エチカ・ポリチカと死の虚無

米田俊秀
風信35(1997.3)

『創世記』にイサクの双子の兄弟の話がある。先に生まれた兄のエサウは家督権を持ち狩りを生業とする人であり、一後から生まれた弟ヤコブは天幕に住み素朴な人であった。或る日、ヤコブが食物をつくっていると、死ぬほど疲れ果てて狩りより帰ってきたエサウは、早くその旨いものを喰いたいという。ところがヤコブはあなたの持っている家督権を売ってくれないかと頼む。エサウはそれに答えて、「私は死にそうだ、此の家督の権私に何の益をなさんや」と、ヤコブにその権利を売ってしまう。そして食物を喰い且つ飲んで立ち去った。エサウは斯の如く家督の権を軽んじたり、というのである。

つまり我々は何をもって価値を判断するのか、ということである。エサウは家督権と食物との選択において最も自分に相応しいものとして食物を選び取ったのである。自分にとって相応しいものは何であるかを考察する事がエチカの主題である。しかし、その選択の条件はどの様であったのか。エサウは今死ぬほどに疲れ果てている。だから早く物を喰いたい、それにひきかえ何時手に入るかわからない家督権などは当てにはならない、まして自分は狩人である、何時死ぬか分かったものではないと判断したのであろう。

更にいえば、死すべき者としての有限な者にとって相応しいものは有限な何かであり、無限なもの乃至は時間を越える様な理念的なものはよそよそしいものと思われ、そうでなくても重苦しいと感ぜられるものなのである。「全世界の絶対平和を叫ぷことよりも夕餉の憩いに満足することの方がどんなにリアルであることか。」蓋し問題は死である、「死の虚無」なのである。無常な生とこの現実を見てしまうと、何時かは死んでしまうこの身、どうでもよいではないか、と見定めてしまうのは我々の底に死が見えてくる時である。

 この様な死の虚無を含む人間的生の現実は不安定であり、相対的である。善悪の区別や共存という正義ももはやどうでもよいことになってしまう。その様な思いへと陥ってしまう元凶が「死の虚無」であろう。久松は日常の生活は生とも死ともいえない混沌たる生活であるという。素朴な生また現実は有無相即の形をなしているといえる。そこに或る種の常識の世界が成立していると見ることもできるであろう。しかし生と死の明確な区別が意識され、いかも生が死に撞着する時我々は自己の底に克服されるべき何かを見るのであると思う。

一方、この様な人間的生のなかで生き切る可能性の智恵を我々は獲得している。それが処世知である。ところがこの処世知はどこまでも相対的で懐疑的であり、つまり虚無を含む知であるということである。エチカの成立には不完全である。端的にいってエチカは生の肯定の上に成り立つものである。死の虚無はそれを崩壊するものであり、刹那的な生か或るイデオロギーに幻惑され生の有限性を隠し、生の積極性を否定するに至るものであろう。そこにはエチカもポリチ力も成り立たない。存在の建立は塞がれてしまう。有限と見られるこの人間の生という現実が何らかの形で肯定されなければならない。「死の虚無の克服」がなされなければならない。それが生のもつ真の必然性であると思う。

例えば、死後の世界を信じる事によりこの生の肯定と永続性が獲得されるという場合があるでもあろう。この世の生が死後の世界が在ると信じることによって意味をもち積極的な生に転換されるでもあろう。しかし死後の世界が在るのかどうかは人間にはわからない。この様な死の虚無の克服は古来宗教の領域であった。ところが現代の宗教はその事に無力になりつつある。西谷がニヒリズムの超克として受けとめている事柄である。その超克とは「不生」に目覚めるところにこの現実の生が問題なく自分自身に肯定できるということになるということであり、ありのままに帰るということであるといわれる。その様にこの現実の生が肯定されるというところに初めて、何が私にとって相応しいかを決するエチカと共なる生の共存を創り上げるポリチカが共に可能になると思われるのである。この転換された生の肯定、そこでは最早カントが徳と福との一致の保証として要請した神の存在や魂の不滅は不必要となるであろう。一歩一歩がリアルな意味をもってくるからである。

 以上の事柄が「宗教から倫理へ」といわれていることの基盤をなすものと思われる。敢えて蛇足を付け加えれば、生死を超越した真人の目人間丸見えの目とを具して生き切るいうことではないかと思う。