【発題報告】君子財を愛す―資本主義と禅―

原田 修
風信45号 2001年12月          

 二十一世紀にはいった。パラダイム(ある一時代の人々の、ものの見方、考え方を根本的に規定しているもの)大転換の時代である。FAS人類の誓いの「各自の使命に従ってそのもちまえを生かし個人や社会の悩みとそのみなもとを探り歴史の進むべきただしい方向をみきわめる」べく、首記の表題で発題としたい。

 二十一世紀当初にあたり、今、われわれを取りまく社会環境は、経済は発展して豊かになったが、反面、心が貧しくなって人間性がなくなった。一言でいうなら「人間疎外と閉塞感」である。そこで、もう一度、原点に帰って(back to basic)学びたいと思い、マルクスの資本論と並んで現代資本主義の古典、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を再びひもとき、関係図書を読んだ。
 今、冷戦構造が崩壊し、グローバルな大競争時代に入り市場主義といわれる潮流が世界を席巻している。「持続可能な成長」実現を求め「資本主義とは何か」と問い直したい。

一、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
 ―マックス・ヴェーバー著(ドイツの経済・社会学者1864〜1920)
 この論文は、1905年に発表された。ヴェーバーは森 鴎外より二つ年下。

(1)「近代の資本主義の精神」の発生の契機
 経済学者たち(古典派、マルクス、歴史学派など)は、生産力・技術などが進歩し、資本蓄積され、商業が発展すれば資本主義に至ると説明する。しかしマックス・ヴェーバーは、この通説は誤りであると主張した。古代どんなに経済が発展してもそこからは、近代の資本主義は生まれなかった。何故か?これらの経済は、資本主義の精神を欠いていたからだ。この精神がなければどんなに発展した経済も近代の資本主義には到達しないのである。
 十六世紀にイングランド・北フランス・ネーデルランド・ニューイングランドなどプロテスタントによる宗教改革運動が起こり、資本主義の精神を涵養する契機となった。宗教改革は人間生活に対する教会の支配を排除したのではなく、プロテスタントの家庭生活と公的生活の全体にわたって、きびしい規律を要求するものだった。
 それからまた次のようにも言っている。「カルヴイニズムは十六世紀にはジュネーヴとスコットランドを支配し、十六世紀末から十七世紀にかけてはネーデルランドの大部分を、十七世紀にはニューイングランドと一時はイギリス本国も支配した。当時経済発展が進んでいた諸地方の宗教改革者たちが熱心に非難したのは、人々の生活に対する宗教と教会の支配が多すぎるということでなくて、むしろ少なすぎるということだった。
 つまり、いままでのカトリック教会の統制では弱すぎるということだった。そして彼ら市民階級たちは不承不承ではなく、自ら進んでそれを擁護し神に選ばれたいという宗教的召命行動を示したのであった。

(2)「修道院」に見た資本主義の原型
 キリスト教修道士としての最高の生活形態は、すでに中世において、いくつかの現象においては早くも古代から、合理的な性格をおびていた。修道院の生活は修道士たちを神の国の労働者として訓育するとともに、彼ら自身にとっては、自己の魂の救いを確実なものにするための方法であった。宗教改革は、この合理的、組織的、倫理的な生活態度を修道院から引き出して、世俗の職業生活の中に持ち込んだ。
 十九世紀の中葉まで、ヨーロッパにおける織物業問屋の営業ぶりは、ずいぶんのんびりしたものだった。亜麻布の場合、自家生産の原料で作った織物を携えた農民は、都市の問屋へ行き、一定の品質検査を受け、通例の代価を与えられる。各地から問屋へやってくる仲買の商人もまた、慣例化した過去の格づけによって買いつけるのだが、おたがいに儲けは相応の生計を維持して、好景気のときに小財産を残せる程度でしかなかった。同業者の営業方針はほぼ一致していたから、競争相手への反目も少なく、一日の営業時間はせいぜい5〜6時間で、あとはしばしばクラブを訪れ、ときには気の合う仲間と、世が明けるまで痛飲するといったようなのものであった。
 しかし、突如として、その安楽な生活が攪乱される時がきた。問屋を営む家族の一青年が、みずから農村に赴き、自分の要求に合致する織工を選んで、管理を強め、農民的であったかれらを、労働者に育成しはじめた。他方では、最終の購買者にいたるまでの販路を、全て自分の手中に収め、各地に出向いていっては、顧客と需要と願望―すなわち「好みに合う」ように改良した製品を、「薄利多売」の原則によって大量に売り捌いた。そのような合理化の結果、激しい競争が開始されて、敗れたものは没落の運命を辿り、気楽な牧歌的な取引きは影を潜め、厳しい冷徹な管理がそれに変わった。獲得された財産は、利子目当ての貯蓄よりも、つぎからつぎへと事業の投資に振向けられて行く。そこに流れ込んだのは多額の貨幣よりもむしろ、新しい「資本主義の精神」であった。近代資本主義の発展の原動力が、何処に由来するかといえば、それを可能にする貨幣にもまして、なによりもまず、こうした「資本主義の精神」だったのである。
 そして経済生活における新しい精神の貫徹という、この決定的な転換を生じせしめたのは、経済史上いつどこにでも見られる怖いもの知らずの厚顔な投機者や冒険者たち、あるいは「大資本家」などではなく、むしろ厳格な生活の訓練のもとに育てられ、市民的な物の見方と原理原則を身につけて、熟慮と冒険心を兼ねそなえ、熱心にしかも冷静に仕事に精励する人々であつた。

(3)資本主義の精神とは何か?
 禁欲的プロテスタンティズムは、旧来の商人たちの暴利は倫理的に最大の悪事として、厳しく取り締まっている。まさに金儲けに縁のないところで近代の資本主義は生まれてきている。資本主義文化を生み出したピュウリタンたちにとっては、かつての修道士の場合と同様に、所有それ自身は誘惑にほかならなかった。彼らが儲けた貨幣は、修道院の場合と同様に、禁欲を成し遂げたことの副次的な結果か、あるいはその現れにすぎなかった。近代の資本主義を支えているさまざまな精神的心理的な諸観念は、むしろ、こうしたピュウリタニズムのもつ別の側面、つまり営利的貪欲とはなじまない禁欲的倫理が生み出したものである。ピュウリタニズムの反営利的な倫理的諸観念のなかから、近代資本主義の成長を内面から力強く推し進める「資本主義の精神」、とくに世俗内禁欲のエートス(身にしみついた倫理)は生まれ、育っていったのである。
 資本主義の精神の特徴は以下の三点である。
 労働それ自身を尊重する
 目的合理性を持つ
 利潤・利子を倫理化する

 この精神は、職業を天職(Beruf)とし、行動的禁欲をもってこれに専念して伝統主義を打破する方向に人々を走らした。以下、ヴェーバー社会学における大切なキーワードを簡単に述べたい。
   ………………………
【行動的禁欲】 一つの目的達成のために全身全霊を集中的に注ぎ込むことである。日本語で「禁欲」というと、茶断ち・酒断ち・断食など、何かを「しない」ほうに重きが置かれている。
【天職】 神からの【召命】と世俗の職業という二つの意味がこめられている。
【エートス (Ethos) 】 倫理を内面からつきうごかす動機や規範としての倫理が歴史の流れの中で、いつしか人間の血となり肉となってしまった社会の倫理的雰囲気とでもいうべきもの。
   ………………………
(4)全日常生活の合理化こそ資本主義の道
 利子・利潤の追求は、古代から「資本家もどき」がいて飽くなき利潤の追求をした。しかし倫理的に正しいとも考えていなかった。貨幣が貨幣を生むこと、すなわち、利子・利潤は正常なことであると解釈を変換したのはカルバン(スイスの宗教改革者1509〜1564)である。カルバン派の中産的生産者層は、隣人たちが必要とする財貨を正常価格で販売すれば必ず売れ、当然そこに利潤が生まれる。その利潤は隣人愛を実践したことの証明であるとして、キリスト教の根本教義によって正当化した。人々は大手を振って心の底から喜び勇んで金儲けに専念できるようになり、資本主義はフル回転を始めた。

(5)資本主義にとって大切な「目的合理性」
 近代の資本主義は産業資本主義である。それは、複式簿記を土台として営まれる合理的な産業経営、その上に築かれていく利潤追求の営みであり、近代の資本主義はそういう明確な特徴をもっている。資本主義の担い手のなかには資本家だけでなく労働者もまた含まれている。中産的生産者層の内面に「資本主義の精神」が宿った場合、そのうちのある人々は経営を拡大して近代的な産業経営者となり、取り残された他の人々は経営内の規律に自ら進んで服することができるような近代的な労働者となっていく。
 労働者が「資本主義の精神」をもっている、この考えは労働が絶対的な自己
目的―【天職】であるかのように励むという心情が一般に必要となるからだ。この心情は生まれつきのものではない、また高賃金や低賃金という操作でつくりだすものでもなくて、むしろ長年月の宗教教育の結果、初めて生まれてくるものだ。こういう行動様式を身につけているような労働者が大量に与えられてはじめて資本主義的な産業経営が成立可能になる。こういうエートスを「天職義務」と呼んでいる。
 これは資本主義的産業経営にとって効率的に利潤を上げるという意味をもっている。もちろん、資本家たちの場合もまったく同様で、この「天職義務」というエートスを彼らが身につけているのでなければ経営者としての機能を果たしえないだろうと、ヴェーバーは言っている。

(6)「呪術からの開放」が合理化を生む。
 ヴェーバーは、「呪術からの開放」 が資本主義の精神にとって不可欠であることを強調している。この「呪術からの開放」を完成させたものこそ禁欲的プロテスタントである。そして、呪術から開放されないことには目的合理性精神は根を張らない。なぜならば、古代イスラエル人の神は極めて特異な神である。人格神でありながら生まれも成長もしない。そして自然の力に対する完全な支配力を持つ。歴史を支配する唯一独立の絶対的な主である。神が彼の民であるイスラエル人に最初に最も強く言うべきことは、自分が存在するということであった。
 シナイ山で召命を受けた預言者モーセが神の名を尋ねたところ、神は「在ってある者」と答えた。これこそ唯一絶対神を奉ずる古代イスラエル人の宗教を理解する鍵である。そして、その宗教は唯一絶対人格神との契約を根本教義とする。新約聖書ヨハネ伝には「はじめにロゴスあり、すべてのはじめにはロゴスがあって神はロゴスから天地を創造した。」とある。ロゴスとはもともと神の言葉でイエス・キリストを指すと言われている。人格をもつ神と人間をつなぐものは「言葉」すなわちイエス・キリストということになり、その関係は「叩け、さらば、与えよう」という契約関係となる。
 ここにイスラエルの宗教が論理学を発展させた原因がある。さらに、論理学は古代ギリシャにおいて数学と合体する。この体系的論理が人の世界観、人生観の中枢として、人のエートスとなっていったのである。
(7)合理的利潤を職業として組織的・合理的に追求する精神的態度
 ヴェーバーによれば近代資本主義は「合法的利潤を職業として組織的・合理的に追求する精神的態度である」と定義する。プロテスタンティズムの世俗的禁欲は、野放図な享楽に全力で反対し、消費を、ことに奢侈な消費を否定した。反面、この禁欲は心理的な効果として、財の獲得を伝統主義的倫理のしっこく桎梏から解き放ち、利潤の追求を合法化したばかりでなく、まさしく神の意思に沿うものと考えることによって、それまでの障害を打ち破った。禁欲的な節倹による資本形成である利得した財は消費的に利用されずに、生産的利用をつまりは投下資本としての使用されたのは当然のことであった。
 しかし、富の増加したところでは、それに比例して、宗教の実質が減少していった。宗教は勤勉と倹約を生み、その二つは富をもたらす。しかし、富が増すとともに、高慢や激情、現世のあらゆる欲望や生活の奢りも増大する。次第に、醒めた職業道徳に解体され、宗教的基盤の生命力が失われて、功利的な現世主義がそれに代わった。
 禁欲は修道士の小部屋から一般市民の職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、機械的生産の技術的・経済的条件に支配される近代的経済組織の、強力な体系を作り上げるのに力を貸すことになった。この体系は現在、圧倒的な力を持って、その機構のなかに入りこんで来るいっさいの諸個人―経済的営利に直接たずさわる人びとだけでなく―の生活スタイルを決定している。
 今日、禁欲の精神は資本主義の精神から全くうせ果てた。資本主義の終着地アメリカでは、営利活動は宗教的・倫理的な意味は取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり。その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀でない。将来のことはわからない。だが、ヴェーバーの次の言葉が真理となるであろう。「精神のない専門人、心情のない享楽人。このニヒルのものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。
 以上の結論は、1905年に述べられたものだが、これまで読んだことのない人に、つい最近書かれたものとして紹介されても、ほとんど誰一人疑わないだろう。そして日本のわれわれにも語りかけているのではなかろうか?マックス・ヴェーバーは二十世紀を見抜いた男といえるのではなかろうか?

二、資本主義と禅
(1)「君子財を愛す。これを取るに道あり。」
 これは、住友財閥二代目の総理事「伊庭貞剛(ていこう)」が坐右の銘とされた言葉で、この方は熱心な禅者である。それ故、白隠禅師の語録を箴言とし、これを財界人として実践したと推察される。当時絶大な権力と名誉をもち、いろいろ苦労を重ね住友の土台を築いたのである。
 この箴言は、君子すなわち経済人が財を愛すとは。宇宙・仏からの預かりものの財を今日の使い捨て思想でなく、勿体ないという精神で、財を愛し、物心一如のこころで接したのだと思う。これを取るに道ありとは、商売は堅実第一で暴利を貪るな、浮利に走るな、筋道を通せということである。明治15年に、従来の家訓を整理して「わが営業は確実を旨とし、時勢の変遷、理財の得失をはかり、これを興廃し、いやしくも浮利にはしり、軽進すべからざること。」と新しい家法を作った。すなわち、堅実第一、時代の流れをよく見て、良きを取り悪しきを捨て、バブルに走るべからずということである。
(2)「君子 財を愛す これを取るに道あり」の出典について(常盤さんによる) 白隠禅師がその主著『息耕録開演普説(そくこうろくかいえんふせつ)』(56歳、1740年に提唱、3年後上梓)で紹介。この言葉を含む一連の話を、その出典『五家正宗賛(ごけしょうそうさん)』巻4 洞山暁聡(ぎょうそう)禅師の項によって記す。◎洞山暁聡禅師は、雲門文偃(ぶんえん)【864〜949】の第二世・文殊応真に法を継がれた。
 暁聡が初めて師文殊に会ったときのこと、師は大衆に問いかけられた。「直鉤(ちょくこう)は顎に珠をもつ黒い竜を釣る。曲鉤(きょくこう)はガマかミミズを釣る。いったい、竜はいるか」しばらくして師が「労して功なし」と言われるのを聞いて、暁聡はすぐに悟るところがあった。
◎暁聡が雲居山の寺で灯明係をしていたとき、ある僧が「泗州の大聖が近ごろ揚州に出現したのだろうか」と言って、みんなにこう尋ねた。「泗州の大聖がなんのために揚州に出現したのだろうか。」暁聡が言った、「君子は財を愛する。これを取るには道がある」
◎後に僧が蓮華峰の庵主に暁聡のこの言葉を云って聞かせた。庵主は大いに驚いて云った、「雲門の児孫は今も健在だ」そして真夜中に雲居山の方向に向かって礼拝した。
 白隠は、この話を大体忠実に紹介【文殊の「労して功なし」のあとに、のちの暁聡の上堂の言で、現存しない寒山詩の一句、「亀毛寸寸長し」を師文殊の言葉として加える】としたあと、蓮華峰の祥庵主が文殊応真とは別系統で雲門文偃の流れをひく人であること、この庵主は禅機の機鋒の極めて鋭い人であること、その人が、『論語』に記される孔子の有名な八語「君子愛財取之有道」を暁聡が云ったからと云って、なぜそんなに驚喜する必要があつたのか、ここは大いに考えなくてはならぬところだ、と評する。(中央公論社、大乗仏典、中国日本篇27『白隠』140〜1頁参照)
 白隠が『論語』の言葉と解した暁聡の言葉は、実は『論語』にはなくて、『宋高僧伝』巻18【感篇6―1】唐洒州僧伽(とうししゅうさんが)項に由来する。僧伽は、その不思議な行跡のゆえに泗州の大聖と評された伝説上の人物である。僧伽が晋稜にきたとき、国祥寺が荒廃しているのをみて、その復興を考えた。則天武后の万歳通天年間(696〜7)に淮河の岸辺から河の中の一船を呼んで、僧伽が云った、「汝に財あり。吾に施さば刑獄を寛くすべし。汝の載せるところはひょうりゃく剽略(ぬすんで)して得たるのみ』盗賊は云われたとおりにすべてを放棄した。おかげで仏殿がそれでもって成った。揚子県獄に拘留された盗賊は、雲に乗って降りてきた僧伽が「安心せよ」云って去ったあとまもなく届いた政府からの赦免状のお陰で、死刑を免れたと【大正50・822b  上記『白隠』注55参照】。この話を踏まえて、暁聡は泗州の大聖の揚州への最近の出現の意味を、上の八語に表現したものと考えられる。
 揚州は、特定の地域であると同時に、財を愛する、欲望的存在としての人間の世界を代表する。財を愛することが社会の苦悩を無視して行われる自我中心のあり方ではない「道」の在り方として開けてくること、それが「直鉤」に竜のかかる境界だ、という理解が暁聡にあったのではないか、とおもわれる。
 以上、状況の正確な理解を期するため、常盤さんの手を煩わしたが、文殊応真の言葉で、真直ぐな鈎は大物を釣れるが、曲がった鉤は小物しか釣れない、と深い関係があるのではないか?また、暁聡の言葉の受け取り方は、どういうように考えたらよいか、私は「伊庭貞綱」さんが取られた考えを採用したい。
 なお、常盤さんの話によると現在でも臨済宗の僧が托鉢にでるとき首にかける頭陀袋のたれの裏に「君子財を愛すこれを取るに道あり」が書かれているらしい。臨済宗ではこの言葉を非常に大事にされているということである。

三、統括
(1)プロテスタンティズムの倫理は近代資本主義における利子・利潤の正当化を成し遂げた。日本資本主義社会において、今日まで利子・利潤の倫理的正当性を論議されたことがあろうか?。松下幸之助さんでも業半ば、だいぶ経ってから企業は利益を上げ税金を納める社会的責任があると明言されたことを聞いている。
(2)日本においても将に二十世紀末バブル崩壊後、ヴェーバーが予言したごとく日本をリードしてきた人々のなかにも「精神のない専門人」として九仞の功をいっきに欠いて転落されたことについて、私は人ごとでないように思われる。
(3)「恒産なくして恒心なし」私はサラリーマンとして、この心構えで処世してきた。戦中・戦後の惨めな想いが深く心に焼き付けられたためか。しかし久松先生は「恒産なければ恒心なし」という考えでは難局を切り抜けることはできない。およそ難局というは恒産なき場合である。恒産がなかったならば失われるような「えせ恒心」では恒産なき場合の難局をどうして切り抜けることができようか。「雪後初めて知る松柏の操」「事難うしてまさに現れる丈夫の心」とはこのような場合をいうのであろう。生理的生命の危機に瀕しても、変わることのない真の恒心こそ精神的生命である、と喝破されている。ここで私は「恒産なくとも恒心あり」の境地を得たいと思う。
(4)MORE and MORE(もっと・もっと)という二十世紀型「もの万能主義」を「もういいじゃないか」へ、パラダイム・シフトしなければならない。すでに成長の限界をさけばれてから久しい。地球規模の環境問題である。化石燃料に依存してきた大量生産→大量消費→大量廃棄の一方通行型社会から、持続可能な循環型社会へ移行していかなくてはならない。そのためには、これまでとはまったく違った価値観・思想・行動様式・ライフスタイルを創造してゆかねばならない。この問題については今後の課題にしたい。
(5)日本経済をよみがえらせる鍵は、新しい事業、プロジェクトに取り組む意欲と姿勢が求められている。本質的に企業者とは革新を行うものである。革新は新結合でもある。新結合とは、生産的諸力の結合の変更である。新財貨・新生産方法・新販路・新供給源・新組織の導入である。
(6)ヴェーバーは、近代資本主義を生むのは目的合理の論理であると言った。目的合理の真髄は形式合理性(数学のように計算できる)である。計算可能性の例として複式簿記をあげている。また、マルクスの一元的な立場をとらずに世界史を動かす原動力は宗教と経済の相互作用であるとした革新的な史観を創始した。彼の立場は多元論であるから、いかなる一元論にも、決して絶対的な権力を与えてはならない。これが過去の全人類の全歴史を合わせたよりも、比較にならないほどの多数の死者を出して得られた二十世紀の痛切な教訓である。
 一元論は、すべてを敵と見方に分ける二分法と表裏一体となって、自分の側を「善」とすれば、相手側は許すべからざる「悪」であって、それを絶滅しない限り、理想世界は実現されない。という目の吊り上った「正義の」狂気を生む。近代資本主義社会は人類が理性で考え出した現実的。合理的なシステムである。もちろんいい点もあれば欠点もあるこれを批判して修正をしてゆかねばならない。結論的に経済行為は「効率と分配」を如何にするかという問題であって、現実の社会ではこれが左右に振れながら試行錯誤し歴史を形成して行くのである。
(7)日本資本主義は、明治維新により「脱亜入欧」「富国強兵」をモットーにドイツをモデルに近代国家形成を行ってきた。昭和維新後、太平洋戦争に敗れアメリカをモデルに「富国経済第一」をモットーに「追いつけ、追い越せ」と脅威的経済発展を成し遂げた。「おごれる平家久しからず」1990年、バブルの崩壊が始まった。以来、今日のデフレ不況に悩んでいる。「もっと、もっと」という物質万能の飽食時代から、この辺で「もういいじゃないか」、それよりも「少欲知足・足るを知る心」で真の「豊かさ」―精神的満足の追求であり、国敗れ置き忘れてきた人間的で崇高な精神的規律の復興であると思う。天は今、日本国民に物心両面にわたって真に厳しい試練を与えた。この試練を「禍を転じて福とする」ために更なる近代科学の追求と全地球大利益共同体がグローバル化のなかで形成されようとしている。たとえ利益共同体であっても相手の立場に立って考えるという「思いやりの原理」が、行動基準として相互に承認されなければ、その結合関係はとうてい永続しない。二十一世紀地球共同体を築き上げ、人種、国家、貧富、宗教、男女の別なく、みな同胞として手をとりあい、誓って人類解放の悲願を成し遂げ、真実にして幸福なる世界を建設しなければならない。