二00二年夏 ティルテンベルヒで(一)
石川 博子
風信48号 2003年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
私が、オランダのティルテンベルヒで催されたFASのヨーロッパセミナーに初めて参加したのは1999年の夏であったが、あれから3年を経た2002年夏、再び機会を得て当地を訪れることになった。この度は、向こうの企画担当の方から、2002年の夏「TEZ(Towards European Zen) / FAS のリトリート」を実施した後に書道のワークショップを開催したいので、担当して貰えないかという依頼をお引き受けした形で、出かけることになった。
1999年にティルテンベルヒを訪れた時に知り合った、アムステルダム在住の精神科医でティルテンベルヒの企画委員をしているアデリーン・ヴァン・ヴァニングさんが、私が以前から書道を続けているのを知っていて、先方に伝えたことから、このような話になった様子であった。とにかく、一昨年(2001年)の夏に、ティルテンベルヒのプログラムを担当しているマインデルト・フォン・ホイフェル氏より正式の依頼状を頂いたので、アデリーンさんに電話で事情を問い合わせ、暫く思案した後、引き受けさせて戴くことにした。
こうして書道のワークショップを担当する話が決まり、そのパンフレット作りの段階で、履歴の中に私の専門は英文学で、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの研究をしていたことがきっかけとなって、後に久松真一のFASの立場を深く求めて行くようになったと書き送ったら、今度はそれが元で、再びマインデルトさんから、2002年夏の「TEZ / FAS リトリート」では“Meditation and Mysticism”(「瞑想と神秘主義」)というテーマで講演を計画していて、ユダヤ教の神秘主義者ビヤリク、スーフィ教(イスラム教の一派)の神秘主義者ルミ、そしてキリスト教の神秘主義者としてブレイクを取り上げたいと考えているので、その中のブレイクについて話をして欲しいと言う打診があった。私は現在ブレイクの研究からは離れているので、この申し出は辞退しようと考えていたが、マインデルトさんが、リトリートの中での話なので、大学の講義のように文学作品や作家を学問的に解説してくれるのを望んでいる訳ではなく、むしろ、ブレイクの詩や思想と自分自身の宗教的又は精神的探究の関連性を話し、その中でブレイクに啓発されたり影響を与えられたりした点を語ったり、ブレイクの思想的特徴を示して、それが表現されている作品を様々紹介して皆で読み合う機会を作って貰えたらと思っていると仰られたので、こちらも引き受けさせて戴くことにした。
二つの企画をお引き受けしてから実施の時迄、準備期間は半年から一年近くもあったのに、実際には日々の自分の仕事に追われ続けて、なかなか思うように準備は進まなかった。先ず、3日間に亘るTEZ/FAS リトリートの「瞑想と神秘主義」の話では、3人の神秘主義詩人を一日に一人ずつ取り上げ、それぞれの担当者が午前中にその詩人についての話をし、午後にはその作品を読むことになっていたので、私も、自分の担当するウィリアム・ブレイクについての話を英文で準備し、会場で読み合う作品のプリントを作成した。書道のワークショップについては、15名迄と人数を制限したものの、それだけの人数分の筆・墨・紙等の書道用品一切を質・量共にある程度こちらの希望に添った形で調達するには日本から送る以外にないと思ったので、その選択と手配と発送にかなりの時間がかかってしまった。また、講習内容の計画書作り・お手本の作成・書道についての解説を英文で準備することにも、予想を上回る時間がかかり、途中で多少焦ったりもした。その上、渡欧を目前にした時期にかなり重症の帯状疱疹という病気に罹り、一時はこの企画を断念せざるを得ないかもしれないと覚悟した。しかし、書道用品・お手本・解説文のプリント等を詰め込んだ大きなダンボール箱を、ティルテンベルヒに四箱、アムステルダムのアデリーンさん宅に二箱既に送り届けてあったし、参加者も定員一杯になり、企画のほうでも実施を楽しみにしていると言うメールを受け取ったりしたので、何とか実現させたいと思い、医師に相談しながら最終的に渡欧を決めたのは出発予定日の一週間位前であった。予定通り7月21日に自宅を出て、成田空港のホテルに一泊し、翌朝の便でアムステルダムへ向かった。
アムステルダムのスキポール空港に到着したのは、現地時間で7月22日午後2時45分頃、空港でアデリーンさんが出迎えてくれた。再会を喜びながら彼女の車に乗り込み、アムステルダム市内の彼女の家に向かった。到着して一休みした後、アデリーンさんとアムステルダムの町に出て、市内を流れる川(運河)を巡る遊覧船に乗り、古都の面影を残すアムステルダムの落ち着いた街並みを水上から眺めて楽しんだ時、漸くほっとして、オランダに来ているという実感が沸き上がった。翌23日、アデリーンさんは、24日の午後からティルテンベルヒで始まる彼女の担当プログラムの準備に追われ、私も自分のプログラムの総点検に終日忙しく過ごした。24日午後3時過ぎ、アデリーンさんと私は、彼女の車でティルテンベルヒに向けて出発、4時過ぎに現地に着いた。アデリーンさんのプログラムはその夜8時に始まることになっていた。この7月24日(水)から31日(木)迄の8日間、私とアデリーンさんはティルテンベルヒに滞在し、3つのプログラムに参加した。
最初のプログラムは7月24日・25日の両日に亘り、友人のアデリーンさんとエンコー・エルス・ハイネカンプさんが担当する“Dynamics in the Teacher-Student Relationship
-- Psychology for Zen Practitioners ”(「禅修行における師弟関係の力学・・修行者の為の心理学」)であった。参加者は、大概何らかの形で禅グループの指導をしている人々か、逆に師について禅の修行をしている人々であった。ここでは、禅の修行中に師弟関係に生じてくる様々な問題(プラスの点もマイナスの点も含めて)を、各自が自分の経験を踏まえながら実践的なワークショップの形で語り合い、討論が進められていった。師弟関係をもって禅を修行していく時の、それぞれの立場に生じてくる心理的相互作用を分析しながら、心理学的な意味での「転移」「投影」「理想化」等の問題が、師弟関係の中にどの様に現れてくるか、又そのような問題をどう解決したらよいか、どのように扱えば修行にプラスに作用させることができるか等が話し合われていた。又、師弟関係の中で問題を体験した人の中には、師弟関係そのものの必要性を疑問視し、人間関係の問題が生じ易い師弟関係を持って修行するより、自分の内面から発せられる真率な声に耳を傾けるほうが重要で、修行にも集中でき、果たして自己の外に師を求めることが本当に必要かどうかと、問う人もあった。このプログラムでのディスカッションを聞きながら、様々な問いが私の脳裏にも浮かんだ。例えば、伝統禅の修行にみる師弟関係での修行を一方に置きながらも、FASの相互参究のような形態を体験するのも有益なのではないか等々。相互参究は、もしその深意に則して為されれば、ヨーロッパの風土に馴染み易い部分を持っているのではないか、しかし誤用すれば修行の的を逸脱する危険性も高いし等と心中で考えをめぐらしながら、結局、ヨーロッパでの禅の実状をよく知らないので、私は余り多くは発言しないでしまった。今回集まっていた参加者は、現在ヨーロッパ各地にあるそれぞれの禅堂に拠点を置きながら座禅を指導したり修行したりし、又来日して日本の禅寺で伝統的な禅修行を本格的に体験したりもしていることがわかった。自分の生活の中で禅修行を続けながら、時々このようなシンポジウムに参加しては、意見交換をして、自分又は自分達のグループに適した禅修行の在り方を熱心に探究しているように感じた。25日の午後、このプログラムは終了した。
同じ日の夜8時には次のプログラム「 TEZ / FAS リトリート:Meditation and Mysticism(瞑想と神秘主義)」が始まり、28日夕方まで4日間続いた。初日の夜は、先ずプログラム全体への導入と参加者の顔合わせがあり、その後、禅堂で坐禅をして終了した。翌日から3日間、摂心と講演を組み合わせた本格的なプログラムの展開がなされた。一日の流れは、起床、朝の坐禅、朝食、続いて午前中は坐禅と「瞑想と神秘主義」と題した講演、そして昼食を挟んで、午後は午前中の講演で取り上げられた詩人の作品を読み合う時間が設けられ、続いて夕方まで坐禅と相互参究が組まれて、その後夕食となり、夕食後は夜の坐禅を以てその日を終えた。三日間の講演は、第一日目がユダヤ教の神秘主義詩人ビアリク(Chaim
Nachman Bialik, 1873 - 1939)についてトン・ラトホウェルズ氏が担当し、第二日目はイスラム教の神秘主義スーフィズムの詩人ルミ(Mevlana Jallaludin Rumi, 1207 - 1273) についてポール・ムルダース゛氏が担当、第三日目はキリスト教の神秘主義詩人としてイギリスの詩人であり画家でもあるブレイク(William Blake, 1757 - 1827)について私が話をさせて戴いた。
私は、このティルテンベルヒでの講演の中でも、以前(1999年5月)FAS総会で「久松真一との出会い」と題した話の中で語らせて戴き、更に拙著『覚と根本実在』の「あとがき」でも多少触れたような点を踏まえて、ブレイク研究が私の人生に及ぼした意義・・ブレイクの詩と宗教観を経由して久松真一の宗教思想へ・・を語った。それが私の立場からのブレイク紹介になると思われたし、又それはおのずからブレイクの神秘主義的宗教観の独自な一面を明らかにしてくれるものと考えられたからである。その話しをここに簡略的に言えば、私には幼児期に迷子になった時に自分の身に起こったある不思議な体験があり、その時の体験から、自己の存在や自己と世界との関係が幼い頃から内面的な問いになっていたが、後年大学で英文学を専攻しイギリス・ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』の中にある詩‘迷子になった男の子’に出会った時に、自分の幼少時の体験がまざまざと思い出され、ブレイクの詩に強く惹きつけられたこと、更に、大学院に進んでブレイクの詩と宗教思想について研究を深めて行くうちに、かつて謎のように思えていた自分のあの幼時体験の深意を本気で思索するようになって行き、ブレイクに啓発されながら自分に宿る問題を内省するようになっていたことを、語った。そして、一方では、人間の揺籃期の〈無垢の世界〉に現れているような宗教の光の中にある人間性の本質と、自意識の発達と共に自我の主張に根を張って展開される〈経験の世界〉にあっての人間の状態(個人・社会・歴史の三次元で)とを凝視するブレイクの眼差しの確かさとその基盤に立つ彼のキリスト教信仰の揺るぎなさに魅せられたことを語り、彼が人間の真実の姿をそのように二つの相で捉えて幾つもの小詩の形で表現し、一対にして発表した初期の頃の詩画集『無垢の歌』と『経験の歌』(Songs of Innocence and of Experience:Showing the Two Contrary States of the Human
Soul,
1789-1794) (‘人の心の二つの状態を示して’という副題がついている点に注目)の中から、特に私が心を打たれた作品や言葉に言及した。次に、しかしまた、ブレイク研究を続けながらも、他方で、私の中の内面的な問題は、自分にとっては、ブレイクの示唆するキリスト教的救済の方向では解決できないように思われたことを、語った。それは、私がそれまで生まれ育ってきた過程に、キリスト教的な信仰が無かった為かもしれない、目に見えない絶対者〈神〉を信仰することへの疑念があった為かもしれない、と当時を顧みながら。それゆえ、ウィリアム・ブレイクのキリスト教思想に対する私の受け止めかたは、知的・客観的に理解し認識したという形に留まったというべきものであったが、逆に、ブレイクが示した独特の神秘主義的宗教観の幾つかの点は、強烈なインパクトをもって私に迫り、自己の内面の問題を主体的に問う意識の高まりと密接に結びついて行き、私に〈宗教の本質〉や〈宗教的救済の真義〉を深く考えさせるきっかけとなって行ったことを話した。その結果、最終的に私は久松真一の「東洋的無・能動的無」を唯一の宗教的真実在とする覚の宗教・哲学に導かれていったのであると語り、ブレイクの神秘主義からの影響は、ある意味で、久松思想への方向性を示す端緒をなしていたという話をした。そして、ブレイクの神秘主義的宗教観がよく表わされた作品『すべての宗教は一つである』(All Religions are One, about 1788) (これは、先に紹介した二篇の詩集『無垢の歌』『経験の歌』と同じ時期に、同じ手法で制作された挿し絵入りの作品である)を紹介し、その中で特に私の思索を刺激し宗教に対する新しい見方を啓発してくれた点を、次のように話した。
私は先ず、「あらゆる宗教は一つである」という題名に出会った時、キリスト者でありながらこのような宗教観を提示するブレイクの主張の根拠に強く関心をそそられた。ブレイクは先ず「原理第一」箇条で‘Poetic Genius’(詩的創造力)というものが‘True Man’(真の人:人間の真性)であるとし、「原理第二」箇条で「すべての人間が外形的に無限の多様性を持ちながらも似通っている、それと同様に、すべての人間は、Poetic Genius’(詩的創造力)においても無限の多様性を持ちながら似通っている」と述べている。 そして、この、Poetic Genius’(詩的創造力)は、感覚器官の限界を越えて未知のものを生み出す普遍的で根源的な創造力(「原理第四」)であり、「すべての民族の宗教はあらゆる所で預言の霊と呼ばれている詩的創造力の各民族の夫々違った受容から来ている」(「原理第五」)と述べて、すべての宗教は、その形態上の相違に関わらず、一つの普遍的な源‘Poetic Genius’(詩的創造力)から出ていることを告げ、「ユダヤ教とキリス教の聖書は本来詩的創造力に由来しているものである」(「原理第六」)と記している。そして最後に、再び「(無限に多様でありながら)あらゆる人は似通っている、それと同様に、あらゆる宗教もまた(無限に多様でありながら)似通っている、そして、似通っているものはすべて一つの源を持っているのであり、それと同様に、すべての宗教も唯一の根源を持っているのである。‘True Man’(真の人:人間の真性)がその唯一の根源であり、その‘True Man’とは即ち‘‘Poetic Genius’(詩的創造力)である。」(「原理第七」)と結んでいる。また、同じ年に制作されたとみられるもう一つの作品『自然宗教はない』では、この‘Poetic Genius’ (詩的創造力)を指して「すべてのものに無限なものを見る者は神を見る」とも述べて、それは、「神は我々のある如くになる、我々が神のある如くになるために」が実現する為の源泉の力とされている。このような断言から、ブレイクの宗教観は、宗教の根源がすべての人に内在する‘Poetic Genius’ (詩的創造力)であるとし、その‘Poetic Genius’ (詩的創造力)は、感覚器官の制限を越えて未知なるものを生み出す能力であり、すべてのものに無限のものを見、それ故、神を見る能力であり、神が我々のごとくになることを通して(=神の子イエスへの言及)われわれを神のある如くにならしめようとする力であり、この力こそ‘True Man’(真の人:人間の真性)であり、すべての宗教の普遍的な根源であるという基盤の上に立てられていることが、わかった。宗教の根源についてのこのようなブレイクの考えは、外在的媒介者を立てずに、すべての宗教の本源へ直接的に帰一すること、そしてすべての人間に内在する人間の真性‘Poetic Genius’ (詩的創造力)という源泉から自ずから流れ出る信仰生活のみが重要であると考える、神秘主義者ブレイクの宗教観の根本的な特質であった。当時の英国社会で既成の教会組織が見せていた偽善と堕落の姿への痛烈な批判が、時にリアルに時に象徴的にブレイクの詩にはよく現れる。又、ブレイクの宗教観の根本概念であり、彼が、全ての宗教の源泉であり人間の真性であるとする‘Poetic Genius’(詩的創造力)という言葉は、ブレイクと同時期のイギリス・ロマン派の間で詩作の源泉として‘imagination’(詩的想像力)を尊んだ風潮と比較しながら、この言葉にブレイクが持たせた意味を考えてみると、あの時代にあっての宗教詩人ブレイク、神秘主義者ブレイクの独自な姿がまざまざと浮かび上がる。ブレイクは創造の源泉を意味する言葉として、独自に、‘Poetic Genius’(詩的創造力)を用いた。それは、この言葉で彼が表そうとしている〈創造〉は、単に文化の一領域である芸術的創造ではなく、宗教的な意味合いでの〈世界の創造〉であり、一切のものの根源から存在者全体を創造する力を意味しているのである。ブレイクにとっては‘Poetic Genius’とは宗教的概念なのであり、神から下り「聖なるヴィジョン」を視る力という意味では、伝統的なキリスト教の概念でいえば、「聖霊」と同じような概念と受け止められうるかもしれないが、恐らく彼の宗教観からは、イエスの昇天と共に天から下った「聖霊」よりも尚一層の古さ、旧約聖書の予言者達の魂を満たし神の言を言わしめたところにも遡りうる時間的〈原初性〉と、キリスト教ばかりではなくすべての宗教の根源であるという〈普遍性〉、そして何よりも、無限の〈創造性・能動性〉という性質をより豊かに表現しうる言葉として、彼はこれを用いたと考えられる。それは、人間の営みを、感覚器官の限界の内に閉じこめて、「同じ退屈な堂々巡りを繰り返して反復する以外の何事も為し得ないで」、「速やかに複雑な車輪を持った碾き臼となり果てる」(『自然宗教はない』の一節)ような方向性の無い盲目的で破壊的な活動に堕落させることなく、宗教の光りの中で社会を建設し歴史を創り上げていく根源的な創造力、時空を越えて現在する創造の根源を表白する言葉であったと、私には考えられた。そして、このブレイクの‘Poetic Genius’は、後に久松の「能動的無」に出会った時、幾度も私の脳裏に蘇ってきた概念であった、と話を結んだ。
この話の後で、多少具体的に、大学院を終えた数年後に、ブレイクの研究を離れて久松真一の宗教・哲学思想を求めていった時、ブレイクの宗教観からの啓発がどの様な形で残っていったかを、話すつもりであったが、ここで時間が来たので、その話しに入ることは出来ないで終わった。会場に、久松真一先生のお名前とFASと言う言葉をご存じの方、又関心を抱いているらしい方は何名もおられたが、実際の先生の業績を本当に知る人は数少ないような印象を受けたので、ここで少しでも語れたらと思ったのであるが、私の話の構成の仕方と時間配分の拙さで、それが出来なかったことは、残念であった。ブレイクから久松真一へという私の話の意図をはっきりさせる為には、もう少し早くからその点に話を移すべきであったと、反省させられた。しかし、話し終えてすぐ、私の心に、ブレイクのキリスト教神秘主義を契機にして久松の「東洋的無・能動的無」の覚の思想へという流れをもう少し具体的にわかりやすく展開すべきだったという悔いが湧き上げて来ていた時、会場の中の一人の男性(この方は、直ぐ前の「禅修行における師弟関係の力学」というシンポジウムで、ご自分の体験から禅における師の在り方に極めて懐疑的な意見を提示しておられた方であった)が、挙手して感想を述べて下さり、自分は最近禅に対してかなり懐疑的になっていたところであったが、今の話から禅的な宗教への希望を回復する可能性を与えられたという旨の発言をして下さった。又、その同じ場で、逆にこちら側から、クエーカーの方に、ブレイクが重んじる〈霊視〉、いわゆるヴィジョンを視るという宗教的体験について尋ねてみたら、「自分達クエーカーの宗教行ではヴィジョンを視ることは極めて大切な体験である、但し, 勿論a vision(ある不特定なヴィジョン)ではなくthe
Vision (唯一神からの聖なるヴィジョン)を視ることですよ...」と笑いながら、答えて下さった。
午後のブレイクの詩の朗読会では、『無垢の歌』『経験の歌』から合計18篇程の詩を読んだ。前に述べたように、この二つの詩集は人間の心の正反対の状態を歌い上げているもので、同じ題材を用いて人の心が〈無垢の世界〉にある時とそれが〈経験の世界〉にある時の全く異なった状態を、対称的に歌い上げている。ブレイクの象徴的なイメージの使い方や韻律法の巧みさが一篇ずつの詩の内容を深め豊かにしていることにも、注意を向けながら読んでいった。ブレイクの宗教観がよく出ている『すべての宗教は一つである』の全文も紹介した。朗読はすべて、イギリス人の友人で3年前にティルテンベルヒでお会いして以来、手紙を通して互いに宗教的な語り合いを続けてきたゾーエ・ホワイトさん(既述のクエーカーの方)が美しい声・美しい発音で、味わい深く朗読して下さった。
この2002年夏のリトリートの中で3日間にわたり「瞑想と神秘主義」と題して、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の神秘主義者であり詩人である3人の生涯と作品に触れ、各宗教のいずれにおいても神秘主義と言われる人々は、外界との交わりから離れた境涯に敢えてその身を置き、自己の魂の最も奥深くでそれぞれの宗教が真実在(絶対者)とするものと直接的な交わりを持ち、その歓びを詩的表現に溢れさせ歌い上げている所に共通点を見い出し、宗派を問わず神秘主義的傾向を持つ宗教詩人の霊性の根源と創造の源泉について、改めて関心を深めるようになった。この28日夕刻、参加者全員で今回のプログラムについての意見交換の場を持った後、「瞑想と神秘主義」と題した講演を含む4日間のリトリートは、閉じられた。
(この滞在中に参加した最後のプログラムである書道のワークショップは、 引き続いて同日(28日)の夜から始まったのですが、その体験については、次回、稿を改めて書かせて戴きます。)