苦しみを聴く〈傾聴ボランティア活動〉

大薮利男
風信46号 2002年7月(ウエブでの読みやすさを考慮し、原文の段落区切りを変更しています。)
          
 私が傾聴ボランティアにかかわって二年ほどになります。傾聴ボランティアと言っても、「なんや、それ…」と言われる方が多のではないかと思います。まだそんなにポピュラーな活動ではありません。

傾聴ボランティアと言いますのは、病院の終末期患者の方々や老人養護施設のお年寄りのところに出かけて、話を聴かさせていただくというボランティア活動です。現在、私は三カ所の老人養護施設と一人住まいの在宅老人、七、八人の方々を月一〜三回お訪ねして傾聴をさせていただくということを続けています。

この実践活動を通じて、傾聴とは一体何なのか。傾聴によって何を狙い、何をやろうとしているのか。そしてまた、私は傾聴という行為は、この道場で本当の自己に目覚めるといいますが、目覚めということと深い関係があると思っています。今日は特に傾聴とスピリチュアリテイの問題を述べさせていただこうと思います。


傾聴はただ単に相手の方とおしゃべりをして時を過ごしてくる、というようなものではありません。傾聴者は「傾聴する」という心構えをはっきりと持って相手に対しない限り、真の傾聴にはなり得ないという面があります。「聞く」ではなく深く「聴く」のです。相手と目線を合わせ、相手の気持ちに寄り添い、耳と目と心で聴くのです。相手の言葉を憶測も批判もしないで、ただ素直に丁寧に聴くのです。意見やアドバイスや励ましなどはしません。相手の鏡になるように聴くのです。この時、傾聴者が常に心掛けねばならないことは、相手の思いを確かめていくために、相手の言葉の要点を反復してあげることです。そして沈黙があっても、じっと待つ努力が必要なのです。傾聴者は何もしない、実は何もできないという面があります。聴くというより聴かさせていただくと言うのが正しいでしょう。

現代は聴くということが忘れられた時代だといえます。声高に自己主張することが善なるものとされているのでしょう。たとえばテレビの討論会などを見ていると、お互い聴く耳を持たない人たちの集まりだと思います。私たちは今一度、聴くことの意味、聴くことのすごさ、聴くことの力を本当に考え直し取り戻さなければならないのだと思います。

ミヒャエル・エンデの「モモ」は世界的な童話だと思いますが、ここに出てくる不思議な少女、モモは聴くことの出来る子供です。モモはみすぼらしい身なりをした浮浪児なのですが、この子供のまわりに町の人々がいつの間にか集まりだすのです。それは「モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にも急にまとまった考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっと座って、注意深く聞いているだけです。その大きな黒い目は相手をじっと見つめています。すると相手には、自分のどこにそんなものがひそんでいたのかと驚くような考えが、すうっとうかび上がってくるのです。モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思い迷っていた人は、急に自分の意志がはっきりしてきます。引っ込み思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てきます。不幸な人、悩みのある人には、希望と明るさがわいてきます」。小さなモモが持っ不思議な力とは、ただ相手の話を聞くことだったのです。エンデは言います。「話を聞くことは誰にも出来ると思えるけど、それは間違いです。本当に聞くことの出来る人はめったにいないのです」と。

私は良寛さんも聴く人だったのだと思っています。解良栄重が書いた良寛の逸話を集めたものの中にこんなのがあります。「師余が家に信宿日を重ぬ。上下自ら和睦し、和気家に充ち、帰去るといえども数日の内、人自ら和す。師と語る事一夕すれば、胸襟清き事を覚ゆ。師内外の経文を説き善を勧むるにもあらず。或いは厨下につきて火を焚き、或いは正堂に坐禅す」とあります。良寛さんが数日間、家に来るといつの間にか家中が和睦し、心が自然に清らかになり、良寛さんが帰った後もその和気が残ったというのです。難しい説教めいたことなどは何一つしない。にこやかに話を聴き、気軽に手伝いをやり、暇を見つけて坐禅する良寛さん。その雰囲気が良くわかります。良寛は素晴らしい傾聴者だったのだと私は思います。

臨床心理学者の河合隼雄さんは「体全体から出る共感を持って、全身で一生懸命に相手の話を聴くのだ」と言います。「不幸を嘆く人と一緒になって、二人で嘆きの谷をウロウロと歩く」のだとも言われます。そうしていると「その不幸な苦しみが、その相手の人の内で深まり、内側からその苦しみを超えていく力がわき上がり、自分の足で歩けるようにする働きがある」のだと言うのです。そして聴き手はむしろ何もしないこと、そのことに全勢力を使うのだと言われています。


これらの方々の言葉や行為は傾聴の意味をよく語っていると思います。私たちのボランティアは末期患者や高齢者の方々が傾聴の対象です。何らかの形で死を意識しておられる方々です。普通、人間は命あるものが死ぬことを知っていますが、死そのものは知らないのです。他人が死ぬことは判っていても、自分の死は見ようとしません。社会も死をタブー視し、忌み嫌い出来る限り触れないよう考えないよう死をオブラートで包み込んで、そっと置いておくことで良しとしています。誰もが死をまともに見ていないのです。
私たち人間は時間存在として生き、過去・現在・未来の時間の流れの中で、過去にとらわれ、未来に夢と希望を見て、現在を生きています。自分の将来「ああしたい」「こうなりたい」との思いで今を生きているのです。もう一つ先の絶対事実、死の前に未来というスクリーンを架け、死が見えないよう誤魔化して今を生きているのです。ですが、死が自分自身の現実になったとき、未来のスクリーンが取り除かれ、自分の明日という投影ができなくなったとき、人は今、ここ、現在の意味を問わざるを得なくなるのです。真に自分とは何か、が問われてくるのです。

それからもう一つ、死ぬのは誰もが裸です。今まで営々として築き上げた財産も地位も名誉も家族も役にたたないのです。一人で死んでいかなければなりません。私たちが拠り所にしてきた現実の世俗世界、生滅の世界だけを価値、根拠にしていたのでは死ぬにも死にきれないのです。私たちが現実を生きる中で、どこかに覆い隠し忘れたふりをしてきたもう一つの確かな次元、私たちの本来的次元、いえば脚下の事実、不生不滅の世界を確かなものにするために、自分自身の立脚点の見直しが否応なく迫られるのです。


傾聴を始めると多くの人は自分自身の過去を回顧されます。その人に起こった忘れることの出来ない感動の場面、たとえば「あの時の夕日は素晴らしかった」とか、自分の育った田舎の風景など、川や山、自然を語り出されます。あるいは人との出会いや苦しみや楽しかったこと等々、その想い出の一コマ一コマをまざまざと再現されます。そしてこの話を何度となく繰り返されます。私は同じ話を数十回となく聴いたことがあります。いつしかその人より、私の方がその事はよく知っていると思えてしまうほどですが、そこを初めて聴くように丁寧に丁寧に聴いていくのです。これら一コマ一コマの回顧を通して自分自身の人生を見つめ直し、生きてきた意味、そして今、ここに在ることの意味を問うておられるのだと思います。死を意識したとき、そうせざるを得なくなるのが人間だと思います。抽象論や空論でない自分の実践哲学、宗教が必要になるのです。もっと言えば、誰もが真の哲学者になり宗教家になって死んでいくのだと思います。

いうならば誰もが自身のスピリチュアリティ、実存根拠を問わない限り死ねない。言いかえれば死を受容して、死んでいくように人間はなっていると私は思っています(世に言う臨死体験やキューブラー・ロスの「死の瞬間」などは、この一端を語ったものと思う)。ここでは詳しく述べませんが、死の受容とは死を明らめることであり、死を明らめるということが、死の寸前であるか、数日前か、数ヶ月前か、数十年前か、これはいろいろあるのだと思います。禅では生きながら死ぬこと、今ここで死ぬことを大切にするのであり、この死を明らめるしんどさ辛さを、現実の日常性にだけうつつをぬかすことや、自身の不可思議さを呆けて誤魔化すのでなく、誰もが今、ここで自己の存在根拠を見つめきることが重要だと思うのです。

私は傾聴によって何を聴くのかと言われれば、それはその人の生の回顧を通して、スピリチュアルペイン、人間存在としての根源的な苦しみ、この「私である」ことの苦しみを聴くのだと思います。

関係存在としての人間は聴いてもらう相手があって語りだします。語ることによって自分の考えを言語化し順序だて整理し、客観化して自分自身を見つめ直します。このプロセスの中で、エンデは「自分のどこにそんなものがひそんでいたのかと驚くような考えが、すうっとうかび上がってくるのです」と言います。河合隼雄さんは「苦しみが、その人の内で深まり、内側からその苦しみを超えていく力がわき上がり、自分の足で歩けるようになるのだ」と言われるのは、ここでありましょう。
聴いてもらい、語ることによって、その人の本来性(衆生本来仏なるもの)を自分が自分で確認し気づいていくのです。気づくとは自分が自分の本性に気づくこと、「あー、そうだったのか」と心底うなずくことです。これ以外の気づきはありませんし、本当にわかると言うことは、このことでしょう。

人は説教とか、批判や指示で気づくのではないでしょう。最終的に自分が自分で気づかない限り、自ら変わるということはあり得ないのです。ですから、聴き手はあくまでも相手の道具になりきっていかねばなりません。なかなか難しくはありますが、二人であって一人だ、と感じていただけるような聴き手になることが理想なのでしょう。ここには坐禅と通じ合うものがあると私は思っています。また私は、傾聴というテクニックはFASのいう「相互参究」にとっても非常に重要なことだと思っています。


私は傾聴ボランティアに取りかかって思いますことは、現実の現場は何といろいろな問題を抱えているのかということです。特に死の問題、スピリチュアルケアについてはあまりにも悲惨な状況だと思います。社会の仕組みの中に、この視点が欠落しているのです。医療現場や老人養護施設の中でさえ、この視点からの対応は手探りです。まともな状況ではありません。現場の人たちはどこかでみな判っておられるのですが、でも手のつけようがないというのが実態でしょう。そして介護保険制度が始まって二年になります。介護保険は点数化制度です。ですから点数化できない大切な問題は無視され、抜け落ちていくのです。ここにも問題があると思います。

私が傾聴しているある老人は一人住まいです。足が悪く、出歩くことは困難です。身寄りはなく、また近所つき合いも出来なくなりました。ホームヘルパーさんが週に数回来て、掃除や買い物などをしていかれます。しかし、ヘルパーさんは時間制です。話し合うほどの余裕はないのです。私がこの老人のもとを訪ねますと、一気にいろんな話を次から次ぎに話されます。こんなにも話すことに飢えておられたのかと、この老人の日頃の淋しさを思うと本当に悲しくなります。

実態を知っていただくために、もう一つの事例をあげます。その人は老人養護施設に長くおられた九三歳のおじいさんです。半年ほど前、体調を崩され病院に入院されました。今は食欲が全くなくなり、「もうわしはずいぶん長生きした。早く死にたい」と常々言われます。このおじいさんを病院は手をベッドに縛り、点滴をし、チューブで流動食を入れる。これが現実の医療です。この現場に立って、私はどこかおかしいと思わずにはおれません。終末期の人間を、油さえ与え続ければ動く機械のように扱う医療、死を許せない医療は不自然ではないでしょうか。

私は先ほどターミナルステージにおける、スピリチュアルケアが社会の仕組みから抜け落ちているのではないかと言いました。しかし、ほんの少し昔(人類史的に言えば)、三、四十年以前の人たちは、このような心配をする必要がなかったのだと思います。当たり前のものとして既にあったのです。たとえば、物はなくとも家族に深い絆がありました。地域社会には共同体意識がありました。素朴な信仰をそのまま受け容れられる土壌もありました。生にこだわる以前に死を受け入れ、諦めざるを得ないのが医療の状況でもありました。私たちは幸福を求めて科学技術を信奉し華やかな現代文明を手に入れました。しかし、失ったものもまた多いのです。
私は現代人が現代文明を得たという業のあだ花のつけが、ターミナルステージの人たちに一気に押し寄せているのではないかと思っています。一見華やかなこの世界の裏側で地獄絵図が拡がっているのです。といって、医療にスピリチュアルケアまでも期待することは無理でしょう。宗教は死後(葬式)や現世利益の宗教になり下がっています。しかし、何と言っても、社会の中に死の問題が何らかの形で組み込まれるシステムを創造しない限り人間はあまりに不幸です。いかに生を謳歌したとしても、そのつけは終末に来るのです。

人は「生きたようにしか死ねない」と言います。それはそうでしょう。しかし、それだからと言ってこの状況を看過することが出来るでしょうか。私はこの問題は、個人の問題を超えていると思っています。生命のトレンドの中で派生している根の深い社会の問題だと捉えます。社会は忘れ、あえて見ようとしませんが重大な問題だと思うのです。

このような状況の中で、私に出来得ることは実にささやかです。でも私はささやかであって良いと思っています。具体的に地道に私の周りで苦しむターミナルステージの人たちに寄り添い、スピリチュアルペインを気遣い、看取り、共に嘆きの谷をウロウロと歩こうと思っています。このささやかな実践活動を精一杯やり続けよう。続けざるを得ないと思っています。そして、この傾聴ボランティアの輪が着実に少しでも社会に拡がることを願っています。
(今年二月に行った発題内容をまとめ直したものである)

spirituality…「霊性、魂、精神」と辞書にはあるが、ここでは「宗教性、本来的自己存在、無相の自己」などの意味を含み述べている。
スピリチュアルペイン…スピリチュアルな痛み、苦しみ。いわば、生きる意味を見失った苦しみ
スピリチュアルケア…相手のスピリチュアルな気がかりを気づかい看取ること。
ターミナルステージ…人間の終末期