『人類の誓い』について

川崎 幸夫
風信48号 2003年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
          


                    

  このたび久松先生の『著作集』第三巻から五篇の作品を択んで『人類の誓い』と銘打つて刊行することになつたのに因んで、私どもが常日頃唱えております「人類の誓い」の根本性格を振返えつてみたいと思います。しかし実はこの点につきましては、私は既にこの書物の「後記」において一往誌しておりますので、それとはなるべく重復するところが多くならないように気をつけるつもりですが、どうしても似たような話になるのは避けがたいので、その点は御海容いただきたいと思います。

 

  「人類の誓い」の根本性格がいかなるものであるかについては「人類の誓い(一)」において、先生御自身が極めて明快な口調で述べておられます。先生が「人類の誓い」という標題を掲げて話をされた記録は三篇残されておりますが、『著作集』第三巻において最初に位置づけられた講演は昭和三九年四月八日、即ちFAS協会の前身である京都大学学道道場が昭和一九年に結成されてから二十周年を迎えた記念の総会において、春光院二階の広間で挨拶として話されたものであります。それによりますと、「人類の誓い」とは学道道場が自らの根本理念として掲げた「綱領」の第一條において、「本道場は絶対の大道を学究行取し」と謳っているその「絶対の大道」を「具体化」(V・一六二〜三)したものである、と極めて簡明に述べられております。勿論いま私が根本理念と申しました「綱領」は現実から遊離した理想にとどまるのではなく、われわれの日頃の行動を深く貫き、われわれが実際に立つている現実を力強く引張つてゆく指導原理となるべきものであつて、われわれの一擧手一投足を規定すべき極めて実践的な性格をもったものとして働いていなければならないのであります。

 

  さていま引用した久松先生の言葉から「人類の誓い」とは「絶対の大道」の「具体化」であるという定式が確立されているわけですが、その「具体化」が実際にどのような形で行なわれたのかを明らかにするためには、それぞれの本文に戻つてみる必要があります。まづ道場が結成された「当時の道人一同の第一に念願するところ」(V・一六○)であつたとされる「綱領」の根幹をなす第一條は「本道場は絶対の大道を学究行取し、以て世界甦新の聖業に参ず」と打出されておりますが、その前半が「人類の誓い」においては「私たちはよくおちついて本当の自己にめざめ、あわれみ深い心をもつた人間となり」と言い表わされております。そして第一條の後半をなす「世界甦新の聖業に参ず」は「人類の誓い」では「各自の使命にしたがつてそのもちまえを生かし」から「真実にして幸福なる世界を建設しましよう」にいたるまで詳しく展開され、現実世界に働きかけてゆく上で起つてくるさまざまな局面を網羅する形を採つております。「世界甦新の聖業」という表現は少々古めかしい感じを与えるかも知れませんが、これは「世界を本当の世界…にしてゆくこと」(V・一六一)を意味するのであります。

 

「綱領」において道人の第一課題として掲げられた「絶対の大道を学究行取」するということは「主体性を確立」し「本当の人間形成」を可能にするための土台をなすのですが、その「『絶対の大道』というものが何ものであるかということを窮めてゆ」(V・一六一)くために則るべき方法は「知的―行的」な「批判」(V・一六二)であると定められております。「批判」とは自己の外なる一切の権威に対する徹底的な否定であると同時に、仮借なき自己否定の遂行をも意味しております。この否定道が「人類の誓い」においては「よくおちついて本当の自己にめざめ」と表現されておりますが、しかし「徹底落ち着く」(V・一六六)ということはただ否定に終始するだけでなく、積極的な肯定―つまり建立面へと転じなければ、自己否定の因をなす苦悩からの真の解脱はありえないのであります。したがつて否定―批判をつづけてゆく根底には「よくおちつい」た「本当の自己」、即ち「無相の自己、形なき自己」からの「無限のはたらき」(V・一六七)がなければならないのであり、それが「人類の誓い」においては「あわれみ深いこころをもつた人間とな」る、と語られているのであります。このような「本当の自己にめざめた」智である「根本主体」を久松先生は大乗佛教の教理に当てはめて「体」と規定し、「あわれみ深いこころをもつ」て慈悲の働きをすることを「用」と捉えておられますから「人類の誓い」の最初の二句は「体と用」という風に構成されていることになります。かくして「絶対の大道」は「智体悲用」とも表現されることになり、これが更に「F・A・S」の三次元的構造においては人間の「深さ」の次元を示すFとして具体化されることになります。これに対して「各自の使命に従つて」以降は人間の「広さ」と「長さ」の次元を示すAとSの面が交互に現れるという構成になつております。

 

 一往「綱領」の第一條と「人類の誓い」全文との対応関係が明らかになりましたので、ここでもう一度「絶対の大道を学究行取し」という文言に帰つてみることにします。この文言は『人類の誓い(一)』においては「人間の真の在り方、世界の真の在り方、歴史の窮極の在り方を探究」(V・一六四)することと言換えられておりますことからも、この短い一句にはさまざまな哲学的含蓄が籠められております。その点を少し解きほぐすために若干の考察をめぐらしてみたいと思います。さて普通ならば「宗教的真理」とか「真の実在」とか呼ばれるべきものが「道」と規定され、しかもそれに「絶対」と「大」という二つの形容詞が加えられて「絶対の大道」と呼ばれておりますから、冷徹な目で眺めると可成り大袈沙な表現と映るかも知れません。まづ「絶対」と呼ばれる以上、この道は他の道とも併存し得る相対的な道ではあり得ないことになります。抑ろ批判的方法に則つて、本当の自己を知ることを軸として実在全体の真相を辿るとともに、道それ自体が真理そのものと自覚されているやうな「絶対の大道」は、儒教の代表的な書物である『大学』において「大学の道は明徳を明らかにするに在り」とか、久松先生が時々引用しておられる『中庸』において「道なるものは須叟(=暫く)も離るべからざるなり」といわれる聖人の道ではなく、またこのような「至善にとどまる」という目に見える形、つまり道徳的な形を取つた道を一切廃絶して、「道の道とすべきは常の道にあらず」と喝破した『老子』の「無為自然」の道でもなく、更に浄土教において「二河白道」や「信楽易行水道楽」という風に譬えられた信仰の道を指すのでもないことは当然であります。

 

 それでは「絶対」という熟語は漢字圏ではどのような経過を辿つて今日に到つているのでしようか。例によつて道草を喰べ過ぎて時の経過を忘れそうになるのではないかという心配を懐きながら諸橋の『大辞典』を覗いてみますと、漢代の字書『説文』に「絶、断絲也」とあるのを引いて、「絶」の第一義は「いとをきる」ことと説明しています。諸橋はさらに「絶、截也」という語釈を挙げています。また白川静の『字統』はこれに補足するように、「絶はもと色糸の義で、絶妙・脆美の意がある。絶妙よりして絶無・絶高など、比類を絶する意となつたものであろう」と附加えております。この場合の「絶」は諸橋が第九義として、やはり『説文』に「絶、…為極」とあるのを引いて「はなはだ、きはめて」を挙げているのに合致することになります。そうすると近代の日本人が「絶対」という語を修飾語として語る場合には「比類を絶する」とか「はなはだ、極めて」の意味で使つているのはこのようなところから由来すると考えたくなるかも知れません。しかし「絶妙」とか「絶美」、或いは「絶無」などの場合における「絶」はいずれもその下につく形容詞を強化する副詞の役割を果しているのに反して、「絶対」の「絶」はあくまで「対を絶す」という動詞の役割を演ずる文字でありますから、この「絶」は「断ち切る」、或いは諸橋が第六義に挙げる「こえ(過)る」を意味すると解すべきでありましょう。他方において「對」という文字については諸橋は十四もの意義を展示しており、「絶対」の「対」としては第六義の「あひ、あひて」(配偶者、敵対者)と第七義の「つゐ、そろひ」が該当することは疑いなきところです。白川は金石文に遡つて「對」とは「(サク)という掘鑿用の器をもつて撲(う)つこと、いわゆる版築などの作業である」と説明し、更に「対言・相対・対等というときの対は、版築のとき相向うて土を撃つなど作業のしかたから生じた意味であろう」と推測している。中学生だつた私も戦争末期に防火用の貯水池造りに動員されて版築の真似事をやらされ、多発性筋肉炎を起してしまい、入院して手術する破目に陥つたことがありますが、長さ四五十センチばかりの太い木材に四本の取手がついていて、二人づつ向い合つて持ち上げてはすとんと落すという作業を繰返したことを憶えています。兎も角、諸橋は「絶対」という語の意味として、「(一)何等の條件も附随しない、(二)何ものにも制約せられない、(三)他に比較対立するものがない、(四)一切の現象差別に超越する」を列挙していますが、これはほかでもない西洋諸語におけるabsolutの訳語としての「絶対」の説明に過ぎないのであつて、清代までの漢語の用例や出典をまつたく明かにしていません。この点は他の漢和辞典をいくつかみてみても同様ですので、「絶対」という漢語は四書五経や唐宋の詩人に培われた中国固有の由緒正しい語彙のなかには入っていないものと判断して差しつかえなさそうです。このことは現代中国を代表する字典である『辞海』(中巻二六八七頁〜八九頁)を見ても「絶対」という二字だけの熟語は記載されておらず、「絶対主観」とか「絶対時間」とか「絶対精神」といつた西洋、特に徳国(ドイツ)の哲学から移入した用語が威張つており、それに並んで「絶対地租」とか「絶対零度」といつた西洋の科学文明やマルクス主義的な社会科学の用語がひしめいていることからも裏づけられそうです。序ながら一昨年から昨年夏にかけてカントの理性的自律の話をした際にしばしば出てきた「定言命法」kategorischer Imperativに「絶対命令」という舌足らずな訳語が当てられているのには苦笑させられます。このほかにも「無待命令」とか「無上命令」という訳語もあるようです。

 

  「絶対」という語の用例が中国の傳統文化のなかには見出されないとすると、考えられるのは漢訳佛典もしくは中国撰述の佛典を措いてほかにはないことになります。そこで中村元の『佛教語大辞典』を開いてみると、「絶対」の用例としては日本撰述である『教行信証』行巻にある「絶対不二之教」(岩波文庫一一○頁)および「絶対不二之機」(同一一一頁)しか挙つておらず、中国撰述からは「絶待」(ぜつだい)という用例のみが『法華玄義』(巻第二上、「国訳一切経」経疎部〈一〉、四七頁)などから示されております。このほかに他の語との合成語の形で、『摩訶止観』第二章より「絶待止観」(岩波文庫、上巻一二六頁〜一二九頁)、『三論玄義』の「中論名題門」より四中の一つとして「絶待中」(岩波文庫一八四頁)、『法華玄義』の箇所から「絶待妙」という用例が併記されています。これらの書物のほかに『四教儀註』からも引用が示されていますが、同書は手許にないので参照を見合わせることにします。ところで「絶待」という語については『佛教語大辞典』は「対立を超えていること。中のこと。相待(そうだい)の対」と規定しており、また「相待」については「(一)相互依存。甲と乙とが互いに相よつて存立すること。(二)相対せしめること」と説明していますので、「絶待」という概念は中観哲学を踏まえながら、特に第二義の方に焦点を合わせて「相待」を否定するところに主眼があるのではないかと思われます。たとえば「相待止観」については不止と止、不観と観とを対立の相で捉えて「不止に対してもつて止を明かす」(岩波文庫、上巻一二四頁)といわれるのに反して、「止・不止みな不可得なり…、待対すでに絶す、…言説の道にあらず心識の境にあらず」(同一二七頁)と観ずるのが「絶待の止観」であると語られています。また「絶待中」は「本偏病に対する。是(=偏病)の故(ため)に中有り。偏病既に除かるれば、中も亦立たず。中に非らず偏に非らざるも、衆生をして出処せしめる為に、強いて名づけて中と為し…」と説明されています。諸橋によりますと、「待」という文字の第一義は『説文』に「待、竢(まつ)也」とあるところから「まつ、まちうける」とされ、ついで「そな(備)へる」とされます。白川はこれについて「尊者を待つのが原義であろう」とします。したがつて諸橋が挙げた「もてなす、あしらふ」(接待)という意味にもなるわけです。このような字義から原始佛教で説かれた縁起観は「相依相待」という語形で適切に表現されることになり、これに基づいて、長短など個物の相互依存だけでなく、能観(視覚作用)と所観(視覚の対象)という認識論上の相互関係も「待」という文字に集約できると考えられたのではないかと思います。しかし中国佛教に不案内な筆者がこれ以上調子に乗って書き進めていると大きな謬りを犯しかねませんので、典拠を示すだけにとどめることにします。

 

  以上のように大変手軽な仕方で調べた限りでは、漢字文化の本家である中国文献の森のなかには、西洋文明をいち早く消化吸収した日本語からの逆輸入と思われる場合を除けば、「絶対」という語の用例は見出されないことになります。これに反して中村元の教示によつて『教行信証』の「行巻」に二つの用例があることが分かりましたので、早速調べてみるとその結末の近くで見つかりました。所謂「行巻」の最後は真宗の佛事の際には必ず僧侶が唱える「正信念佛偈」で畢るのですが、それが始まる数頁前で、「念佛と諸善を比校対論する」箇所に現れています。まず「教について…難易対、頓漸対、横竪対…」という風に比較対論を進めて、浄土信仰の本領が難・頓・横…にあることを顕かにした上で、「しかるに本願一乗海を按ずるに、圓融満足、極速無礙、絶対不二の教なり」と断定し、更に押取り刀で「機について対論」を「信疑対、善悪対…」という風に展開したのち、「しかるに一乗海の機を按ずるに、金剛信心絶対不二の機なり」と結論を下している。このように声聞・縁覚・菩薩の三乗を遍く包摂する「本願一乗海」の立場を闡明しようとする文脈のなかで、「絶対不二」という言葉が矢継早に繰返されているわけですから、敢えて素人考えをめぐらしてみますと、「絶対」という語には念佛と諸善、すなわち念佛以外の聖道門の諸宗との対論を経た上で、諸善の側からの疑念や反論をすぱつと一刀両断にした切先の鋭さが現れており、そのことからこの「絶対」には「対を絶つ」という意味が籠められているような気がします。

 

  しかしそれと同時に、ここでは「絶対」の語は「不二」と一体化させた形で発せられているということに注意する必要があります。そしてこの「不二」という語は同じ文章のなかで、それに先立つて語られた「圓融満足」というおそらく天台や華厳の教学から承け継いだと思われる表現と深く共鳴し合つているものと思われます。「不二」という語の出所としては当然『維摩経』の「入不二法門品第九」という一章が考えられ、日本では聖徳太子によつて『三経義疏』の一環として『維摩経義疎』が著わされたことによつて定着したものでありましよう。『維摩経―不思議のさとり―』(平凡社・東洋文庫)の訳者である石田瑞麿の解説によりますと、親鸞も太子信仰を介して『維摩経』の精神に触れているということが述べられています(二六三頁)。そうすると「圓融満足」につらなる親鸞の「不二」の語法は、たとえば「諸々の仁者、生滅を二と為す、法は本不生なり、今即ち滅無し」という風に維摩が説いた不二の法門と思想的には通ずるところがあるといえましょう。したがつて『教行信証』の「証巻」においては「柔軟心といふは、いはく廣略の止観相順し、修行して不二の心を成ず」(岩波文庫二六四頁)といわれていることからみても、親鸞の「絶対不二」という語法は『維摩経』の浄土教的解釈と天台・華厳における圓融三学の伝統とが一体となつて産み出したものといえそうです。尤もそれにしては親鸞の激越極まりなき文体は維摩の長者らしい悠然たる口調とは遠く隔つていて、この「不二」はもつと直截に他力信仰が唯一無二なる教であることを強靱に訴えている響があるように感ぜられます。いずれにしても日本撰述の佛典からは、今のところ私には親鸞以外の用例が与えられておりませんので、「絶対」という漢語の由来を探索することはこの辺りで頓挫するよりほかはありません。

 

  そこで念のために中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編の『角川古語大辞典』を参照したところ「日本の古典文学の語彙を理解するため」に編纂されたこの辞典には佛教語の「絶対」も「絶待」も収録されておらず、このことはむしろ当然ともいえます。その代わりにといつてはやや適切を欠くのですが、「絶対」という語が否定的なニュアンスで綴られる場合に動もすると混同されそうになる「絶体」という語が挙げられています。諸橋によると「絶体」とは「身体をそこねる」ことを指し、荘子に用例があるとのことですが、角川の辞典によりますと「絶体」とは「本来はト筮(ボクゼイ)の用語で、運勢が凶にあること。転じて、進退きわまつた状態」を意味するとあります。またやはり「占いの凶運」を指す「絶命」と合体させて「絶体絶命」ともいわれ、江戸時代には「危機に直面して、逃れる方法もないほどの場合・立場であること」を示すようになつたと説明されています。

  いずれにしましても、親鸞の用いた「絶対」という漢語表現は中国撰述における「絶待」と内容的には深く照応し合つていると思われます。しかしそれにも拘らず、「絶待」を堅守した中国人の傳統的な文字感覚からは考えもつかなかつた「絶対」という表記の採択を親鸞が敢えて決意した背景には、漢字文化に対する中国人的感覚の異域に立つていたことから訪れた独創的な閃きがあつたのかも知れません。兎も角、親鸞以後の「絶対」の行方を追つて日本撰述の佛典を精査してみないことには確たることがいえないのですが、つまるところ明治以後の日本語表現に氾濫しているといつてよい「絶対」という「漢語」は、これと相関的な「相対」とともに、西洋の言語におけるabsolute‐relativeに当てた翻訳語なのではないかと思われるのです。

 

  「絶対」という観念を育んだのは何といつてもドイツの思想家ですが、ドイツ語において「絶対」を表示する形容詞として用いられたのはabsolutが基本であり、そのほかにも神を「無制約者」と規定する場合のunbedingt、「絶対他者」と名づける場合のganz、シュライエルマッハーの「宗教感情」におけるschlecht‐hinnigなどがあつて多彩といえますが、英語やフランス語ではabsolute、absolu以外には見当らないような気がします。いうまでもなくこれらの語形はすべてラテン語のabsolutusという形容詞から由来しており、そしてそれはabsolvo(absoluo)という動詞の完了分詞を本にして形成されたものです。ところでこの動詞はsolvoという基本動詞を語幹に据え、それにab‐という前綴辞をつけて合成された語であります。さて前綴辞のabはもともとa、absとともに「(空間上の或る一点から)遠ざかる、離れる」という意味を原義とした前置詞なのですが、私が最も信頼するラインホルト・クロッツというドイツ人が編纂した辞書(一八七九年刊)においてはこの語の意味が一一に分類され、二○頁にわたつて説明されているほどさまざまな使われ方をしています。これに対してsolvoという動詞の意味は二つに大別され、(一)「(若干のものから結合・合成されたものを)破砕する、分解・解体・分析する、溶解・解散する、(何かに結びつけたものを)放つ、解く」、(二)「(一個の全体として結合されたものを)分解・解体する、粉砕する」という風に大変論理的な説明を下しています。

 

 それでは両者の合成語であるab‐ solvoの語義についてクロッツがいかなる説明を行なつているかといいますと、これがなかなか曲者なのです。彼はそれを三つに大別して次のように述べています。(一)ablõsen(剥離させる、仕事を交替する、債務などを償還・弁済する)、losmachen(切り離す、放免する)、(二)freimachen(解放・免除する、或人のために時間や道を空ける)、auslõsen(装置を作動させる、興奮を誘発させる、解除・解放させる)、einlõsen(抵当などを請け出す、約束などを果す)、(三)abmachen(除去する、片附ける、解決する)、fertigmachen(完成させる、大打撃を与えて片附ける)、vollstãndig zu Ende bringen(剰すところなく完成させる)、vollenden(完成する)。以上のような雑多な意味を見渡すと、これらは抽象概念によつて組立てられた理論的な思考の世界を反映しているというよりは、銭勘定の駆引きの中で逞しく生き抜いて、時には暴力を振つてでも自らの行手を阻む障害を除去し、是が非でも目標を達成させずには措かないといつた野心が充ち溢れているのが感じられます。

 

  以上のような分析を踏まえた上で、クロッツは形容詞absolutusおよび副詞のabsoluteが古典期のラテン語においては比較の等級を形容する働きをし、(一)「最高度に達した」、(二)「自己自身の内で完結した、完成された」という意味で用いられたと述べています。そしてローマ帝政期を代表する名文家と謳われたキケロを中心に多くの用例が展示されていますが、それはperfectus(完全な)と同義語とされる場合と、simplex(単一・単純な)と同義語と見做される場合とに区分されます。このsimplexとは或る事柄が成立するためには他の條件を充すことが一切不要とされることを意味し、したがつて「自己完結的」であり、また「純粋な」という意味にもなります。しかしクロッツのほかに、一九八二年にオックスフォードから新しく刊行されたグレアによる辞書に載つている用例をみても、(二)の意味で用いられたものがほとんどなので、一体(一)の用例があるのか少々疑わしくなりますが、perfectusという語を分解すると「per(普く)+fectus(造り上げられた)」となり、「(自らの内部に畳み込まれていた素質が)残らず展開された」(fully developed)ということを意味しますから、(二)は(一)と同じことに帰着します。このほかにabsolutusは文法用語として「独立した」という意味にもなります。

 

  それではローマ時代から千年あまり降つた盛期スコラ哲学の時代にはabsolutusという語がどのような処遇を受けていたかを知るために、一三世紀を代表するトマス・アクィナスの場合を垣間見ることにします。デフェラーリという人の『トマス字典』(A Latin-English Dictionary of St.Thomas Aquinas…,by Roy J.  Deferrari,1960.)を見てみますと―但し私の手許にあるのは簡約版ですので、用例や出典は示されていません―トマスのabsolutusは二つの意味で語られ、「(一)cut off(切り放された、削除された、遮断された)、freed(解放された、免除された、取り除かれた)―この場合はabstractus(除去・分離された、抽象的)およびseparatus(分離された)と同義語、(二)having no relation to anything else(他のいかなるものとも関係をもつていない)、無関係・独立した・単純な、無條件的な(absolute)―この場合に反対語となるのは、condicionalis,condicionatus(條件づけられた)、relativus(相対的)、relatus(関係づけられた)」という風に説明されています。

 

このような消極的な意味ばかりが目白押しになつているのを眺めたならば、「絶対の大道」を思浮べておられるFAS協会の会員はおそらく拍子抜けして了うことでしよう。そこで創文社から昭和三五年以来刊行中のトマス・アクィナス『神学大全』第一部の全八冊の巻末につけられた詳細な「用語人名索引」でabsolutusの用例を調べてみますと、僅かに第一冊の一一七頁〜一一八頁(第六問題第二項)と第二冊の三○三頁(第二五問題第三項)の二ヶ所にあるだけです。最初の用例は「神は最高善であるか」を論じた箇所にあり、最高善とほかの善との相異を明かにするために、「最高善が善の上に附加えているものはなにか絶対的なもの(rem aliquam absolutam)ではなく、単なる関係(relationem tantum)に過ぎない」と述べています。後の用例は「神は全能であるか」という問題の中で、神が「すべてをなし得る」(omnia posse)といわれている場合には「すべての可能的な事柄をなし得る」(possit omnia possibilia)という意味なのですが、そのことは更に「絶対無条件的な意味で可能なすべての事柄を」(omnia possibilia absolute)をなし得るということなのだ、と補足する箇所にあります。更に念のために『神学大全』の第九冊、即ち「第二―一部」の第一冊を見ますと、三二九頁(第一六問題第四項)に「絶対無条件的なものは関係づけられたものの以前にある(先立つている)」(absolutum est ante relatum.)という用例が一つだけ見出され、この命題は第一部にあつた二つの例をより包括的な仕方で、形式的に表現したものといえるでしよう。そうするとトマスの場合もやはりabsolutusは古典期同様にsimplexと同じ意味で使われていることになり、神の本性を直接規定する語ではありませんから、absolutusはトマスの哲学用語のなかでは片隅に追いやられており、極く目立たない端役を当てられているだけということになります。

 

  更に意外といえるのは、数多くのドイツ語著作が遺されているエックハルトにおいても、全集版の各巻につけられた詳細な用語索引にabsolutの語は一つも記載されていません。その上、困つたことには、私の手許にあるパウル、ザンデルス、トゥリュープナーという三種類のドイツ語辞典にはabsolutという語は扱われておりません。ドイツ語学ではラテン語から入つた単語は外来語と見做される故に、ドイツ語辞典からは排除されているようです。そうすると、キリスト教の神や形而上学の第一原理の本質を規定し、また実在を認識せんと欲する理性的精神とその自己認識(自覚)の特性を表現する用語として、absolutという語が「絶対」という意味を獲得したのは一体いつの日だつたのか、ひよつとするとカントまで降るのではあるまいか、ということに遅蒔ながら気がついて、俄に愕然としているところです。 (未完)