「無門関」の凄さ

                      荒田 義雄

                                  

 風信の原稿を!にはいつも悩んでいます。FAS学道道場綱領の「学」も「行」も遅々と進まず学究的なことは何も書けないのですが、今関心のある無門関などの感想を述べさせていただきます。

 

 先般、花大の図書館で無門関の解釈本を探してみました。沢山の禅僧や学者の訳本の中でも、わかりやすい表現で述べてあり理解できそうなのが古田紹欽訳註本でした。久松真一著作集には無門関の提綱記録が無いのは公案は参禅のためのものであり、学解しても主体的智にはならないと戒められていたからですかね。

 千数百年前の支那人の文章は、現代のように合理的に解釈し納得していく理解方法と違っているため(主語述語の関係や過去形か現在形なのか判然としないなども)、各則の本文、無門評、頌の意味するところはどのようなことなのか、問題点がどこにあるのか解らないのが実状です。

 禅僧からは公案や古録を頭で理解するとは、耳で提唱を聞くとはもってのほかと叱責されますが、やはり、現代人には哲学的論理的に追求し、その背景を明らかにし納得したうえで「行」に入っていくことになるのでは。そのためには西洋哲学や時間空間の概念が全く違うインド哲学に精通し、しかも覚者からの提綱が無いと体得はあり得ないと考えられます。鈴木大拙の「禅は選ばれた者、とくに恵まれた英霊漢のためにある」と本当に実感します。

 上田閑照著「十牛図〜自己の現象学〜」では禅の修業過程の境位や難解で伝統的な用語を哲学的思想的に解されており参考にしています。論文の後半からは西田哲学の世界、キルケゴールの宗教的実存、ニーチェのニヒリズム、アンゲールス・ジレジウスの薔薇、ハイデカーの第九図の解釈などを連関させてありなかなか理解できないのですが、何とか最後まで読み切りたいと思っています。

 

 無門関で好きなのは四十八則の乾峯和尚の絶迫の気合いが感ぜられる劃一劃「者裏に在り」です。それに無門が逆説的に二僧を褒めているのも憎いばかりです。「香巌樹に上る」の公案は凄まじいですね。絶対矛盾に追い込むこの和尚は本当に「悪毒尽限無」です。「徳山托鉢」は芝居とも思える仕方で弟子達をどうやって悟らせるか、ぎりぎりのところで機縁を差し向けるところは老師の慈悲なのでしょう。

 それにしても、何が問題なのか解らないのが「婆子の驀直去」です。霊地にまで行こうとする僧がまさか人に道を尋ねるとは薄ばかかと言っただけなのか。婆子が僧の修行度合を試し機縁を与えた親切心なのか。趙州が自ら出かけたのは法界を乱す婆子を諫めるためなら了とすべきではないか。修行僧を婆子が籠絡し、その婆子を趙州が看破し、その趙州を無門が見下す、何が真実か否かより全ての行為がどうしょうもない絶対現実のすがたではないか。

 一番知りたいのは関山国師の「柏樹子の話に賊機あり」の賊機です。この則は完璧なまでの内容と思えますが。

 いずれにしろ、総則「虚無の会を作すこと莫れ、有無の会を作すこと莫れ」の無の深い意味を知ることなく、また、有無の二元論からの解釈や文字面だけに終わるようであれば、この難解な無門関は荒唐無稽な単なる寸劇や掌の小説に終わってしまいます。

 「妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す」ともあり、坐に徹しそのものになりきる過程では人間の精神状態はどのように変化していくのか。公案をぶち破っていく禅定力とはどのように醸成されるのか。また、高僧の多くが坐脱立亡で入寂される気力(呼吸)はどのようにして出てくるのか非常に関心があります。

 「覚」するとはどのような世界なのか。平素、心が澄んでいるときの「柳は緑、花は紅」と悟後の「水は自ら茫茫、花は自ら紅」との天地の違いとは具体的にどのような違いなのか。同じでは「一命相落候共 異存御左無候」と血判を押してまで修(苦)行するに値するとは思えません。しかし、時代背景の違う中で歴代の祖師と手を把って、共に見聞きしても慶快でないことだってあるのでは。

 「禅の本質と人間の真理」(FAS協会編)の中に「大死一番」を仕損じると我性の根が残存し絶大なる不安と罪責の意識が現われ、安心を求め「狂」うことになるとありVan Goghの例が述べてあります。起信論の不覚と芭蕉の「風狂」や一休の「狂」は異なる境涯なのか。

 六月に永源僧堂の摂心に参加しましたが、ドイツ人の雲水と若い女性の坐禅や独参に向き合う姿勢には真剣さと気迫が感じられ、東西の人を引きつけてやまない禅の広さ深さを知りました。

 私は農繁期も終わり長い冬眠状態に向います。禅の古録を捲り、久松先生の(無分別で分別しながら語られる)録音テープ(FAS所蔵のダビング)で先生に接するのが楽しみです。