私たち個々人の問題はまったく特殊であるといえますが、しかし、その底に流れる普遍を私たちは読み取ることができます。むしろ具体的で特殊なことの中に共感や感動が走ります。私たちが生身で現実を生きていくという事は苦悩を伴うものだと思うのです。そこのところを、お互いできる限り裸になって投げ出し、その意味する根底を宗教的にお互いが問い、真実への足掛かりとなるものへ一歩でも踏み込んだ論究ができる場になればと思います。
今日は私の番ですが、私自身あまり器用な人間ではなくて、不器用にしか生きられないものをずっと持っているものですから、自分の問題ということになれば、やっぱり「愚直さ」、「愚直なるもの」、それはどういうことかということを一度考えてみたい。そしてできれば話をしてみたいと思っていたのです。
「愚直なるもの」というのは、誰もが同じように持っておられるものだと思うのですけれども、そういう愚直さを私自身もずっと持って生きてきました。しかし、そのことに対して、私自身は実は非常に不満であってですね、「もっと格好よく生きたい」という思いをもう一方の裏側にいつも持っている。
その矛盾の中で、私は愚直に、馬鹿正直にしか生きられないということがずうっとあるのです。これは今もそうですし、これからもそうだろうと思います。ですから「私を話す」ということは、私の奥底から突き上げてくるような、愚直というようなものについて話してみたらどうかと、実は前から思っていたのです。
その一つは、今年の一月の論究会でアメリカ文学を専攻される山内先生が、「アメリカのデモクラシー」ということについて話をされたのです。ご専門のアメリカ文学を通して、アメリカのデモクラシーの底辺に流れているものを話されたのです。
代表的なアメリカ文学の作品を幾つかお話しになった中で、フォークナーという作家の『八月の光』という小説の中に出てくる女主人公の話が、私は非常に心に残ったわけです。その女主人公というのは、貧しい農家に生まれて、まったく純粋無垢、イノセンスという生き方しかできないわけですが、その女性が男にだまされて子供を孕んで、その子供と一緒に性懲りもなくその男を追い求めていくという、そういう翻弄される生き方をする一人の女性なのだそうです。
この作品について、フォークナー自身がどこかで語っているということです。「自分は実はギリシャ神話の中に出てくるような女性を語りたかったのだ」と、「それは時代を超え、場所を超えて、どこにでもいる一人の女性だ」と、そういうことを言っている。この話を聞いたときに、私はやっぱり、イノセンスということが愚直とか良心とかいったものとどこか通ずるものだと以前から思っていましたので、非常に気になる話としてそれを受けとっていたのです。
もう一つの出来事がありました。実は二月の終わりに、私の姉の主人が亡くなりまして、葬式に行ってきました。六四歳で亡くなったその人は、そんなに恵まれた幸福な生き方をした人ではなかった。農業をやりながら、庭師をやっていたのですけども、まったく融通のきかない馬鹿正直な職人、愚直さそのものを丸出しにしたというか、そういう生き方しかできなかった人なのです。その人の晩年を私はずっと見てきたものですから、どうしてもそのことが気になっておったんです。この人のことについては、もう一度後でふれてみたいと思います。
もう一つは、先日から平常道場の論究で、池長先生を中心にして読んでいる西田幾多郎の『善の研究』ですが、この間読んだところで、西田先生は「深く考える人や真摯に生きようとする人は、知と情意の一致を求めている」ということが書かれている。論究では、知と情意はパラドックスの関係にあるのではないか、自己矛盾そのものではないかという意見がありました。私もそう思います。ところが西田は「知と情意の一致を求めるものである」ということを言っているわけです。このことについても私の思いをお話ししてみたい。
何故かというと、私は愚直なることとか純粋無垢というのは、情意の世界のことだと思うからです。少なくとも知の世界のことではない。愚直とかイノセンスなるものは、私たちがこの現実を生きている中で、自分自身の深みから突き上げてくるものとして捉えざるを得ないと思います。
現代の社会というのは、やはりそういう人間の深みを無視することから起こる問題を、いろんなところで排出しているんじゃないか。末永さんがおっしゃった学校の問題とか、私なんか企業に勤めていて思うのですが、そういう情意の世界を切捨てていく現代、それを軽く見ていく現代に非常に問題があるんじゃないか。情意の世界を大切にしない現代の社会・世界というのは寒々しい、砂漠のような世界であってヒューマンな世界ではない…、そんな思いがしてならないものですから、その角度からも愚直ということを話してみたいと思ったのです。
私は実は、宗教や哲学なんていうものには、全く興味はありませんで、なんとなく理工系が好きで、技術者になろうと思ってきたわけです。凡々と長い間、まあ30代前半までは、宗教なんてものはむしろ迷信だというような思いがどこかにありました。科学が発達したら宗教なんてものは吹き飛んでいくものであろう、という思いを持って実はずっとやって来たのです。
どんな価値観をもって自分が生きていたのか振り返ってみますと、「人並みに何とか格好よく生きたい」、そんな思いの中で「他人の目をいつも気にして、右左を見てちょっとでも出てたら喜んでいる」という程度のところに価値観をおいた生き方を私はしてきたわけです。人間というものは、本来的に他人との比較の中でしか生きてはいない、これは事実でありましょう。これは生きるものすべてがそうだと思うんです。その辺の道端の雑草一つにしても、隣のものよりは伸びたいという背比べの世界の中に生き物は生きている。そういう業をもっていることは、くつがえしようのない事実だと思う。この生々しい本能のままに、他との兼ね合いだけを価値観にして、実は私はずうっと生きていた。そして、「まあ何かしら人並みに」というようなところで、学校に入って、就職をして、当たり前のごとくに仕事に就いた。世間的な常識からいえば大過なくといいますか、いい気になってやっていた。そんな生活をずっと、なんの反省もなくやってきたわけです。
ざっくばらんにプライベートな話をしますと、私は結婚をしましたが、これもまあそんな仰々しいことは言えない。私の回りにいた女性をたまたま好きになって結婚したという程度の私でしかないことは、これは事実なのです。格好よいことを言うならば、またどうにでもかっこうを付けて飾ることはできるでしょう。しかし、事実はそうではない。自分自身の本心は、私が持たされた欲望のままに結婚をして、いつの間にやら子供ができた。そして訳の分からんうちに親父になっていた。そんな自分をまざまざと見る。一人前の大人の格好はしていても、何一つ本当のことは分かってはいない。恥ずかしいことではありますが、そういうのが偽らざる私ではなかったかと思うのです。
その根底には、アダム・スミスのいう自由競争社会というのでしょうか、好きなように個々人が自分の利益を追求することを放任することによって、むしろ一番いい、望ましい社会ができるという考え方がある。それはさきほどの、人間は他との兼ね合いの中でしか生きられない生き物であるという、そこを放任していくことによって一番合理的な社会ができるということですね。現実の私たちの社会は、善し悪し別として、そういう自然主義といいますか、楽観主義にもとづいた世の中だと思うのです。自由競争をコントロールし計画経済という理想主義のもとで、いろいろな弊害を生み、崩壊してしまった社会主義とは逆の方向に、自然の人間の状況をまったく放任することのよさを選択しているのが現代社会の流れだと私は思う(差別、搾取、疎外、侵略、環境破壊など、弱者の立場にたった社会システムさえもが過去のものであるとするなら、それは非常に危険なことである)。
こういう社会の中で、この間バブルが弾けましたね。そうすると悲しい人間の性(さが)がいっぱい出てくる。「自分だけ儲かればよい」「一つでも上に上がり、出世したい」という人間の性が一時に現れてくる。このようなどうしようもなく悲しい事例が、昨今の新聞でいくつもいくつも騒がれましたですね。けれども、それはそういうものだと、そういうものとして私たちは世間に放り出されている。このことを私達ひとり一人がはっきりと見とうしておかなくてはいけない面があると、私は思うのです。
こんな現実の社会に対して、私は初めは何の疑問ももたなかった。いまほど深刻には考えてはいませんでした。そういう社会のあり方、つまり他人との兼ね合い中で人並みに生きるということを、自分の価値観として自分自身が許してきたのです。だけど私自身は、初めに言いましたように、全く不器用な、そんな単純に割り切って生きられるような男ではないというものを持っている。これはどうしようもない事実でありまして、そういう奥底で騒ぐものをかなぐり捨てて…というようなことは、当然できない人間、愚直にしか生きられないものを持っている人間でありました。
そういうものは昔から、実は感じなかったわけじゃない。けれども、それを深刻に何故か感じいるようになるんですね。割り切ってそんなものをごまかし、蹴散らして生きたいという思いがあるんです。それはあるんですけれど、それもまたできない。「なんで俺はこんなにつまらんことに悩まなければならないのか」と自己嫌悪に陥る。「他人はみんな楽しくやっているのに、自分はなぜこんなつまらんことに悩むのか」という悩みですね。こういう泥沼にはまってしまうわけです。
このごろ、テレビで国会の証人喚問なんかがあって、いろんな人が出てきますね。そしてシラを切っていく言うのか、何か上手に言いますね。ああいうことができない。ああいう上手な生き方というのが私には到底できない。できないけれども、ああいう生き方をしたいという思いがどこかにある。そういう矛盾ですね。どこかに「人並みに格好よく、割り切って小利口に生きたい」「こんな不器用な人間であることは自分にとっては非常に辛い、何とかしたい」ということがある。そういうどうしようもない矛盾の中で、もう生きていることが本当に辛くなった。
結局私はこんな中でノイローゼになるんですね。欝病のような症状になり、自律神経失調症になり、身体が悪くなりまして、肝臓障害で病院に一年ぐらい入るんです。30代の前半にそんなことがありまして、随分つらい思いをしました。そのとき実は自殺というようなこともどこかで考えていたですね。だけど自分が過去に背負ったしがらみを投げ出す無責任さもまたなかった。暗い暗い泥沼の中に落ち込んだような、そんな状態が数年間続きました。
私はこの話はよく分かる。私たちは現実のこの世界を生きているわけですが、現実のこの世界しか見えないというのは、これは病気とは言わない。これは当たり前の人たちですね。現実の世界というのはそういう人たちで成り立っているのでしょうが…。反対にその裏側の世界しか見えない人、つまり現実の世界が見えなくなった人は精神病者と言われる。しかし、その人たちが見ている世界こそが実は真実の世界であるという面をもっている。現実に私たちが生きるためには、その表と裏とを自由に行き来する、そこを見とおす、ということがないと本当は生きられない面が人間にはある。もっと言うなら、私達は、裏と表をひっくり返して見ておって、ごまかして生きている。裏の世界は、頭では分かるが、体がついてこないと言うところで苦悩している、というのが私達ではないか。
どんなことをやったか、一部を紹介しますと、まずベッドは、ベニア板を一枚と木の枕をもらって、その上で寝るのです。それから、風呂は水とお湯を一分間ずつ交互に何度もはいる交互浴というのを毎日やりました。金魚体操とか毛管体操、はだか体操とか、奇妙な名前のついた体操が幾つかあるのです。常識的なこと、私が今まで病院でやってきた反対のことを、朝から晩まで精一杯やらされたのです。
そんなことをしながら、断食をやったんです。五日間でしたけれど、断食に入る前の十日間程の食を落していく期間と、後の十日間程で食をのばしていく期間が重要なのです。初めは「やらされて」という意識がありましたし、「こんなのもので…」と思っていたことは事実です。しかし、日に日に違う、良くなっていくことが実感として分かりました。それは驚きでもありました。一カ月ほどしたら病気は本当に治っていったのです(ここを出た後、病院で検査をしましたが、その結果を見て「なにをやってきたのか?」とお医者さんは驚いたほどです)。私のような病人は、対症療法的に薬でごまかして良くなるものではなくて、もっと根本的な病であったわけですから、病院で直そうと言うこと、そのことが間違っていたのだと今は思います。
このような健康法をやる中で、「これまでの俺の考えは間違っていた」という思いがひしひしとしたのです。どういうことかというと、私は身体が知るということをそれまで何も認めてこなかった。ところが、身体が知る、私の深みが納得するということがあるのだということを、私ははっきりとそのとき知るんです。頭で考えていることより、まず現場に飛び込んで体で考えることの大切さを知りました。それが坐禅を始めることと通じているのです。その健康道場から出てきて、何とかまた会社にも勤めるようになるんですけれど、このような体験を通して、遅まきながら宗教的世界というものが何となく分かるようになってきたのだと思います。
桃水雲渓というのは、ある歳になってから乞食の群に入った人ですが、この人は何一つ自分自身のことを語ろうともしなかったし、そんなことはまたどうでもよかった。だから、何も残していません。今この人が知られているのは、面山瑞方というお坊さんが残した「桃水和尚伝賛」という小さな本があるからなのです。そのほかは何も残していないでしょう。墓だけは残っていますけども…。
この人は九州の人で、修行時代が長い間あって、諸国を行脚していますが、後年、島原のある寺の住職になった。50歳まえくらいの頃だと言いますが、雲水を集めたある接心の接了の日、廊下にはり紙を残して再出家してしまうのです。そして何をやっていたかというと、京都近辺に出てきて、東海道筋で馬のわらじを作って売ったり、奈良の大仏さんの掃除人をしたり、乞食の群の中に入って一緒に乞食生活をして生涯を送っていったわけです。それで後世の人は「乞食桃水」と呼ぶんですけれども、文字通り乞食の中で生きたのです。
この人の墓は、いま京阪電車の墨染の駅を降りた所から、坂を上がって山科へ抜ける旧道がありますが、その峠の一番上にある仏国寺というお寺に小さなお墓が残っています。実は私は、その墓へ随分長い間お参りを続けたことがあります。何かしらそうせざるを得ないものがあって、そんなことをやっていました。
もう一人の良寛さんという人は、ご存じのように出雲崎の庄屋の家に生まれたのですが、昼行灯などと言われ、世間的、世俗的にはうまく立ち回れなくて、出家します。そして岡山の円通寺での長い修行の後、40歳くらいまで何をやっていたかよくわからない。最終的に生まれ故郷の新潟に帰っていきます。良寛は優れた文才を持った人で、随分いろんな詩歌を残してますから、いろんな本が出版されている。これは時代を越えて、私たち誰にでも郷愁を感じさせる何かを持っているからだと思います。
良寛さんは、自分で大愚良寛と名のったわけですから、良寛さんの愚直さは逸話集などを見れば本当にみごとなものです。「人間の是非看破に飽く」とか、「生涯身を立つるに懶(ものう)い」「騰々として天真に任す」というようなことを歌う良寛の愚直は、ただの愚直とは違う。あるものを越えた、イノセンスなる行為に非常に惹かれるのです。
今年〔1993年〕の正月のNHKドラマで良寛を取り上げてやっていましたが、私が感心したのは、良寛さんは最後に貞心尼という尼さんと交流ができて死んで行くわけですけれど(実際は直腸癌で糞まみれで死んでいったんだと言われていますが…)、ドラマでは死んでいく良寛に貞心尼が「良寛さんはずうっと自分自身と闘ってきたんでしょうね」と言うと、良寛は微笑んで息を引きとった。この演出に私は非常に感心したのです。
良寛さんは「裏を見せ表を見せて散る紅葉」と言って死んでいったわけですが、少なくとも良寛は「生涯身を立つるに懶く」と言いながらも、世間の名利を追う、追いたいという自分自身の奥底のものがなかったわけではない。そういうものと死ぬまで闘い続けた。私はそういうふうに読んだのです。私たちが生きている限り、上昇気流にのりたいという基本的な欲求は変るわけはない。それをどう処理するか。その欲望をカッコに入れていくというか、コントロールしないと本当の生き方ができないということを、良寛さんは如実に実行していったと、私はそういうふうに思ったわけなのです。
私自身は病気の後、会社生活をずっと続けてきたわけですが、どんな生き方をしてきたのかと言われるとですね、私は「そういう世間の名利はもう飽きた。どこまでも自分は自分らしくありたい。もうそれはそれでいいではないか」というところに落ち着いた。「上昇気流に乗ることなどはもうどうでもよい。現場で苦しむ人の立場に立って、やらねばならぬことをどこまでもやってやろう」と決心したとき、気楽になって、会社生活が続けられるようになったわけです。現在もその思いに違いはありません。それは会社生活だけではなくて、私の生きる基盤としてといいますか、正直なところは、一番楽に安心して生きられるのはそこでしかないものですから、そんなことを願いとして私は生きてきたわけです。
非常に小心な人で、他人のことを気にして、常にいろんなことを気にかけ後悔し悩む、上手に立ち回るなどは一片もできなく、誠実に愚直そのものにしか生きられなかった人なんです。私の姉から何度もそんな話を聞きました。そういう自分の生き方に対して、その人はまた自分を自分で許していない。何時も不満なわけですから、自分自身がますます自分を痛めつけることをやります。だから、どうしても酒を飲んだりして、何かでごまかさざるを得ない。しかし、この方向では精神的満足はどこまでいっても得られない。ごまかしの世界はどこまでいってもごまかしであって、その後にくる空しさは、いっそう切なく辛いものです。
この人は、病身の身体を、自身のふがいなさを、自分がののしり、愚痴を言う中で、ますます自己嫌悪に落ちていくという生き方をし続けた人なんです。世間の人は馬鹿だ、薄のろだとか言いましたけど、根は非常にいい人で、センシティブな人なのです。私自身、同じところを生きてきた人間として、「何故もっといろいろなことを話してこなかったのか」という悔いが残ってですね。それは本当に情けない思いをしたのです。
人間が生きるということは、自分が持っている愚直さというような本当のところから…少なくとも奥底から私を突き上げるもの…これは良心といってもいいのですが、ここを良しとする。この内なるもの、そうです、私たち一人ひとり誰もが持たされた、内なる権威と言ってもいいですが、そのものに立ち切るという私の確信がないと、人間はやはり生きていけない。そこのところに立っていないと自分を自分で痛めるし、愚痴が出る。人間というものは、そういうふうになっている。そういう構造体として生かされているのではないか。自分自身の奥底から突き上げるものに正直に、誠をつくして、そこで生きようという思い切り、覚悟が人間にはどうしても要る。それがないと人間は本当に、私を生きることができないものがあるというのが私の思いです。
そういう自分の奥底から突き上げる神の声、仏の声にですね、これは誰もが持っているものですが、そこのところに確固として足をつけるという覚悟、禅はそういうものを指し示している。世間の人が「何を馬鹿なことを…」と言うような世間の常識に棹さすことも平然とやっていける自信を禅は与えてくれると私は思うのです。
十牛図の最後は「入廛垂手」、つまり手を垂れて町の中へ出ていくということで終ります。宝鏡三昧では、最後に「潜行密用にして愚の如し、魯の如し」という。本当に馬鹿になり切って現実社会の中に入り、人知れず、潜行密用していくという、そういう働きが、当たり前のこととしてできるのだと思うのです。
「日々是好日」という言葉も、毎日毎日いい日が続くということではなくて、いい日もあれば悪い日もある、苦しい日もある。いても立ってもおれないような日もある。それでもなお好日である。そういう苦楽をも超えたところに好日がある。そういう深さのところを私たちはやはり生きなければならんと私は思うのです。そして、そこで始めて、愚の意味、大切さが味わえてくるのだと思うのです。
私たちが持つ深さのところから、世界を見直すということは重要なことで、そこで始めて、私に生み付けられている生々しい欲望の意味がはっきりするということがある。私が真に私らしく生きるためには、私が現に持っている深さのところを、ごまかして、無視して生きることはできない。私たちは、どうしても自身の足元にある大切なものを見のがして、遠くを追い求めがちなものであります。私たち自身の足元にあるもの、そのもののが実は、真に悩み苦しんでいるのであってですね、表面的な欲望の苦悩だけではないでしょう。私の根源そのものが、やるせなく、せっなく苦しんでいるのです。人間の根本的苦とはこのことでありましょう。根源的そのものの苦悩をいかに私が解放していくか、そこに私たちの修行の意味があると思うのです。
今日、私がお話しさせていただいたようなことは、まったく個人的な、私に現れた求道の道程の一コマでしかありません。このようなことは、どなたさまもその人、その人固有の真摯で貴重な体験をお持ちなのだと思います。私たちは、根本的に不可解なるものとして生かされいます。その疼きから、私の根拠を求めずにはおれない、明らめずには安心できない潜在的欲求を持って生きています。
一方、現代社会を生きていくということは、この時代背景における社会の矛盾やゆがみから派生する問題を個々人が、私の問題として現実に背負うことです。たとえばそれは、家庭、経済、組織、教育など、いろいろな問題として具体化し、まったく固有の私の問題として、私をとうして突き上げてきます。
私たちの苦悩は、一般的にこのような現実の問題から始まるのであります。ここは背負い切っていかざるを得ない。逃げるわけにはいかないのであります。しかし、ここを真っ正直に背負い切っていったとしても、容易な解決策はどこにもないという現実とジレンマ。そこから必然的に私の存在根拠という深さの問題に行き当たらざるを得ないと思うのです。ここはお互い非常に苦しい。果てしない暗闇の道であるかも知れません。しかし、ここをわけ行って進む、どこまでも進むという忍耐がない限り、光は見えてこない。そして本当のところは、自身の根本問題が解決しない限り、どこまで行っても現実問題の真なる解決策は出てこない。また本当に落ちつくことができないのであります。
今日は、私の体験をできるだけ正直に話させていただきました。私は学問的にものごとを詰めて考えるようなことを何一つやってきた経験がありません。話は非常に雑であったろうと思います。どうか、論究の題材として取り上げていただいて、何なりと追求していただき、問題をご指摘いただければ有り難く思います。
(本稿は、1993年3月、FAS平常道場における「発題」をまとめたものです)