半では、「心」という漢字の行書体のお手本を取り上げ、この文字の持つ意味を紹介し、形・筆順・筆の扱い・手と身体の動き等をよく観察して貰うように実技を示した後、暫く自由にこの練習に取り組んでもらい、午前の部を終わった。昼食後、午後の部の最初には、引き続き「心」の練習を再開した。練習の途中で、午後の最後の時間帯に「心」を作品として書いて貰うことになると伝え、書道では、白い紙を前にしたときの身心の極度の緊張感を、どのように解放して書作に入れるかが、一つの大きな課題であると話して、練習段階から身心を鎮め調える工夫を意識的にするようにと、各自に声をかけた。又、ここ迄は、半紙を用いて筆を扱う練習を自由にしてもらっていたが、作品として仕上げる時には、〈配置〉も作品の出来映えの重要な要素となるので、お手本が書かれているのと類似の扇形の和紙を練習用と作品用の二種類を数枚ずつ配布し、次第に用筆法と章法(構成・配置)の両方に注意を向けた練習をするように方向付けて、最初の作品を作るのに備えるようにした。休憩後の午後後半では、作品用に配布しておいた扇形の和紙に、自分の身心状態と技術とが調った頃合いをみて、各自に「心」の書を制作してもらった。こうして、その日の作品が仕上がったところで、一日目を終了した。

 ワークショップの間は、本当に暑い日が続いた。第二日目の朝は、前日以上にからりと晴れた夏空が広がり、朝から気温が上がり始めていた。この日は、午前の前半に、中国における漢字の歴史と書体の歴史について英語で書かれた資料を配付し、それを読み進めながら、中国における漢字の起源や五体(篆・隷・草・真・行)表記の発達の歴史と書道の歴史について学んだ。そして、昨日取り組んだ「心」という文字は、心臓の形から出来上がった象形文字であり、その形と意味の繋がりがわかりやすい例の一つであると指摘した。更に、この「心」の五体、即ち篆書・隷書・草書・真書・行書での表記を具体的に示し、前日私たちが手本としたものは、「心」の行書体であり、この行書体は、真書体のような正体の形をほぼ残したままで、しかも草書体に見られるような筆の勢いを表し易い書体であることを説明した。書道では書かれた文字の姿形に筆意・筆勢が漲っていることが肝要なので、私たちの書道の取り組みも、この行書体から入ったという点を話した。そして、書道の歴史は、表記体の変遷・筆記用具の変遷や美意識の時代から時代への移り変わりなどと、相互に深い関連を持ちながら今日に至っているという話をした。

 休憩の後、午前の後半に入った。前半が講義的な形で知識を取り入れることに終始したので、次第に筆を持って書きたいという皆の気持ちが高まっている頃と思い、ここで、書道技法の習得上欠かせない「永」字による八点画の練習を取り入れ、更に多様な用筆を学ぶ機会を作った。先ほど用いた英文の資料では、漢字の五体の変遷が「永」の字を例にして図示されていて、しかもその後にはこの字を用いた八種の用筆練習(いわゆる「永字八法」)が、英文の解説付きで図解されていたので、その資料に沿って八種の筆法を一つずつ解説しながら、実際に書いて示した。‘Eternity’という意味を持つこの「永」の字には書道のベースになる基本的な八種類の点画が含まれていて、伝統的に書を学ぶ者の必修課程のように考えられているものなので、ここに集まった受講者にも、多少それを紹介したいと考えて導入したのであるが、「永」の字に含まれる八種類の多様な点画が要求するそれぞれ異なった筆の躍動と呼吸・間合いを、受講者の皆さんがとても真剣に観察し、それを自分の筆で再現しようと集中している様子は、こちらの予想以上に熱心なものだったので、圧倒されるような感じがした。あの時は、真昼近くになり、外の太陽光線が熾烈さを増して、室内もひどい暑さが身に応えていたのに、と今思い出しても驚嘆の気持ちが湧く。「永」が‘eternity’という意味を持つことや、先に紹介したこの文字の五体(篆・隷・草・真・行)がいずれもほぼ左右対称的で均衡がとれ、しかも全方向に限りない伸び広がりを感じさせる美しい姿であることも、皆の芸術的感性・表現性をとても刺激していたようだ。しかし、時間に限りがあるので、これに予定以上の時間を割くことはせずに、この「永」字による八種の点画の練習は午前中で終わりにした。

 二日目の午後の前半では、暫くの間、昨日から今日の午前中迄に習ったことを、各自が自由に復習するための練習時間に当てた。様々な点画を半紙に自由に練習したり、これ迄に学んだ「心」と「永」とを何度も繰り返して練習したりしながら、筆のもつしなやかな弾力と墨色の濃淡が潜在させている表現性を感じ取ってもらった。この頃になると、書道や水墨画を本業にしている方々や、或いは既に趣味的に楽しんだりしている何人かの方々は、配布してあった他のお手本にも取り組んだりして、どんどん自分なりの練習を進めていた。又、初めてという受講者の間では、逆に一つのお手本を実に慎重かつ真剣に、繰り返し繰り返し学んでいる姿が見られたが、どの人の様子からも、もうかなり筆の扱いに慣れ、興が乗って来た雰囲気が充分に伝わってきた。ワークショップのこれ迄の段階では、基本的な用筆を先ず習得し、「心」や「永」のような深い意味合いをもつ漢字一字を、お手本に従って書いてみようと試みたわけであるが、最初から特に注意を引いておいた点が、用筆における呼吸と静・動の間合い(リズム)の取り方、そして一貫した気の流れを筆に乗せて筆鋒を活躍させるという点である。それは、言葉による説明から直ちに会得するのは難しいかもしれないが、私が実技を示すときによく観察して貰い、あとは自分で練習と実作の経験を積み重ねて、徐々に体得して欲しいと伝えて、この段階を締め括った。

 その日の午後から始まったワークショップの後半では、これまでの基本で学んだ用筆法を生かし、最終的に「無」の一字書きの書作をすることを、目標においた。そして、ここで初めて、最初に坐禅・瞑想をして身心を調え、その後にプログラムに入った。坐禅・瞑想によって身心を静寂な状態に調え集中力を高めることが、書道の鍛錬にどのような効果をもたらすかを、各自に感じ取って貰おうと思ったのである。次に、これから書こうとしている「無」という漢字の意味と五体(篆・隷・草・真・行)を示し、更に、この「無」という言葉と文字が、東洋の宗教思想、特に禅仏教の伝統の中で担ってきた意味について語り、その経緯から、この文字・この言葉は、中国と日本の歴史上では、特に宗教者、中でも禅僧や禅的な志向をもつ書道家の名だたる人々によって書かれ、優れた墨蹟や書作が数多く残っていることを、語った。そして、禅僧の場合には特にそうであろうが、書家が試みる場合でさえ、この文字を揮毫する時には、芸術的な意識でというよりは、その人の全境涯を一気にそこに露わにするという思いで書かれているように私には思われるし、「無」を書いた多くの優れた遺墨・墨蹟はそれを証しているように思うと、自分の感想を述べた。更に、書道における技法の錬磨は、筆鋒に意識を集中させてやがて無心に至る一種の瞑想に通じる道であり、それ自体が書き手の境涯を磨くための道であると思うとも、述べた。その後で、今回手本に選び配布しておいた、日本の書道史に残る四人の書家や禅僧の手になる「無」の一字書き四種類の書を紹介した。その四人とは、大燈国師・白隠禅師・會津八一・中野越南である。そして、それぞれの「無」の書を、簡単な人物像の紹介と共に、解説した。大燈国師の「無」は行書的、會津八一の「無」は形態・筆勢の上で隷・真・草を自由に取り入れながらのオリジナルな書、白隠と中野の「無」は草書である。この四人それぞれの「無」の書にどのような特徴を見てとれるであろうか、人は何をそこに感じるであろうか・・・・・・力動・迫力・重厚さ・緊迫・硬質・鋭気・繊細・横溢・優美・洒脱・素朴・無作為、等々、書道文化の伝統を持つ日本人に対して、これらの書が与えてくれる風趣・気韻といった深い味わいを、東洋的な書道文化を背景に持たない西欧の人々も感じ取り、理解してくれるだろうか。少なくとも、二日間のワークショップの過程を経て、自分自身が書道を実践的に体験したこのグループの人々は、毛筆で書かれた書が、西欧の絵画やデザインの造形性とは異なり、書き手の一瞬の気の流れ、呼吸、身心のリズムが筆鋒に乗り静・動の力動となって線質に現われた形であり、そこに漲っている生命感や芸術性は、西欧の絵画芸術のそれとは異質なものであることを、理解し始めてくれているのではないだろうか、そんな思いを抱きながら、私は、少し沈黙して、四種類の「無」の一字書きをコピーして作ったお手本に、じっと視線を注いでいる受講者達の様子を窺った。暫くして、また話を続け、それぞれのお手本について、どのような用筆がそれを生んだのか、筆と書き手が一体となってのどのような動きが、そこに見られる単純明快で重厚な線や、複雑な情感を含んで軋み渋るような一点一画などを生み出したのか、どのような心の動きが一瞬のうちに一つのバランスある形を定着させることができたのか、とそのようなことを語りながら、四種の手本の「無」を私なりに書いて示すことを試みた……名筆を模することは、極めて難しいことであったが、共に学ぶという気持ちで、やってみた。その筆順、筆路、筆速、筆圧のコントロールの様子などを充分観察し感じ取って欲しいと語りながら、私が同じ書をそれぞれ二回ずつ書いて、観察して貰った。その後、今示した筆の動きを思い起こしながら、暫く自分が書きたいと思うお手本を自由に練習してもらうことにした。こうして暫く練習を続けて行く中で、私は、自分が作品に作りたいと思うお手本を徐々に一点に絞って行くようにという指示を出した。この日、朝から気温が上り続けていた会場のサンルームは、午後になるとカーテンを貫いて差し込む真夏の太陽光線がいよいよ強烈になり、室内の気温は三十度を優に越えていたように思う。オランダの例年の気候では夏の冷房は不要だそうで、その設備はなかったので、皆汗だくであったが、真剣な雰囲気は崩れなかった。しかし、暑さがひどい上に、当然のことながら床に座って全身を使って書く姿勢に慣れていないことから、次第に皆の間に身心の疲れが見えてきていたのと、年配の方や持病を持っておられた方もあったので、ここで思い切ってかなり長い休憩を入れた。そして、この休憩中に身心を解き放って爽やかにしながら、再開する迄に、自分が作品として書こうと思うお手本を、最終的に決定しておくようにと伝えた。

 休憩の後、再び皆が自分の座に着いたとき、書道を開始する前に、自分の身心を調える為、私たちはここでまた坐禅をした。坐禅・瞑想の一時を共にして、それぞれが自分の身心を静寂の中に置き、自分の中の自然な能動性を純粋に高めることができれば、筆を執り墨を含ませ紙に向かっていざ書く時に、集中力が高まり、一体感とまでは言えなくても、筆・墨・紙に対して自分がしっかりした手応えを感じながら書けるのではないか、又、お手本の文字に対しても、それを対象的に見て形を写し取るというよりは、文字の姿を見つめながら心のリズムで筆順・筆路・筆勢を追い、自分の中にそれらを吸収・同化させて、より書の本質を捉えた学び方に近づくことができるかもしれない、等々の思いが、その時の私の胸中にあった。こうして一時皆で座禅をし、身心が落ち着いたところで、坐禅の姿勢のままで、各自が作品制作に選んだ手本を自分の正面に置いてもらった。そして、その「無」の形と筆の動き、更に、出来れば書き手の呼吸までをも充分に鑑賞してもらい、次いで、暫くの間目を閉じてその形と筆の動き・書き手の呼吸をじっくり想い起こしてもらい、内面のリズムでそれを辿ってもらった。それを数回繰り返した後、漸く皆に書作する時の自分の自然な体勢を取るようにと伝え、ここから、筆を執っての本格的な実習に入った。後で参加者の感想を聞かせて頂いた時、この時のやり方、つまり、書道の実習前に坐禅をして身心を静かな落ち着いた状態にしてから、自分が書きたいと思うお手本の書をじっくり観察し、その後で目を閉じ、意識を集中させてお手本の文字の姿を観想し、筆を持たずに先ず心のリズムで書くということを繰り返しているうちに、とても自然に手本の書の形と書く時の動きを把握できたような気がした、と語ってくれた人がいた。とにかく、この午後、「無」の一字書きを学ぼうという段階になった時点で、最初に坐禅・瞑想をし、それから書道の練習に入るというやり方を導入してみた結果、その後の受講生の様子から、決して無意味なことではなかったという、実感を持った。その日は、残り時間も少なかったので、半紙での練習の段階に止め、ワークショップ最後の実習時間となる翌日の午前中を、作品制作の時とした。

 この日の「無」のお手本選びで面白く思われたのは、二日間の書道のワークショップを共にして見えて来ていたそれぞれの方々の個性や好みと、筆の扱い方や書きぶり等を見ていて、私が心の中でそれぞれが選ぶであろうお手本を推量していたら、ほぼ全員についてそれが当たったことである。  

翌日、最終日の朝は、やはり坐禅・瞑想から始めた。ワークショップもこれが最後という思いからか、それとも書道を為す前の坐禅・瞑想の効果を昨日の体験で感じて下さったからか、この日の朝の坐禅は、短いけれど実に引き締まったものになった。更にそれを引き継いで、再び昨日のように坐禅の姿勢のままで、各自に自分が選んだ手本を前に置き、静かに凝視しながら、筆を持たずに心の内で筆路を辿り、運筆の呼吸と間合い(リズム)を思い起こしてもらい、次に瞑目して今迄目の前にあったお手本の「無」の姿を心に描いてもらい、肉眼で見えてはいないその「無」の文字を心眼でしっかりと捉えて、その形に全神経を集中させながら筆路を辿り、運筆の呼吸と間合い(リズム)とをリアルに表していくことを、数回繰り返してもらった。その後、作品の制作には白の色紙を用いるので、その大きさ・形をよく掴むように傍らに置きながら、半紙での練習を進めて行くようにと、指示した。そして、半紙での練習を繰り返しながら、作品制作のタイミングを自分で把握して、色紙に書くようにと、指示した。練習での書き込みを長くし過ぎると書作に対する気持ちの新鮮さが失せる、逆に短か過ぎると、筆の扱い・墨の量などへの不安が募り、それらは直ちに書かれた書に露わになるから、書作のタイミングには注意を要すると、伝えながら。こうして、正午過ぎまで休憩を挟んで3時間余りの時間の中で、各受講者は、白い色紙に「無」を自分の作品として2枚ずつ仕上げた。そのほかに、色彩や模様の入った色紙も配布してあったので、時間に余裕のあった人は、それに「心」や「永」を書いて作品を仕上げたりもしていた。又、最後に、私が、半切二分の一の大きさに、立った姿勢で「無心」を書くデモンストレーションもしたので、それに挑戦している人もあった。それぞれの作品には、お手本に従いながらも、その人の個性がリアルに表れていた。既にかなりの書道の体験をもっているらしい参加者の中に、日本人の優れた篆刻家の手になるという立派な落款印を持参していた人がいて、朱泥で落款を入れたら、書の持つ雰囲気が一段と高まったので、ここで少し、書作と落款の話もした。昼食までには、ワークショップの全過程を終了し、個人レベルでの道具の片付けも終えておいた。  

昼食後、全員で講習会場に使用したサンルームを片付けて清掃をした後、そこを午後三時から始まるエギジビションの会場に作り変えた。室内の灯を全部つけて、窓側も廊下側もカーテンを下ろし、それを背にして両側に参加者全員の数だけ背のついた籐椅子を設置し、各人が、カーテンには扇形に書いた作品「心」や半紙での習作を両面テープで貼り、藤椅子の上には「無」を書いた色紙の作品等を置いて、一人ずつのコーナーを作った。中央のテーブルには書道についての英文の解説書や筆の持ち方と筆法を図解した資料等を並べて展示した。又、先程述べた、朱で落款印を押した人の「無」の作品は、日本から送っておいた紺の布製の色紙額に入れて、目立つところに展示した。紙の白さと墨の黒色の中に朱で自分の印を押すこと(=落款)は、書作者を明らかにすると共に作品の完成を告げる意味をもち、また作品全体の気韻を高めてくれる働きをするものであり、落款印の配置や色あいも書道の作品の芸術的要素の一つであることを示すよい機会であると考えたので。その作品を書いた人は、よほど書道文化に親しんでいるらしく、今回のワークショップにも色々な書道用具・用品を持参していて、このエギジビションの会場作りの時に、サンルームにあった低いテーブルを文机のように仕立て、その上に持参していた下敷き・紙・文鎮・大小の筆・硯・墨・印と印肉等を優美に配置し、いかにも東洋の文人風の高雅な雰囲気を、会場の一角に見事に設えてくれたのには、感嘆した。このコーナーが、東洋の書道文化が持つ清雅で優美そして静寂な雰囲気を、会場に醸し出してくれ、華を添えていた。そこに置かれた書道用具の一つずつに表れているような、東洋の道具文化の繊細な美意識に、心を惹かれた人もあったようだ。会場設営の最後に、私は、空けておいた一方の壁に、日本から持参してきた久松先生の書のコピー八種類を展示した。『著作集』等から、A3版でコピーしてきたもので、その中には「無」の書も含まれている。エギジビションが始まって、この書道のワークショップについてのコメントや感想を述べる番が来たら、自分の書道観と関わらせて紹介するつもりで、準備しておいたものだ。

 午後三時、エギジビションが始まった。自然の中に自由にイメージを創造するというルーディさんのグループと私の書道のグループは、合流して全員会場に集まり、それぞれのワークショップの三日間の成果を紹介し合うことになった。各グループでアシスタントを務めてくれたグレータさん(書道)とヴィーニケさん(自然の中でのイメージ創造)が進行係となって、先ず私達の書道グループが、先に、自分達の取り組みについて話した。最初に、私が、書道についての説明と三日間のワークショップの様子と成果を語り、続いて、受講生の何名かが感想を述べた。軟らかい筆先の扱いのむずかしさや、しかしそれがうまく扱えて自分でもいい線が得られたと思った時の嬉しさ、リズムを以て生きた点画を生むということが少しわかりかけてきたことの面白さ、最初は形を覚えるのがむずかしくしかもそれを決まった筆順で進めなければならないことへの戸惑いがあったが、一生懸命に取り組んでいるうちに熱中して我を忘れている自分に気がついたと語った人、ワークショップは参加費・宿泊費の他に用具・材料費もかかり、決して安い費用ではなかったけれど、それだけのものはあったという声、等々があった。その後、締め括りを再び私が引き受けて、これから会場内の展示作品を鑑賞する際に、ぜひ見て欲しい書道鑑賞のポイントについて、話した。そしてその後に、東洋的な書道の鍛錬は、単に展覧会で他人に見せる為の芸術作品を生みだすことを目指しているものではなく、むしろ、東洋のいわゆる芸道の一つとして、古くから人々の精神修養に深い関わりをもってきた、という話をした。東洋の芸道とは、日常において技芸の鍛錬の場を鏡として、自己を映し、自己を見つめ、自己を高めていく精神修養の道、或いは境涯を創る道であり、書道の鍛錬もこの東洋的な「道」の思想に深く根差して重んじられてきたものであり、古来残されてきた優れた書は、必ずしも書道家の手によるものではなく、却って、禅僧や学者、文人等によって日常の中で書かれ、その人の生き様を露わにしているものに傑出した書が多いことを、語った。そして、現代の日本にあって、書道の鍛錬をそのような道の一つとして生きた禅の人として、久松真一先生に言及し、特定の書道の師を持たずに、禅の修行を通して書を鍛え、書の鍛錬を日常底の禅行の一つとしてなされた先生の、禅書一如的な境涯を露わにしている八点の書を紹介した。その後、散会し、会場での自由な鑑賞に入った。

 書道作品の鑑賞を終えた後、今度は、全員がルーディさん達が制作の足場とした図書室に移動し、ここで、このグループのワークショップが取り組んだ内容と三日間の様子を、聴かせて頂いた。そして、この方々の作品は、野外の自然空間を使って創作され、ティルテンベルヒを取り巻く周囲の自然の中一帯に広がっているということだったので、両グループ入り混じって何人かの小集団に分かれ、制作グループの人達を先頭にして、菜園や草地、森や小川を越えて散策を楽しみながら、あちこちで突然誰かの手が自然を利用して創った不思議なイメージの出現に出会うという、まるで不思議の国のアリスのようなわくわくする体験をさせて頂いた。期待感で心を弾ませながらイメージ探しをしているうちに、自然に抱かれている解放感や安らぎが、いつの間にか私たちの心をなごませてくれたり、そうしているうちにまた、自然の素材に人が手を加えた面白いイメージに行き当たっては、興奮と感興を湧き上がらせるという、不思議な興味深い芸術だと思った。一周から帰って来てから、それぞれのエギジビション会場を片付け、最後にもう一度全員がサンルームに集まり、ワークショップに参加した感想を述べ合い、企画担当者が用意したアンケートに回答して貰って、全てを終了した。受講者の感想とアンケートからは、参加したことを喜んで下さった様子が伝わり、ほっとした。リトリートから連続して参加してくれたあの物静かな若い女性が、別れ際に、「私は、家に帰ってからも、瞑想と書道を一人でやってみます、師がいなくても」という言葉を、残してくれた。こうして、私にとって忘れられないティルテンベルヒの夏は、終わった。

 受講者の皆様と、アシスタントのグレータさん、企画担当のマインデルトさん、そしてティルテンベルヒに、又、このきっかけを作ってくれた友人アデリーンさんに、深く感謝している。


 七月二四日夕べの“Dynamics in the Teacher / Student Relationship”(「禅修行における師弟関係の力学」)に始まり、“Meditation and Mysticism - TEZ / FAS Retreat”(「瞑想と神秘主義 --- TEZ / FAS リトリート」)を経て、そしてこの“Calligraphy -- Brush Meditation”(「書道 --- 筆による瞑想」)と続いた八日間の全行程を終え、七月三一日夕方五時過ぎティルテンベルヒを後にして、再びアデリーンさんの車でアムステルダムへの帰路を辿った時、準備を初めてから一年近く続いたこの試みが、漸く終わったことへの安堵感と快い疲労とを覚えながら、夕刻でもまだまだ明るいオランダの夏空の下、車窓の外を過ぎゆくこの国の田園風景をしみじみ眺めていた。


 二○○二年の夏は、このティルテンベルヒでの滞在を終えた後も、なお暫くオランダに滞在して、ヨーロッパの人々が今求めている宗教の形や禅及び禅的な修行の形をとる宗教の今後の方向性などについて、何人かの方々と語り合う機会も得られた。その一つが、オランダ北部にあるノーダーポルト国際禅センター( International Zen Center / Noorder Poort)を訪れた体験である。このことについては、また機会があれば書いてみたいと思うが、そこで深い感銘を受けたものの一つが、ここの創始者である方(ドイツ人女性;故人)の禅の書であったことも、忘れがたい。東洋の書道を学び、優れた書をいくつも残された方だと、伺った。


 終りに、ジェフ・ショアさんがオランダのティルテンベルヒでFASヨーロッパ・セミナーを開催するきっかけを作って下さって以来、十年以上の歳月にわたりティルテンベルヒはFASとTEZ(Towards European Zen) の交流の場であったが、残念なことに、昨年秋に経済的な理由から閉鎖が決定され、今年の春、正式に閉じられたという報せを受けた。私が当地でのプログラムに関わったのは最近になってからのことで、一九九九年の夏とこの二〇〇二年夏の二回であった。一度目は一般の参加者として、二度目はプログラムを担当させて頂く形で関わったが、どちらの時もかけがえのない貴重な体験をさせて頂いた。そして、当地での出会いをきっかけに、何人もの方々と今なお交流を深めさせて頂いている。FASとTEZそしてティルテンベルヒに感謝の気持ちを表しながら、この手記を終わらせたい。