パグウォッシュ(Pugwash)会議の意義

鳴海元
風信第33号(1995.12.9)

 表題の会議が開かれる2年前(1955年)に、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルと、著名な理論物理学者アルバート・アインシュタインの二人が、いわゆるラッセル・アインシュタイン宣言を発表したが、それから今年で丁度40年になる。また本年この会議の事務総長を当初から務めたロンドン大学のロートブラット教授がノーベル平和賞を受賞し、改めてこの会議の「意義」が再確認されたといえよう。
 この会議の正式の名称は「科学と国際問題に関する会議」であって、その趣旨は「核兵器」の発達によって、人類が未曾有の危機に直面し、いかにしてこの危機から逃れ得るかを「科学者自身の社会的責任」として、世界の科学者と協力して考えることを養成したものである。
 しかし発足当時のイディオロギーを異にする冷戦下で、この会議を開くことは政治的にも極めて困難であったが、それにもかかわらず、この問題は「民族」「国家」「思想」「宗教」を超えて、ただ「人間」として、人類の存亡に関わる、看過しえない課題である、という「一致した認識」によって、ようやく開催に至り得たのである。 この会議は、わが国からの湯川教授を含む11人の科学者、そのうちアインシュタインをはじめ六人のノーベル物理学賞の受賞者を発起人として、1957年にカナダ東部のパグウォッシュという小さな町で開かれて以来、今年で45回を数えるが、その不断の努力にもかかわらず、冷戦の終った今日においてすら、「国家の威信」とか「戦争抑止」と称して、なお核兵器の共存の論理のまかり通っている現実は、科学者として、人類の一員として、人間の「良心」あるいは「知性」をさえ疑わしめるものと言えよう。
 この会議の発端は、科学者の社会的責任を踏まえた運動の一環という形をとったが、この核兵器の技術的開発のみならず、原子力の平和利用においてすら、これらに関わる問題の根底には、科学者に限らず、また良識的な平和の論理を超えて、「人間の存在」に関する基本的な課題があるという「事実」は見逃しえないと言えよう。 かつてこの会議がわが国において、いわゆる京都会議として1962年に開かれた際にも、人間性の根底に触れたこの問題が強調され、谷川徹三氏は、1949年にアインシュタインが国連総会に送った公開状から、「全体的破壊を避けるという目標は、他のあらゆる目標に優位せねばならない」という言葉を引用して、これを「アインシュタインの原則」と名付け、その目標という言葉を「努力」という言葉に替えて、新しいモラルの原則として、その「意義」を詳細に論じたことが記録されている。
 一方アインシュタインは、「なぜあなたは人類の破滅にそれ程まで強硬に反対するのか」という問いに対して、次のように、「社会の安全性が今日ゆゆしいまでに破壊されている事実」、「そこから来る個人の心の平衡(バランス)の喪失」を指摘した上で、「その平衡を回復しようと空しく努力した末に、その望みを失ってしまったための言葉である。」と答え、その結果「自分の属している集団にたいする無関心や敵意が生まれてくる。そのいわば「社会的意識の麻痺」に由来する。」と説いている。 要するにパグウォッシュ会議の意義は、その根底に、政治や経済の問題にとどまらず、倫理や道徳をはじめ、文化の創造を育む「人間の知性」を支えている「宗教的課題」をさえも提起しているという事を明らかにしておきたく、敢えて一言申し上げた次第である。(1995年11月27日