別時参加の感想

西野 茂生 法橋 史彦 越智 通世
風信48号 2003年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
          


 

十二年ぶりの別時学道体験記    西野 茂生

                       

  京都駅は連休の行楽客でごった返していた。人の波にもまれながら「ああー、選択を誤ったかな」と後悔したが、意外にも相国寺の中は、とても静かで鳥がさえずっていた。十二年ぶりに林光院の門をくぐると、牡丹の花が咲いており、水がまかれたばかりの苔の絨毯がきれいだった。

  今年のGWは、山登り、カヌー、ドライブ、映画館めぐり、読書三昧、花見バーベキューと、多彩な計画をしていたのだが、机のマットにはさんでおいた「FAS別時学道」の案内が気になっていた。衝動的というか家族の反対を押し切って、実は自分にとっても、いちばんツライ選択を敢えてしたのだ。

  しかも出発前に準備に手間取り、慌てていたせいもあってか、思い切り頭頂部を鴨居にぶつけて脳震盪を起こしてしまった。「なんか幸先が悪いな」と朦朧と思いつつ、大きなコブをさすりながら電車に乗ったのだ。

  元気な八十二歳の越智さんがリーダーで、三日間のセミナーが始まった。しかし、日々の寝不足と風邪気味、加えて今朝の脳震盪のせいか、集中力が散漫で心が乱れ、首筋のコリや背中の張りがあり、ちょっとの坐禅で足が痺れてしまった。

  いつもは朝に三十〜四十五分くらいの坐禅であるから、何坐も繰り返すのはつらい。「明日の朝、暁天坐禅が終わったら失礼しようかな」なんて思い出した。十三年前のあの東海庵での夏期セミナーは、多数の参加者であったが、今回三日間通しで参加されていたのは、わずか六人であった。

  禅堂での接心とちがって、食事は近所に食べに行くことになっている。無を追求し自己と向き合っている静的な状態から、一転して、散歩をたのしみながら、気の向くまま足の赴くまま、知らない店に飛び込める開放感がうれしい。

  スタミナをつけようと、河原町通りの「とんかつトントン」に入った。七十歳を過ぎた婦人二人連れの隣の席に座った。注文をして、家の近所にある「地蔵院」住職の松野宗純老師に電話で報告をした。老師は武生に年に半分ぐらいお住まいで、その時は、わたしが早朝坐禅にお邪魔している。

  「先生!いま京都なんです」「観光か?」「いえ、坐禅しようと思いまして」「偉いじゃないか、みんな遊んでる時に」「いえ、それが体調が悪いんで明日帰ろうかと思いまして」「帰ってきたらお寺にいらっしゃいよ」「ハイ、焼酎持参でおじゃましま〜す」

  すっかりもう、明日の朝まで坐禅をして、観光をチョットばかりして武生に帰るモードに心が切り替わってしまった。「明日の夜は楽しく禅談義をしよう!」

  注文のヒレカツ&コロッケ定食が席にやってきた。臨席のご婦人方は「トンカツソースにしようか、それとも柚子味の…」などと楽しく会話を楽しんでいる。わたしもコロッケを頬張り、あまりのおいしさにニンマリと…。

  ところが突然!「○○さん!どうしたの?ねえ!どうしたの」と突然大きな声が店に響き渡った。箸をとって食べようとした隣席の婦人が、目を閉じて痙攣を起こしているではないか。口は開かれヨダレが垂れている。汗も流れ、次の瞬間イビキをかきだした。ウエイトレスさんが飛んできて、経験があるのか、すばやく手首の脈を見て、救急車を呼んだ。長いすに横たわらせ、みんなで担架が入れるようにテーブルの移動を手際よくした。子供連れのお母さんはおばあちゃんの足を上げたり、バイトにやってきた学生は住所を聞いて、その家に知らせにバイクで走った。向こうの席にいたおじさんは「話しかけて上げてください!」とアドバイス。いまの日本、コミュニティの崩壊とか云われるが、「まだ棄てたもんじゃない」と動揺のなか思った。まもなくして婦人は、救急車で運ばれていった。テーブルの上には、友人と楽しむ筈であった「トンカツ定食」が手付かずのまま二つ並んでいた。

  感慨深げに、小学生二人の子供連れのお母さんが、子供とわたしに云った。「せめて、あのトンカツを食べてから…食べさせてあげたかった」と涙ぐんでいた。

  店を出てお寺に戻る途中、五分もしない内だった。向こうからお母さんと後ろに幼稚園と小学生の三人連れの自転車が話しながらやってきた。ところが交差点の真ん中で、幼稚園の子供が突然転倒した。顔面を打ったのか鼻血をながしている。

  向こうからやってくる車を制止し、道路の脇に子供と自転車を移した。心臓がドキドキしていた。

  「なんということだ!こうも一瞬のうちに幸せな日常が、転換するのか、一寸先が読めない…」

  夜の坐禅に入った。あのお母さんの「食べさせてあげたかった」という優しい声が耳の奥によみがえって、涙がこぼれた。まさに無常だと思った。今縁あって坐禅しているこの六人もまた会えるかどうかわからない。果たして、わたしは今を大切にしていただろうか?背筋を伸ばし、腰骨を立てて座りなおした。

  二日目、五時から暁天坐。朝の冷気がすがすがしい。住職の庭に撒かれる水の音が際だって聴こえてくる。不思議と心のザワザワが消えている。鳥のさえずりが澄んで聴こえてくる。朝食のあと、散歩に遠出をしてみたのだが、十乗院の掲示板に目がとまった。余裕のないときには通り過ぎてしまう言葉が、心にしみてくるから不思議だ。

  ヘレンケラーの「もし三日間眼が開いたならば」というメッセージである。「あなたが明日盲目になると思って、今日の日に美しいもの、感動的なものを愉しみなさい」といった内容である。午後からの座談の場で、私の坐禅体験記と併せ、皆さんに昨日からのことを披露させていただいた。

  三日間の正午前(総会前)に、締めくくりの坐禅を行った。リーダーの「今回別時学道最後の一坐です!」という厳粛な声に、集中力が最高に達した。

  「いまの日本、どうして子供たちの目が輝かないのだろうか?」「なぜこんなに恵まれていながら私たちは感謝できないのか?」「こんな裕福な国でなぜ心は空虚なのか?」「人はなんのために生きるのか?」「この世の中に何をこころの羅針盤にしていったらいいのか?」これからも、わたしの「公案」を紐解く旅を続けて生きたいと思った。

  今回坐禅をして再認識したこと。「今を生かされているんだから五感を大切にしよう!

  電脳社会でコンピューターにできないこと=感動すること!」

  福井の地で、ほんの身近な一隅でも照らせたらいいな〜、なんてホンワカとした気持ちで帰途につくことができました。お世話になりました。         

 

 

 

別時学道に参加して   法橋 史彦                

 

  GWの三日間、毎日のきつい会社勤務から解放されて、新緑さわやかな林光院での別時学道に参加できた。

  満六十二歳を過ぎた私の勤務する会社では、年功制から成果主義への人事制度・雇用形態の多様化による賃下げ、情報化による労働強化により、従来から保たれてきたゆとりや豊かな人間関係が、ギスギスしたものになってきている。

  小生も、今年から契約社員(一年契約)という比較的これまでより楽な非正規労働(パート・アルバイト・派遣労働)の仲間に入ったので、今回の別時に参加できた次第である。

 

  林光院は道をへだてて、北に専門道場を控え夏安居の接心結制中なのか、早朝から鳥のさえずりにまじって、読経の声・梵鐘・木板等の鳴りものが風にのって耳底に入り、心地よい雰囲気で坐ることができた。

  ゆったりとした大きめの坐蒲に坐り、息を整え腰骨を立てて、自心を浄化させていくには、この場所はとっておきの環境だと思う。

  参加者は少ないけれど、落ち着いて充分に坐れた。

  高齢にも拘わらず、直日を勤められた先達には、自分もその年になって、これだけの気力、道心が保たれるか、そのふるまいに励まされた。

  久松先生の全人格的薫陶を受けた先輩諸氏の道心堅固な姿を見て、将に、「勉旃勉旃」と念じた。

 

  栄枯盛衰があるとはいえ、平常道場で熱心な在京の道人達により、FASが絶えることなく続けられていることは立派なことと頭が下がる思いである。

  今回から、「楞伽経」の学究が始まり、提唱者と聞人とが一体となり新たな弁道が期待され、その成果が楽しみです。

  小生も五十歳になってから健康保持のために始めたヨガ教室に週一回通っている。二時間程簡単なアーサナ(体位法)による身体の調整を初めて十数年になる。

  金剛座(正座)による黙想から始まり、マッサージをかねた手足のほぐし、簡単なポーズでこわばった身体をゆっくりと解きほぐしていく。

  ヨガを通して、坐禅が体系化されてくるまでの永い印度の修行者の智恵を身心をあげて学習しているようで、毎週休みなく続けている。

  一つのアーサナの終わる度に、「死体のポーズ」で緊張した体を弛緩させる。

  体を動かすことによって心を調整していく気持ち良さ、終了後の身心の爽快さ、活力の充実は坐禅とも共通する気がする。

  この様な次第で、ヨガ哲学にも関心をもち、佐保田鶴治氏や立川武蔵氏の著書を読んだり、NHKの唯識の講座を聞いたりして、禅仏教―唯識―ヨガとのかかわりの浅からぬことを漠然と理解しかけてきた。

  楞伽経のガイダンスで、道元の「正法眼蔵」が大慧宗杲の「正法眼蔵」を意識して書かれたことや、「現観」(アビサマヤ)がヨガとも関連のあること等、今回の学道で新たな関心事が与えられた。

 

  思えば三十二歳位迄、神戸平野の祥福寺の下で、雲水の托鉢の声を聞き、歴代老師の提唱や各会に集いながら、禅との接点を深めてきた。

  FASを知ったのも、NHKの日曜日の宗教の時間で久松先生を偲ぶ番組が機縁だった。

  この様な諸縁を大切に今後も精進を積んでいきたいと願っている。

 

      学道雑感

@FAS綱領について

  曹洞に明治二十三年編集された「修証義」という経文があり、道元の正法眼蔵のエッセンスを在家に平易にわかるものとして教用されている。勤行で唱えられる綱領も今の時代にあった表現に出来ないものだろうか。「世界更新の聖業」や「不抜の道念」という悲壮な責任感が前時代的な感じがしないでもなく、少し気恥ずかしい感じがするが。

 

A坐る時間と坐り方について

  最近の曹洞では、「椅子坐禅」で足の不自由な人や高齢者等に足の痛みを軽くして坐る工夫がされている。坐る時間も一ちゅうを何割か短縮して、経行を簡単なマッサージ等の体の調整にあてる等の工夫があってもよいのでなかろうか。初心者も参加しやすい努力も必要ではないだろうか。

 

B銭湯について

  夏場は汗をかきやすい。安定して坐るには身体の清浄を保つことも大事だと思う。そのためにも、シャワーか近隣に銭湯があれば良いと思う。新しい参加者を迎えるための配慮も必要と思う。

 

C遠方からの参加者に対する配慮

  京は文化の宝庫であり、学道のスケジュールの中に、自由時間をとり入れることも必要ではないだろうか。

  以上、勝手なことを述べたことをお許し下さい。                     合掌

 

 

別時学道に参加して   越智 通世                   

 

  今回は五月三日午後一時より五月五日正午まで、平常道場と同じく相国寺山内林光院で行われ、その午後は総会に引き継がれた。

  第一日の提綱は常盤義伸さんの「楞伽経四巻本日語訳からの紹介―一」が開始された。それを聴くために和歌山から渡辺良次さんが参加された。梵語と漢、英、日語訳にわたる多年のご工夫の貴重な成果を踏まえてのお話である。楞伽経は最後の大乗経典とされており、〈外の世界は自心の現れである〉ということが主題である。そして後世の禅の展開と深い関係があるということである。以降は毎月第一土曜日の平常道場で継続されてゆく。多数の方々のご参加が願われる。

  今回は福井武生から西野茂生さん、神戸須磨から法橋史彦さんが十余年ぶりに参加された。ドイツから仏教研究のために来日中の神学徒ゲーベルさん、地元からは山田さん、斎藤さん、米田さんと越智。大藪さんは御家族の緊急入院付き添いのため、開会時と最終日の参加となった。百五十六回に及ぶ別時学道も、時勢の移り変わりとともに、短期間、少人数の参加となっているが、西野さん、法橋さんのご所感からは、現在の厳しく変化する社会情勢のもとでの、人々の切実なニーズが窺える。十余年前頃はFAS夏期セミナー方式も挟まれていたが、現在なしうる対応は如何であろうか。

  ともあれ私にとっては、日常生活でとかく怠りがちな坐を多少とも集中的にもてることによって、昨今の自分自身の問題の盲点に気づかせられてくるところがあった。毎日の新聞やTVで激しい世界情勢の推移に眼を奪われ、各地の戦禍や天災、人災に心を痛め続けながらも、もはや人生の最終コースに入った身には、積極的になしうることはない。身体と精神の機能の衰えのままに流されて、自ら恥ずかしい無為を感ずる日々が多くなっている。せめてものご恩返しにもと、近く刊行される「人類の誓い」単行本百部を協会の支援を得て、会員外の知己、学友、親族に贈る準備をしている。ひと作業ではあるが、それを最後として、あとは無為であってよい訳がない。落ち着けない。どうしてもいけないのである。「どうしてもいけなければどうするか」坐ればわが身心を放ち忘れて投げ捨てて、広い豊かな世界が啓かれる。活き活きした生命が甦る。坐り切れない疑団そのものも活きている。生きるとか死ぬとかを離れた世界である。(生死がない、死なないということは、普通我々は生死の中に居るから分かりません…)とは久松先生が説かれたところである。老齢による身心の衰えに執われて生活しているのは、やはり生死の中に居るのである。わが身心を放ち忘れて投げ捨てて甦る本来の自己は、身体と精神の老衰を超えたところである。老衰する主体は老衰しない。死ぬ主体は死なない。形無き自己である。生理的生命に執われて不増不減の真の生命を見失ってはならない。

  どうせ生理的生命はさらに衰え、失われてゆく。どこまでこの活き活きした生命にめざめておれるか。いらぬ心配である。それは常に今ここのことである。「直下無心」「当体便ち是、念を動ずれば即ちそむく」それは我々が刻々にもそこから生まれ、そこへ還ってゆく大宇宙の生命そのものであろう。気づくたびに、衰えは素直に受け容れて執われず、心意識を空っぽにして、大生命のままの活動を工夫しなければならない。やはり私は平常道場や別時学道を縁に、日常生活において少しでもよく坐る工夫をするほかない。坐れなくなるまで…。