アンゲルス・ジレージウスの詩について(二)
川ア 幸夫
前回はアンゲルス・ジレージウスの主著たる詩集『智天使ケルビムの蹤を尋ねる漂泊者』からアト・ランダムに二十数篇の詩を採上げ、それらを六部に分けて順を逐って解釈してゆく予定であると表明したのであるが、その(一)の「生死について」に充当した四篇のなかから僅かに二篇の詩を論ずるのに留まった。そこで今回はせめて四五篇は片をつけようと決心していたのであるが、残念ながら「生死について」に配置していた残りの二篇だけしか果せなかった。今回扱った二篇は前回採上げたI,31およびI,32に踵を接して詠まれており、そこには同一の精神が脈打っているのは明白である。そこで前回の方針を踏襲して、冒頭にグネーディンガー訳による新高ドイツ語版から詩の題目と本文を引用することにした。
(一) 生死について―つづき―
I,33. Nichts lebt ohne
Sterben.
Gott selber,wenn er dir will leben,
muss er sterben!
Wie denkst du ohne Tod sein Leben zu
ererben?
なにものたりとも、死ぬことなくして生きている(イ)、というようなものはない。
神が自分から、もし汝のために生きていたい(ロ)と願うのであれば、神が自ら死なねばならない(ハ)のだぞ!
一体汝は、死を避けていて(ニ)神の生命を相続できる(ホ)なんて、どうやって考えていられるのだ。
(イ) この箇所にはテクスト・クリティークの点で少々紛らわしい問題が絡みついている。グネーディンガーの新高ドイツ語版では「生きている」には lebtという直接法の現在形が当てられているが、同じ編者の手になる初期新高ドイツ語版ではlebetという、直接法とも接続法とも取れる形になっている。勿論新高ドイツ語版から見る限り、グネーディンガーが原詩におけるlebetも直接法であると見做したことは疑いないと考えられよう。この点においてグネーディンガーの表記法は一九四九年刊のヘルト版全集と一致しており、問題はなくなったと言えるかも知れない。しかしそれよりも古い権威ある新高ドイツ語版として名高いEllinger版(一九二三年刊)と、更に一段と古いRosenthal版(一八六二年刊)ではlebetと接続法の形にしており、私自身が接続法への想いを棄て切れないだけに、簡単に疑問を氷解させてくれないので、ここではいわば両論併記のような訳文にしたつもりである。
(ロ) ここの原詩の骨子はdir……lebenとなっており、前回採上げたI,31の前句と同様に、人称代名詞の三格(與格)と自動詞lebenとの組み合わせになっている。いうまでもなく與格といふのはギリシャ語から由来し、近代語ではドイツ語にのみ継承されている。そして與格とは対格(四格)とは異なって動詞の作用が向う対象そのものを表示するのではなく、それが向うべき方向を示すに留まっている。これに対して格変化を欠いた英仏語などでは前置詞を加えて用法・役割を示す必要が生ずる。そこでSusiniおよびPlardという二種のフランス語訳を見ると、ともにdirをpour toi(汝のために)と訳しているので、拙訳でもその解釈に順うことにした。それからlebenという動詞は基本的には自動詞なのであり、自らを名詞化して「生を生きる、生を送る」という形を採る場合以外には他動詞として用いられることはない。
以上のことを念頭に置いた上で改めてI,31とI,33とを比較してみると、本詩とは逆にlebenの主語が「私」となっており、lebenという作用乃至行為が向う方向に置かれている與格が「神」とされていた。そこでI,31においては「私は神のために死んで、それから復た(神のために)生きる」とか、更に「私が……神のために永遠に生きる……」とか言った主張には左程の抵抗感がなく、素直に受容されたものと考えられる。しかるにI,33においてはlebenという働きの主語が逆に「神」となり、lebenという作用が向うべき方向には被造物たる「汝」即ち「私」が置かれているので、これでは新約聖書において最も忌むべきものこととされた「傲慢」hybrisの罪を犯すことにならないか、という畏怖の念を惹起しかねない。そこで常識を優先させて、「岩波文庫」版のように「神が汝を生かそうと」するといった文法を無視した訳文をつけたくなるのかも知れないが、これでは詩人に独特な宗教的敬虔の在り方にまったく通じていないということを裏書きすることになるだけでなく、前回から採上げてきた一連の詩の背景にあるパウロ神学の根幹をなすキリストのケノーシス(空化)の思想への理解の欠如を物語ることになる。本詩で示された一見倨傲とも見える表現にこそ、教会教理への従順を遙かに超えた真の謙虚が退蔵されているのである。なおキリストの「空化」については、「ピリピ書」の二章六節から十一節にかけて詳述されており、『風信』六〇号、三九頁においても或る程度触れてあるので、ここでは省略することにする。
(ハ) 本詩の前句の全体を眺め渡すと、直ちに或る種の不自然な相貌が浮んでくるのに気づくことであろう。まず句頭に主文の主語Gottが強調詞selberを伴って、大変意気込んだポーズをとって登場したものの、その直後にwenn…で始まる関係句に割込まれてしまい、主文が真っ二つに裁断されたために主語に続くべき動詞sterbenが主語から遙かに遠去けられてしまい、挿入句が終った後になって想い出されたかのように、補足的に追加されたというような構成になっている。そのためにグネーディンガー版では動詞sterben(死ぬ)から切離されて行方不明になっていた感のある主語をもう一遍想い出す必要を感じて、erを調達してきたのではないかと邪推したくなる。それに反してエリンガー版とヘルト版とでは、わざわざ主語を繰返す必要はないと感じたのか、erとsterbenをくっつけたままにして、主文の残りをmuss ersterbenとしている。いずれにせよ、詩人がこのように姑息なとも思える手法をとったのは、おそらく前句と後句の韻を揃えるための苦肉の策ではなかったか、という気がする。
(ニ) 神の生命を「相続」ererbenする主語となるのが「汝」であることは疑を容れないが、「死ぬことなくして」ohne Todと語られている場合の「死」が人間たる「汝」の死を指すのか、それとも「子なる神、キリストの死」を含意しているのかは俄かに決め難いが、筆者には双方の死が相互限定的に含まれていて、互に一方の死が他方の死への引金になっているように感ぜられる。
(ホ)ところで「遺伝的素質や才能などを承け継ぐ」や「遺産を相続する」を意味するerbenという動詞が本詩ではererbenという更に多少強調感を感じさせる形態を纏って選ばれているのが若干気になるかも知れない。しかしそれほど深い意味があるものではなく、たぶん音韻上の工夫のためではなかろうか。しかしキリスト教ではerbenという語はアダム以来、人類が継承してきた「原罪」Erbsündeを連想させるところから、罪の結果として人類に死がもたらされたというパウロの下した規定を広く訴えようとする神学的意図が透けて見えるように思われる。
ここで序でながらerbenというドイツ語の由来をH.Paulの『ドイツ語辞典』などを手がかりにして検討してみたい。
パウルによると、Erbeという名詞は中性形と男性形の二つに分れ、中性形の場合には、古高ドイツ語ではarbi、erbiと誌されたが、古ゲルマン語においてはラテン語のorbus –a -um、ギリシア語のorphanos –e –onという形容詞との類縁関係にあった。そしてこれらの形容詞は「当然継承される筈の縁故関係が失われた」(eine notwendige Angehörigkeit beraubt)即ち「孤児の」verwaistを意味していたので、英語のorphanという名詞はギリシア語の原形を略々そのまま保つていることになる。これに相当するドイツ語の形容詞verwaistは古高ドイツ語ではweiso、中高ドイツ語ではweiseと表記されていたが、これでは「賢い」と区別がつかないので、ルターによってバイエルン―オーストリア方言のwaiseが採用されたという。他方「孤児になる」を意味する動詞verwaisenがやはり中高ドイツ語においてwaiseから導出されたらしい。
以上のごとき来歴をもってドイツ語に流込んだ語形が名詞化されると雅語化され、ギリシア語本来の意味には逆らうような形になって「故人が遺した遺産、相続財産」Hinterlassenschaftを意味するようになった。それから更に、「それの受領を期待し得る人」を意味するように転用されて男性名詞となり、更に一七世紀末にはErbinという女性名詞も派生された。またこのような趨勢と平行して、語末の半母音eを脱落させてErb-と短縮して形容詞化させ、その直後に別の名詞をくっつけて、たとえばErbfeind(宿敵)とかErbgut(世襲財産)の如き合成語が産み出された。
ところでこのような現象に遙かに先駆けて中高ドイツ語の中に登場したのがerbesünde(原罪)であろう。パウルによるとこの語形はラテン語のpeccatum hereditariumのLehnübersetzung(直訳借用語、借訳語)であって、キリスト教の教説に順じて「人類が代代継承してきた原罪」(ererbte Ursünde der Menschheit)を意味すると説明されている。但し訳者はこのラテン語の罪名がキリスト教受容以前のローマ法の用語ではなかったかについては不案内である。またpeccatumという語がキリスト教以前には如何なるニュアンスで使われていたのかが分らないため、困惑感が解消されない。また國松孝二他編『独和大辞典』(小学館)ではLehnübersetzungに酷似したLehnübertragungは「意訳借用語」と説明されている。しかし訳者は長らくÜbersetzungとÜbertragungとはどちらもただ「翻訳」を意味し、別段差異があるとは思っていなかったので、「直訳」と「意訳」ほどの違いがあるとはまったく想定外であった。しかし先程挙げた原罪についてのパウルの説明をみると、パウルの下した規定はこのような区別を踏まえたものと思われる。
I,34 Der Tod vergottet dich.
Wenn du gestorben bist und Gott dein
Leben worden,
So trittst du erst recht in der hohen
Götter Orden.
死は汝を神化(イ)させる。
もし汝が死を成就しており、且つ神が汝の生命となり了せているのであれば、
その時初めて、汝は正式に崇高な神神(ロ)の交わり(ハ)に加わるのだ。
(イ) パウルによると、vergotten或いはvergötternという語は元来は中高ドイツ語で語られた思辨的神秘主義の用語であったが、一七世紀初頭よりは「神に祭り上げる、神格化する、偶像視する」とか、更には「異常なまでに崇拝する」ausserordentlich verehrenという意味で使われるようになったと述べられている。したがってそこにあるのは神を専ら他者的に捉える視点だけであり、しばしば揶揄・嘲笑に包まれる。近代重視の日本の独和辞典では、私の手許にある木村・相良をはじめ、冨山(郁文堂)、國松(小学館)など、すべてこの類いであるから、これでは正しい理解は到底得られない。そこでドイツ神秘主義のなかでも、われわれの詩人以前に、この語がいつ頃から頻繁に語られるようになったのかということを突きとめる必要がある。更にそれとともに「神化」即ちキリスト教徒でありながら「人間が神的になる」とか、ましてや「人間が神になる」という正気の沙汰とも思えない言葉がどうして最高の知性を窮めた大思想家たちによって編み出され、しかも語り継がれて来たのであろうか。そもそも神秘家の語る言葉は少なくともプラトンからピタゴラスにまで遡る長い伝統の中で育まれてきているのであって、例えば「見る」という誰もが日常的に、ほとんど無反省に使っている言葉ですらピタゴラス以来の伝統を背負っているのである。したがってそれはしばしば浅薄に誤解されるように、一時的な興奮情態のなかから溢れ出た譫言のような類では決してない。彼らの語る言葉は、一語発する毎に二千数百年にわたって形成されて来た意味の伝統を共振させることを自覚しつつ語られてきたのである。このことは勿論神秘主義以外の立場を採る思想家の場合でも共通していることではあるが、師資相承の気風に漲る神秘家においては特に著しいといえよう。それゆえにVergottung(神化)という語の由来はドイツ語のなかだけでは十分に究明できないのであって、翻訳という行為を介して形成されたギリシア語やラテン語との交流の歴史を知ることも必要になるのである。
前置きが長くなってしまったが、「神化」を意味したVergottungというドイツ語の術語が、西暦五〇〇年頃に著作活動をしていた偽ディオニュシオス・アレオパギテース(Pseudo Dionysios Areopagitês)と呼ばれる新プラトン主義の哲学者が著した『教会位階論』(De ecclesiastica hierarchia)のなかに姿を現したtheôsisという用語に端を発することは既に定説となっている。この書物のなかでは「神化」は「神と同化、一様化すること、もしくは一体化すること」(aphomoiôsis te kai henôsis)(PG,III,391)と規定されている。しかしこのギリシア語が直接ドイツ語に移植されてVergottungとなったのではなく、九世紀に現れた大哲学者ヨハネス・スコトゥス・エリュゲナなどによるラテン語訳を通して、theôsisに相当するラテン語はdeificatioと確定され、このdeificatioからドイツ語のVergottungが導出されたのである。
実はdeificatioという語は手許にあるOxford刊の新旧の辞典(Lewis & Short,Glare)にもKlotz編の羅独辞典にも、こういう古典古代中心の辞書には収録されていないが、Diefenbach編の『中世および後期ラテン語―ゲルマン語辞典』(Glossarium latino-germanicum)とSleumer編の『教会ラテン語辞典』(Kirchenlateinisches Wörterbuch)の中に漸く見つけ出すことができた。しかしディーフェンバッハにはgotlichkeit,gotformigkeit(神と姿形を等しくしていること)としか載っておらず、スロイマーに至ってはVergöttlichung(神として崇拝すること)と、大分すげない取扱いであり、十分な説明が得られないので、Ducange編の浩瀚な『中世および後期ラテン語辞典』などに俟たねばならないが、このところ遠出を避けているので他日を期するよりほかはない。それは兎も角として、deificatioのdeiはdeusの属格であり、ficatioは動詞fingo(形造る)から派生した名詞であって、Bildung(形成作用)のほかにFiktion(仮構)という意味もある。したがってこの語はdeiformis,gottförmig(神と姿、形を等しくした)という語と親近性があり、アンゲルス・ジレージウスの作品にもしばしば登場している。
ようやく語形上の関連が明らかになったところで、ギリシア語のtheôsisの哲学的含蓄やスコラ哲学におけるdeificatioの展開の歴史を振返る必要があり、『語義史的哲学辞典』では次のように説明が行なわれている。
先ずディオニュシオスの先蹤をなすプロティノスにおいては、神的領域は一者と叡智体(nous)という二つの領域に分かれており、それに呼応する霊魂の神化の働きにも二通りあることを述べている。
次いで、偽ディオニュシオスにおいては、一体化には更に神の側からの働きかけが重視されていることを明らかにした。
更に降って一二世紀の受苦神秘主義者クレルヴォーの聖ベルナールを採上げ、神化の成就には恩寵の結びつきが重視され、地上に留まっている限りの魂による神の直視は直ちに神との合一を意味するわけではないことを明らかにした。
ベルナールの後に採上げられたのは一五世紀という中世の終りと近世の始まりとが同時に響き合う時期に現れたニコラウス・クザーヌスである。彼は高度の思辨的理性を駆使してエックハルトの否定神学の継承者と目される反面、正統的信仰を堅持して『神との養子縁組の成立について』(De filiatione Dei)という著作を公けにした。彼の所説によると、人間が神化せる直観において把握しうるものは、神が自己自身の内に於てあるが如き神の本質ではなく、御子たるロゴスの内に映じた神の鏡像であるとされた。
今まで論じられてきた思想家は主としてカトリック教会の教権体制の中枢を占めていた人人であった。したがって立場の相違はあっても、彼らが希求した「神化」は被造的な魂に與えられた神の似像を媒介として、神的本性との同等性を目指すことであり、その場合に一体化の目標とされた神はペルソナとしての位相の下に現前した子なる神であった。それゆえに「神化」は被造的理性の能力だけでは推進し切れず、恩寵の援けが必要不可欠とされたのである。しかしこのような結果を招いたのはdeificatioという名称そのものに原因があったのかも知れない。既に述べたように、deificatioとは「神をfingoすること」を意味するが、fingoの第三基本形(完了形の一人称単数)はfinxi、第四基本形(目的分詞)はfictumという形を呈するところから、近代語のfictionへの傾向性を秘めているような感じを持たせる。それは兎も角として、fingoの主な意味は(一)「形づくる」から「彫像(蝋・石)などを造形する」という意味が基本にあり、(二)「整理・整頓する」、(三)「教育・訓練によって陶冶する、養成する」、(四)「工夫する、装う、仮構する、偽造する」と多様性に富み、捉え難いが、力強さに欠けるところがありそうで、真実一路といった気持ちが伝わってこない。
これに反して「神化」が一たびドイツ語で語られるようになると、俄かに胸が高鳴り、本気度が一気に上昇するのが感じられる。例の『語義史的哲学辞典』が並みいるVergottungの戦士の群から、花形騎士として選出したのはエックハルトとアンゲルス・ジレージウスであった。このGottwerdung,Vergottungの項を担当したW.Goerdtは『エックハルト全集』の約半分を占める「ドイツ語著作集」編集の総師となったクヴィントの新高ドイツ語訳を引用しつつ、なかなか本質を衝いた解説をしているので、その主要部分を翻訳することにしたい。「理性と認識を神化に結びつけることはマイスター・エックハルトがほぼ十分に仕上げている。もし人間が模写的な概念を介してではなく、直截に、且つ像を援用することもなしに神を認識しようと決意するならば、『神は端的に(schlechthin)私となっており、また私は端的に神となっていなければならない』(Quint,S.354)。そうなると、このような仕方で神となった魂は今や『神で以って神を』(Gott mit Gott)(Q.S.158)認識することができるのである。しかしそうは言っても、神になるためには ―『神の内にあるものは、神だけである』(was in Gott ist,ist Gott)(Q.S.167)故に―、人間は神の内深く乱入(eindringen)しなければならない」と。
以上のことは、人間が全身全霊を挙げて、『魂の閃光』Seelenfünkleinという、魂に具わるかの能力の内深くへと集中した時に起こるのである。そしてこの能力の中に、神は自らの御子(ロゴス)を産むのであり、その結果、実際に『この能力が父の御子と自己自身とを、同一の御子として父の唯一の能力の内部に、父と一緒になって産む(mitgebiert)のである』(S.161)と語られる。そしてかかる域に達した魂が「処女にして且つ女」と規定され、「御子の母」ともいわれるのである。
以上のごとき簡単な素描によっても注意するべき点が若干指摘されよう。まずエックハルトの著作の中にはVergottungという語は見当らないということである。今から七十年前から分冊で刊行が始まったドイツ語著作集全五巻が数年前に完成したが、各巻の巻末に附けられた詳細な用語索引を見渡しても、vergottenの用例はたった一箇所であり、それも本文としては採用されずに、異本扱いになった短い草稿の中に埋もれているだけである。このことからエックハルトとほぼ同年代には既にVergottungが書き言葉として登場していたことは間違いないが、エックハルト自身は適切な語として評価はしていなかったように思われる。それに代って重宝されたのが《Gott werden》(神になる)という言い方であり、しかもクヴィントはそれにschlechthin(端的に、絶対的に、或いは、真っしぐらに)という強調表現を加えて、有無を言わせぬ、断乎たる感じを打出している。この語はschlechtとhinという二つの副詞の結合体になっており、まずschlechtは形容詞としては「邪悪な、悪質な」を始めとして、ネガティヴな意味がいくつも詰込まれているが、副詞として使われると「不可能な」とか「少ない」、「質素な」、更には「素直な、ひたすら」といった意味になる。またそれに附加されたhinという副詞は空間的用法としては「こちらからあちらへ」という方向を示し、時間的用法としては「現在から未来へと、ずっと引続いて」を意味することになる。それゆえに、schlechtの最後の意味にhinを加えると、「一切の媒介物を排除して、そのものに向う」という感じが強く出て、禅者のいう「莫妄想」とか「驀直向前」に通ずる勢いを噴出させることになる。したがってこの一語が加わると、もはや全能の神といえども抵抗できないほどの必然性が支配権を奮うことになるのである。
しかしながら実はここまで書いたところで念のためにPaulとTrübnerの辞書を覗いたところ、困った問題が発生した。それは折角筆者を喜ばせてくれたschlechthinという語について、両方の辞書がともに、一六六九年に刊行されたグリンメルスハウゼンの傑作『阿呆物語』(Der abenteuerliche Simplicissimus)の中で使われたのが初出例だと証言しているのを目にしたからである。
グリンメルスハウゼンという名前も日本ではやはり左程知られてはいないかも知れぬが、一六二〇年代の前半に生まれ、一六七六年に死んでいるから、アンゲルス・ジレージウスとはほぼ完全な同時代人であった。当時は三十年戦争がドイツ全土に吹き荒れた時代であったが、牧童として暮らしていた少年時代に、いきなり兵士に捕られて十数年もドイツ中南部を引廻された経験を素材とした一種の教養小説とも目される『阿呆物語』という作品によって高い評価を得ている人である。この作品の原題は直訳すれば『冒険心に充ち溢れ、波乱万丈ぶりを発揮した、最も単純にして愚かな男』となるが、全篇に滑稽と諷刺が漲り、徹底した自己批評に裏づけられた時代批判の書でもあって、ドイツ語で書かれた作品でこれほど笑わせてくれるのは稀であろう。この点において『智天使ケルビムの蹤を尋ねる遍歴者』に附けた長文の「序文」―正確には『読者に注意を喚起するための序文』(Erinnerungs Vorrede an den Leser)―の文体と非常によく似ており、その意味においても良き同時代人だったといえそうである。
しかしいずれにせよグリンメルスハウゼンはエックハルトよりも三五〇年も後の人とされる。このようにバロック時代で初出とされている語を、いかにエックハルトの悠然たる文体に新風を吹き入れようと試みたにせよ、このように有名な語を中世の真唯中にいるエックハルトの現代語訳の中に放流することには、もっと慎重さが要求されるであろう。というのはカントとともに宗教哲学の開祖とされるシュライエルマッハーの著した『キリスト教的信仰』のなかで、彼は宗教の本質を「絶対的依属感情」(schlechthinniges Abhängigkeitsgefühl)と規定しており、これは近世宗教哲学の代表的な学説の一つとされている。久松先生も時折これに触れておられ、特に『久松眞一仏教講義』第一巻「即無的実存」に収められた「宗教学概論」の中では詳しく論じられている。ところでこの規定の中ではschlechthinは形容詞化されて「絶対的」と訳されているが、ヘーゲルとほぼ同時代人であるシュライエルマッハーの用語として周知の語をエックハルトの訳語の中にまで遡らせると、一種のアナクロニズムを惹き起しかねない。そこで果してエックハルトの新高ドイツ語訳を行なうに当って、原テクストには誌されていないschlechthinという語をわざわざ投入する必要があるのかということを検証するために、原テクストに立ち還えってみることにしよう。
ここで引用されたクヴィントの訳文は『全集』の「ドイツ語著作集」の第三巻の終りの方に収録された「説教」第八三番からであり、それは「汝らは自らの心の霊が新たにされるべきである」(エペソ書四―二三)という聖句を主題とした説教の終りのあたりに記載されている。それで少し前のところから引用するようにしよう。
「汝は像を介さず(ane
bilde)、中間に媒介物を挟まず(ane mittel)、且つ似姿にも頼ることなくして(ane glichnis)彼(=神)を了得(bekennen)しなければならない。勿論いま言われた通りに、私が一切の媒介物を挟まずに神を了得しさえすれば、私はどんぴしゃりで(vil bi)神になるに相違ないのであり、また神も私となるに違いないのである」、と語った。それに引続いて「私は更にもっと突込んだことを言おう」(Me sprich ich:)と告げた後に、直ちに先程挙げた引用句が跳び出して来る。「神はどんぴしゃりと私にならねばならないのであり、また私もどんぴしゃりで神にならねばならない。このようにまるごとすっかり一となっているのであって、当の『彼(神)』と当の『私』とが一なるものとして『在る』がゆえに、両者は一となっており、且つ一として現に在り、且つ独存性に徹して、永遠に同一の働きを行なっているのである」(Got mvs vil bi ich werden vnd ich vil bi got,alse gar ein,das dis ’er’ vnd dis ’ich’ Ein ’ist’ werdent vnd
sint vnd in der istikeit ewiklich ein werk wirkent;)(D.W.,Bd. III,S.447),(Quint,S.354)。
以上の試訳において最も苦心を要した箇所はいうまでもなく「どんぴしゃり」と訳した(vil bi)である。中高ドイツ語のvilは新高ドイツ語ではviel、biは同じくbeiである。Lexerの『中高ドイツ語小辞典』をみると、vilという副詞は新高ドイツ語の場合とはほとんど変りはなく、「多い」、「一杯に満ち溢れて」、「大いに、遙かに、一段と、極度に」といった意味で、ここではbiを強調する役目を負わされている。biは前置詞としては「…の側に、傍に」のほかに「密着、接触」などを表わすが、ここでは動詞werden(なる、化する)に対する副詞として用いられ、「近接」のほかに「参加」や「従事」などを意味すると考えられる。
さてこれまで辿り着くには肉体的疲労を別にすればさほどの困難は感じていなかったのであるが、vil biという巨大な軟体動物のごとき一句を相手にして、簡潔にして且つ気迫のこもった日本語を編み出してこれを捕獲するために、数日間苦闘させられた。そこでクヴィント以外の各種の近代語訳を渉猟し、Ancelet-Hustacheがabsolument、Evansがvery、Foxがsimply、Walsheはreally、Colledge & McGinnはjustと訳しており、一九二四年刊のEvans以外はいずれもクヴィントの受縛の下にあるとみえて、苦し紛れの訳と感じられた。そのなかにあって一番旧いBüttnerのgeradezu(まさに、全く、真直ぐに、あけすけに、ずばり、ざっくばらんに、無躾けに)とPetitのcarrement(大胆に、しっかりと、勇敢に)には驚きを以て共感させられた。そこでエックハルトがどこかで「私」が神の中に入ってゆくためには優等生として規矩を正しく守って修法するだけではなく、荒々しく「乱入」eindringenして行かなくてはならないと言っていたのを想い出している内に、ふと「神が私となり、私が神となる」というのは『無門関』の「第一 趙州狗子」にある「禅宗無門関を……透得過する者は、m(た)だ親しく……歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮(あ)い結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし」といわれているのと同じ事を言っているのではないかと気づき、そこで「どんぴしゃり」とやればvilもbiも、Einもistも悉くそこに納って一つに響き合うのではないか、と一種の天啓を得たような気分に陥ったのである。
ところでエックハルトについては書くべきことはまだまだ残っている。しかしエックハルトの「思索と体験」はVergottungの域を遙かに超えるものであり、したがってエックハルトの著作のなかではその語は使われていないということが既に明白となっているので、ここではこれ以上エックハルトに言及することは打切ることにしたい。むしろそれよりは早くエックハルトからアンゲルス・ジレージウスに到るまでの約三百年の間にVergottungの用例を見つけ出さねばならないので、先を急ぐことにしたい、と少々あせり気味になっていた。ところが救い手は実は意外に手近なところにあったのである。
実はvergottenの説明はなるべく簡略に済ませたいと思っていたので、パウルに較べると遙に大部なトゥリューブナーの辞書は開かずにいたのだが、アンゲルス・ジレージウスに先立つ用例を探し出す必要が生じたので援軍を求めざるを得なくなったのが却って奏効して、貴重な教示が得られた。
まずトゥリューブナーは、ドイツ神秘主義の主要目標がunio mystica(神秘的合一)、即ち神と魂とのより一層深い内面的な結びつき(Gemeinschaft)を回復するところにあったと述べている。ついでvergottenが自動詞として用いられる場合にはzu Gott oder doch gottähnlich gemacht werden(神になること、もしくは神に似たものにされること)を意味し、また過去分詞から形容詞に転用されてvergottetとなった場合には、zu Gott oder gottähnlich geworden(神になった、もしくは神に似た、神に等しくなった)という意味で語られるようになったと説いている。そしてこの語の用例が豊富に見られるものとして、ルターによって一五一八年に刊行された逸名の神秘家の著書を挙げている。この作品は編者によってはEyn deutsch Theologia(Johann Arndt)ともTheologia deutsch(Franz Pfeiffer)とも名づけられ、邦訳では共に『ドイツ神学』と呼ばれる慣わしとなっている。
それから同書の成立時期は、エックハルトの弟子たるタウラーの作品と勘違いしたルターによって日の目を見たのは一五一八年であったが、『ドイツ神学』のすぐれた翻訳(創文社刊)を遺した故山内貞男君の「解説」によれば、実際に書かれたのは刊行よりも一世紀以上も早く、一四世紀の後半にまで遡ると想定されている(同書二七〇頁)。
ところでトゥリューブナーにおいてはvergottenの用例がいくつも示されているが、もっと適切と思われる用例を提示することにする。但し附記したドイツ語の文章は、エックハルトの中高ドイツ語著作集を最初に刊行したFranz Pfeifferの編集になる「中高ドイツ語―新高ドイツ語」の対訳本(一八七五年刊)から引用することにした。
「神化した人間もしくは神的な人間」(ein vergotteter oder göttlicher Mensch)とはどのような人間であろうか、ともし人が問うたならば、その答は以下のごとくである。それは「永遠な光、もしくは神的な光を受けて隅なく照らし尽された上に隅々にまで燦めきわたっており、しかも永遠にして神的な愛で燃え立たされて、且つ燃え盛っているような人間」(Der durchleuchtet oder durchglänzt ist mit dem ewigen oder göttlichen Licht und entzündet oder entbrannt mit ewiger und göttlicher Liebe)(XXXIX,S.163〜5)である、と。
ところでかかる人間が果して本当に「真実に神化した人間」(ein wahrer vergotteter Mensch)であるのかどうかを見分ける基準はどこにあるのか、ということが問われることになる。そこでかかる人間においては「真実の光」と「真実の愛」のみがその人の内にある筈であるから、「真実に神化した人間」ならば「真実にして且つ純真無垢なまでに完全な善」(das wahre Eine vollkommene Gut)のみを愛していて、それ以外のものは愛することができない筈である。そのような境涯に入るためには、そのような人間からは「一切の自我性、我の所有権を主張すること、および自己への執着」(alle Ichheit,Meinheit und Selbstheit)が「すっかり一斉に忘去られ、且つ棄て去られて」(zumal verloren und gelassen werden)いなければならない。したがって「真実に神化した人間の内に出来(シュッタイ)するものとは、能動的であれ、受動的であれ、この光に照らされ、且つこの愛に包まれて出来するのであり、同一のものから出て、同一のものを経て、再び同一のものに還る、という風になるのである」(Und was in einem wahren vergotteten Menschen geschieht,es sei in thätiger oder in leidender Weise,das geschieht in diesem Licht und in dieser Liebe und aus demselben durch dasselbe wieder in dasselbe.)(XLIII,S.177-9)。
以上の説明によって、『ドイツ神学』に到ってVergottungという語が偽ディオニュシオスのtheôsisに匹敵する哲学的含蓄を獲得して、思辨的神秘主義の中心的な用語として採択されたことが明らかになったといえよう。
(ロ)「神神」という訳語に対応する原語は後句の末尾から二番目に置かれたGötterである。ドイツ語においてGottが定冠詞を先立てて複数形で語られるのは神話的宗教の場合に限られるので、キリスト教の神への讃歌たるべき本詩において、Götterという語が異教の神神を指しているようなことはあり得ない。ましてや父・子・聖霊と三位一体をなすキリスト教の神を3と見立てて複数扱いしているわけではない。ここで語られている「神神」とは実は西暦六世紀の新プラトン主義の哲学者プロクロスの著書『神学綱要』(Stoicheiôsis Theologikê,Elementatio Theologiae)の「命題」Propositio160-182に於て展開された純粋な単一者としての神的叡智を分有した叡智体(ta noêta)という思想に基づいている。このような叡智体は神的な存在者ではあるが、未だ多に留っており、「一それ自身における一」として、純粋な一には到っていない。本詩で語られた「神神」とは以上のごとき新プラトン主義におけるta noêtaに相当すると考えられる。なおプロクロスはギリシア哲学最後の大哲学者であり、スコラ哲学全体に対して大きな影響を及ぼした。
(ハ)「交わり」という訳語に相当する原語は本詩の末尾に置かれたOrdenであり、カトリック教会の用語としては「修道会、教団」を指している。そしてこの例に倣って、厳格な規約によって組織された世俗的な団体・結社・組合などにも適用されるようになったが、ここではその用法が逆輸入されて、神的諸存在の密接な結合関係を表わすのに用いられたと考えられる。シュジニはOrdenをconfrérie(宗教団体、教会)と理解して、この箇所をdes Hauts Dieux……la confrérieと訳している。さらにシュジニの注によると、このGötter Ordenという表示は「単に超自然的な位階だけではなく、神的な位階に転移された魂」(anima……ad ordinem non solum supernaturalem sed plane divinum translata)という「ラテン語表現の語順転換」(une transposition de l’ expression latine)である、とも言っている。
ところで「神神の交わり」という表現は類似したものを含めると、本詩集の各巻に点在し、ざっと見渡しただけで八ヶ所もあった。シュジニは更に、このような表現はバロック時代の指導的な詩人であったマルティン・オーピッツ(一五九七―一六三九)をはじめ、当時の詩人たちの用語法に聨なっていると指摘している。
なお英語やフランス語で得た常識からはOrdenに「交わり」のような意味をもたせるのに奇異な感じを懐くかも知れないが、フランス語や英語においては、ラテン語のordoがローマ時代からキリスト教中世を通して引摺ってきた多様な意味をすべてordre,orderという一語で受止めさせているが、ドイツ語では「秩序、順序、命令」などの意味はOrdnungに引継がせている。