一 ラ氏は高校時代に、義母のインドネシア華僑の家族と同居して、この義母からアジア的な生き方を教えられ、それまでのヨーロッパ的な生き方が必ずしも自明なものではないことを知って、一種の解放感を得た。「そのままにしておきなさい」「強制しては行けません」「まだその時ではありません」「辛抱してちょうだい」などの言葉から、何か違うものがあることを学んだ。
高校の先生でドストエフスキーのことをよく話してくれる人がいて、この「ロシア人の服を着た東洋の智恵」(阿部正雄氏の言葉)、すべてのものは言葉に表現できない最も深い実在を指し示しているのだという彼、の宗教的な自覚に心を引かれた。
二〇歳頃、老子の道徳経を読み始め、またドストエフスキーの全著作を読み出した。オランダ、アムステルダム大学でロシア語とロシア文学を学び始めた。その後、学位をとるための準備としてオランダ、ネイメヘン大学でフォルトマン教授について宗教と文化との比較心理学を学んだ。この方は西洋文化の一面性と自覚の問題とに取り組み、西洋文化およびその宗教性の崩壊を肯定していた。ラ氏は同じ問題にロシア文学を通して迫っており、西洋とは違った宗教的な姿勢があることに、自分が陥っていた行き詰まりからの解放の可能性を感じていた。ラ氏はこのころ仏教について本を読み始めていた。一九七〇年に、ルーヴァン大学教授となった後初めて日本を訪れて、禅を知ることになった。奈良と京都で哲学を教えていた阿部正雄氏と出会ったのもこの時である。
そのころ離婚したばかりだったラ氏は、阿部氏との最初の会話の中で転機を得て、二度目の日本訪問以後、阿部氏を通してFAS協会と接触するようになる。全部で五、六回の日本訪問の間に、京都、大徳寺、竜光院で小堀南嶺師について座禅を始めた。時には曹洞宗、安泰寺の内山興正師をたずねたこともある。後にアメリカ合衆国、プロヴィデンスの禅センターに、韓国のソウング・サーン師を訪ねて数カ月滞在した。
ラ氏の禅修行にとってもっとも決定的な意味をもつのは、約十五年前、インドネシア生まれの中国人の禅僧、ド・ジョン(徳浄?)(別名、ジナ・ラックイタ)師の僧堂で夏休みを過ごしたことである。この方は、ホンコン、台湾、サン・フランシスコではよく知られている人で、オランダで学業を終えた後、一九五〇年頃僧侶になったこの方のことは、John Snelling: The Buddhist Handbook--A Complete Guide to Buddhist Teaching and Practice に紹介されている。この方の師は中国、フォ・ティエンにあるクアング・フア寺出身のベン・ジョン(一八八七−一九六二)師である。ベン・ジョン、ド・ジョンの二人とも、ナショナリズムの勃興しているインドネシアで、外国の民衆の宗教である中国仏教そして禅が、そのままではやって行けない、インドネシアの表情が必要であると痛感した。ド・ジョン師は、ビルマで禅定を学び、テーラヴァーダの伝統を受ける上座部のビク(マハー・ストゥハヴィラ)となり、同時に臨済系の禅師として故国インドネシアで仏教の文化変容を生涯の仕事とし、仏教諸派を統合してサングハ・アグン・インドネシアとした。
一九八七年、ラ氏はこのド・ジョン師から印可を受けたが、ラ氏自身は法系の問題に拘束される考えを退ける。すなわち真理は常に至るところにおいて働き、規則や機構によって縛られるものではない。東洋に見られる師弟の関係は、西洋文化に移植することのできないものである。極めて閉ざされた個人的な「密室の仏教」は、逃避であり、幻想である。
二 クリシュナムルティは、師弟の関係、グルという姿勢に十分な注意を払うように警告する。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官が明らかにする人間の、自由な自主的な決断への恐れなども、十分に心に止める必要がある。
禅を心理学的に説明したり精神療法に使ったりすることは、本末を転倒する恐れがある。精神療法は存在そのものを癒すものではない。一方、禅はしだいによくして行くというものではない。座禅をしたことがあろうとなかろうと、禅、そして宗教の体験において本質的なことは、今ここで、あなたはそのあるがままに受け入れられている、ということである。それは何らかの「経過」ではない、「頓」の自覚である。二十年座禅をしたとか、多くの公案を解いたとかの必要がまったくないものである。たとえどのような断片、ごみ、崩壊、無力をもよしとする全一性、極めて深い、なんとも名付けようのない全一性にかかわるものである。
ラ氏にとって臨済の「殺仏」の語は、本質的な公案である。強いカトリックの環境で育ったラ氏は、高校時代以降長い間の聴罪司教との接触で自分を含む多くの人々が永遠の断罪に宿命づけられているという信念を抱いた。そして罪を離れた清純な、神を求める生き方の強い性愛的渇望と、それにはげしく抵抗する欲求との行き詰まりに苦しんだ。二十歳から五十歳頃までの間、常にこの行き詰まりが続いた。しかしあるとき、これが爆発した。神と、そしてそれまで祈りを捧げて来たすべてのものと、を呪うという奇妙なことが起きた。それは、同時に、神への冒涜、聖なるものへの不敬、性的拘束からの解放において極まった。それは言わば、可能な限りの深淵に、はっきりした意識と自由意志とをもって断固として降りて行こうというものであった。それは、言わば、自分を打ち砕き自分の全存在に深く突き刺していた現実のすべてに最後的な決着をつけようとするものだった。数年前の出来事であり、今はもうない。
ラ氏は続ける、これで自分の世界は崩れる、天が崩れ、自分が発狂するだろうと思った。しかし実際には何事も起こらなかった。ただ最大の発見は、「おれはそこから落ちようがない」ということだった。「そこ」が何かをいうことはできなかった。ただ、突き破るために上へ登ることも下へ降りることも、必要ない。これは久松氏の基本的公案の裏側になる。《どうしても自分を破壊できないときはどうするか。》矛盾に聞こえるが、無力、それが救済だ。
これは知的な洞察でもなければ感情的なものでもない、十五年前の阿部正雄氏の言葉の真理が蘇った。君はそのままで救われている。私はそこから落ちようがない、と。これは無限の信仰であって信仰以上のものだ。これは自分の内面から起こったことだ。これは自分の公案、大疑団であった。とことんまで苦しんで取り組まざるを得ないものだったが、とことんのところは、それほど苦しいものではなかった。
自分の問題は他の人々にも生きていることを知った。それは人類の基本的な問題であると思う。日本の禅者、白隠和尚と彼の地獄への恐怖とをみよ。「西洋仏教教団の友」(Friends of the Western Buddhist Order)の設立者、サングハラクシタが「仏教と涜神」をテーマにした仏教と西洋とについてのシリーズで自分が長く苦しんだ状況を取り上げている。すなわち西洋の人々はキリスト教の伝統をずっと以前に離れたと思っていても、神や地獄への恐怖に行き着く無意識の恐れに苦しんでいることが多い、と。阿部正雄氏は、『禅とキリスト教との巡礼』(A Zen-Christian Pilgrimage)に「禅とキリスト教との創造的な対決に向けて」という論文を寄せ、神と私との二元論がキリスト教世界で育った者にはいづれ神と悪魔との二元論に陥り、究極的には実存的な体験を通して越えられなければならないことを述べておられる。「それゆえあなたがどこにいようとも、実在そのものがその全体を露にすることができる」と。伝統的なキリスト教のなかで育った人にぜひこの論文を読むことを薦めたい。他に、ジェームズ・ジョイスの自伝小説『芸術家の若者としての肖像画』、ウイリャム・ブレイクの『天国と地獄との結婚』を薦める。そして、上と下、天と地、光と闇、神と悪魔に絶えず分裂する西洋の人間の自己崩壊が描写される心理学的、文化的研究のおびただしい文章は、すべてこの公案が西洋にとって基本的なものであることを明らかにする。
禅および宗教は、精神療法の段階をはるかに越えたものである。目的のない、意味のない、役に立つことのない座禅をすることが以前に劣らず今も重要であり、本質的である。今ここには始めと終わりとがあるだろうか。ない。個別のそして文化としての心理的な内容は、一つの基本的な公案の「クロール・ロカール(地方色)」に過ぎない。今ここで自分が何ものにも支えられてはいないこと、しかもそのことで自分にできることは何もないのだ。宗教的なこの無条件の在り方を示そうとして自分は、グレース、恩寵、という西洋的、キリスト教的な言葉を用いる。東洋には、プラサーダ(心の「澄浄」)という言葉があり、グレースと無限の信仰との両方を表すためにヒンドゥー教と仏教とで使われている。それは我々の自我に由来しないものだが、他者に由来するものである訳ではない。このグレースがすべての人に現在することを自分は確信する。四弘誓願の始め、「衆生は無辺だ、私は誓ってこれを救おう」と言うが、禅ではすべての人は既に救われている、とする。現実には人は救われていない。この矛盾を説明するために阿部正雄氏は縦と横の線の交差というイメージを用いる。縦の線ではすべては今ここで救われている。しかし横の線は、久松が歴史を越えた歴史と言うところ、ノルヴィジのジュリアーナが「すべてはよくなろう、すべてのものの在り方はよくなろう」と言った歴史の面であり、未来が強調される。万人の復活はギリシャーロシア、正統派神学で形成された信仰であり、ドストエフスキーに表現され、ロシアの宗教的な文学に一貫する糸である。
ここにおいてマハーカルナー、大悲、菩薩の誓願、久松の人類の誓いの源がここにある。外に具体的にどうしてよいか分からなくても、救われていない人との連帯の中に止まるだけで十分である。そうすればこの人は救われる。人を救う方法とかテクニークとかはないのだ。あるのは、ただ、宇宙全体のなかでただ一人の人が自分の心の奥深くでこの全体的な連帯を感ずるという事実だけだ。これのみがすべての冷酷さを克服するのだ。この信仰は自我を完全に脱しているからこそ、慈悲を行じ続けるのだ。
January 10, 1997