憂鬱なる世紀に

山田 慎二

 

〈はじめに〉

 親孝行で知られた女性タレントが、老母の介護に疲れて自殺した。この国では、すでに10年以上にわたって自殺者の数が毎年3万人を超えて、なおもふえ続けている。

 これは、ただごとではない。私は、この時代が漏らす深いため息≠聞くような気がする。いまの世の中をすっぽり覆っている気分を一言でいうならば「憂鬱」ということになるかもしれない。

 苦難の戦争が終わって60余年。昭和から平成の世に移って20年が過ぎた。ひたすら経済大国を自慢しながら、こんなに生きにくく、息苦しい時代がやってくると、誰が予想したであろう。

 閉塞感が広がっているのは、日本だけではない。いわゆる冷戦後20年を迎えて、世界は繁栄するどころか、深刻な同時不況のドロ沼に沈んでいる。どこにも明るい兆は見えない。

 資本主義経済という勝者の驕りによって、世界は破綻した。それは近代文明そのものの行き詰まりである。歴史的な危機にほかならない。

 ひとつだけいえることがある。久松真一博士とともにポスト・モダニストの自覚に生きるならば、私たちはこの危機の現状から目をそむけることはできない。

 

 〈その1〉

 2009年の正月。私はテレビの画面に目を奪われた。東京の日比谷公園に突如、テント村が出現した。年末に急に仕事と住居を失った人たちが、寒空の下に続々とあつまってきた。

 その目と鼻の先には、日本を代表する超高級ホテルや中央省庁の巨大なビルが高くそびえている。その光景がテレビ画面に登場したとき、まさしく現代日本の光と影がクッキリと映し出されていた。

 問題は、いわゆる「派遣切り」であった。ここ数年、正規雇用ではない派遣社員が急増した。彼らは一方的に解雇される。それと同時に社員寮から追い出される。文字通りに路頭に迷うのである。

 テント村にあつまった人たちの世話をしたのは、多くのボランティアであった。そのリーダー役をつとめた湯浅誠は、ホームレス支援の活動を続けてきた。その体験報告の著書『貧困襲来』で鋭く指摘した。

 「この国で貧困は見えにくい」

 貧困は、日本社会にずっと前から存在していたのに、見えなかった。いいかえると、見ようとしなかった。あるいは、見たくなかった。中央政府も地方自治体も、市民も見ないようにしてきた。極端にいえば、本人さえ自分の貧困を認めたくなかった。

「格差があって、なぜ悪い」

臆面もなく現職首相が、こんな国会答弁をした。そんな暴言がまかり通って許されてきた。経済閣僚は、インタビューに答えて、したり顔で公言してはばからなかった。

「貧困は、この国にはないと思う」

政治家だけではない。社会学の日本女子大教授、岩田正美は、かつて若手研究者の頃に「貧困」について論文を書いたところ、指導教授から叱られた経験がある。

「貧困のような時代遅れのテーマをあつかうのは、まかりならぬ」

貧困隠し≠ノじつは学者も加担していたのである。これは、いったいどうしたことであろう。私はここに戦後の日本社会がかかえる思想的な欠陥を見ないわけにはいかない。

なんといっても問題なのは、経済が発展すれば、貧困はなくなるという安易な先入観に囚われていた。だから目の前の貧困が見えなかった。それどころか「1億総中流」などという愚かな幻想に浮かれていたのである。

世界一の経済大国アメリカで、貧困はどんどん広がっている。その実態が世界の前に明らかになったのは、05年夏のハリケーン・カトリーナ襲来であった。ニューオリンズの街は水没し、1000人以上の死者が出た。なぜ逃げなかったのか。住民たちは貧しくて、車なんか持っていなかったからだ。

OECD(経済協力開発機構)の発表によると、相対貧困率ランク1位はアメリカ、2位は日本である。経済大国ほど貧富の差が大きいことを物語る。経済大国とは即ち貧困大国にほかならない。

もちろん、いわゆる格差と貧困は区別して考えることはできる。格差も貧困もない社会は理想的だ。みんな等しく貧困な社会も地球上に存在する。ある程度の格差はあっても貧困のない社会ならば、比較的に望ましいだろう。

問題は、現実に格差がどんどん広がり、貧困もふえ続ける社会である。これは最悪であろう。現代の日本は、まさにそれに当たる。しかも、その現実を認めようとしない。

現実の社会から格差を完全になくすることは困難だとしても、貧困は別である。あってはならない。これをなくすることは、社会の責任である。だから、貧困の存在そのものを認めようとしないのは、責任の放棄といえる。

貧困は、貧困だけに終わらない。さまざまな不幸を引き起こす。自殺や孤独死、家庭内暴力、児童虐待などの背景には、必ず貧困がある。いま私たちが目にしている惨憺たる状況は、社会全体が貧困の存在を認めようとして来なかった結果なのである。

 

〈その2〉

新しい言葉が生まれた。「プレカリアート」。2003年頃、イタリアで路上の落書として発見されたといわれる。「不安定な」という意味の伊語プレカリオとプロレタリアートを合成した造語である。

新自由主義経済の荒波が押し寄せるなかで「不安定を強いられる人々」は、世界中にあふれた。この言葉は、ヨーロッパ各地で若者たちがデモなどのときに口にするようになった。

作家、雨宮処凛のルポ『プレカリアートの憂鬱』は、日本における実態をはじめて生々しく描いた。フリーター。二―ト。派遣労働者。ひきこもり。母子家庭。働きたくても、心を病んで働けない人もいる。

生きることの困難に人々は苦しんでいる。さらに息苦しさといったものが、社会を覆いはじめた。芥川賞作家、中村文則の新作『何もかも憂鬱な夜に』など憂鬱なる小説が、しだいに目立つようになった。

いうまでもなく「憂鬱」な気分は、いまにはじまったことではない。フランス文学者の菅野昭正は、著書『憂鬱の文学史』において、その系譜をたどった。憂鬱が時代と連動していることは、間違いない。

西欧においては、まずルネサンス期。「世の中の関節が外れてしまった」と概嘆するハムレットは、この時代が生んだ典型であろう。

つぎに産業革命とフランス革命による大変動につれて、社会と個人の間にギャップが生まれた。ゲーテの若きヴェルテルが人々の共感を呼んだ。

さらに19世紀末には、ボードレールの『パリの憂鬱』が登場する。ここでは、世界全体が倦怠や虚無の気分と結びついていた。

近代日本においては、大正8年に佐藤春夫が発表した小説『田園の憂鬱』が源流とされる。それに先立つ明治末期について、評論家の山崎正和が「不機嫌の時代」と規定したことは、よく知られている。

つまり、司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』の時代が終わり、日本という国が下り坂を歩みはじめた。そうした時代背景を踏まえながら、菅野は時代気分を分析した。

「国家意識の求心力が衰えると、不機嫌の時代になる。それを承けて憂鬱な時代がやってきた」

その流れは、戦後においても読み取ることができる。評論家の三浦雅士は戦後文学を論じたさい、安部公房、三島由紀夫、高橋和巳らの作品に「メランコリーの水脈」を発見した。

「人間の生の根拠が失われているという漠とした不安である」

憂鬱な気分が病的になると、メランコリーと呼ばれる。精神病理学者の木村敏は、豊富な臨床経験をもとに著書『時間と自己』において、メランコリーの特徴を説明した。

「とりかえしがつかないことになったーと思い込む精神症状である」

いいかえると、未来がすべて終わってしまったように感じられるというのである。未来に希望を見い出せないのである。私たちの社会には、なんでもそろっている。ただひとつ「希望」だけがないことになる。

考えてみると、歴史のなかで「躁」と「鬱」は、繰り返しているのかもしれない。戦後の経済成長期は、一種の躁状態であった。昭和から平成に変った頃から、しだいに鬱状態がしのび寄ってきたといえる。

世界に目を向けると、21世紀を迎えたとたんに、9・11テロが起きた。世界大戦を2回もかさねた前世紀に別れを告げて、新世紀に託した平和の願いは裏切られた。

テロとの戦いは、敵の姿が見えない。いわば陰鬱な憎しみと恐怖が広がった。さらに2008年に未曽有の金融危機が世界を襲った。地球規模の大不況からいつ抜け出せるのか。まったく見通しは立たない。

憂鬱なる時代とは、いったいなんであろう。従来の価値観が行き詰まり、展望がひらけない時代である。ひとつの文明の終焉ともいえよう。だからこそ、歴史的に価値観が大きく転換する前夜と考えることができる。

 

 

〈その3〉

6月8日という日付は、悲しくも痛ましい日として私たちに記憶された。8年前に児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小の殺傷事件も、昨年の東京・秋葉原の無差別殺傷事件も、奇しくも同じ日であった。

今年の当日には、どちらの現場でも犠牲者を追悼する人びとの姿があった。「二度と起こしてはいけない」と誰しも口にするけれど、じつは同じような通り魔的な無差別殺人は、全国各地で繰り返し続発している。

こうした事件をどう受け止めればよいのか。かならずしも単純ではない。とくに秋葉原の事件については、年齢によって見方がかなり違う。世代間の対立が浮かびあがった。

33歳のライター、赤木智弘は現代社会に対する批判の論集『若者を見殺しにする国』で注目される。この事件について雑誌で問いかけた。

「犯人を嘲笑う資格が、はたして私たちにあるのか」

この犯人は、25歳の派遣労働者であった。同年代もしくは、すこし年上のいわゆる団塊ジュニアと呼ばれる世代の人たちの間では、犯人に対する一種の同情論が語られた事実を否定することはできない。

ところが、その親の世代にあたる団塊派の人たちは、逆にきわめて手きびしい。作家の吉田司は、まったく同情しない。むしろ弱肉強食の時代を象徴するような身勝手な自己チュー殺人とみなす。

「相手は誰でもよかった」と犯人はうそぶいたが、その言葉は信用できない。なぜなら、なんの抵抗もできない弱者をねらっている。そのためにアキバが選ばれたに違いない。

「いちばん無力な羊の群のような街だからであろう」

犯罪は社会を映し出す鏡といわれる。いかに不可解に見える凶悪犯罪であろうとも、私たちはその動機をさぐり、なんとか「心の闇」に迫ろうと試みる努力をやめない。

宮崎勤事件などを取材してきた作家の吉岡忍は、アキバ事件についてどう見たのか。意外なほど端的に語った。

「この事件には、謎がなさすぎる」

犯人がケータイ・ネットに書き連らねた言葉をみると、あまりにも短絡的で底が浅い。ひどくわかりやすい。このあっけらかんとしたところに、事件の現代的な特徴を読みとる。

それにしても、犯人はなんとおびただしい数の言葉をネット上にまき散らしたことだろう。現代社会を覆いつくしているコミュニケーション至上主義とでも呼ぶべき現象のすさまじさにこそ、私は驚愕する。われわれの文明がITネットワークを発展させた結果にほかならない。

ある意味で事件は予想されていたともいえる。私たちは、事件に先立って社会学の京大教授、大澤真幸が出版した著書『不可能性の時代』を読んでいたからである。

その分析によると、現代はきわめて特異な状況に直面している。これまでの常識では理解しにくいような逆転現象が起きているのである。

「現実からの逃避ではなく、現実への逃避と呼びたくなる」

現実から逃避して理想や夢を追うのではない。むしろ暴力的・破壊的な現実の中へ逃げ込む。アキバ事件などは、まさにそうした「現実」にほかならない。その意味で一種の自爆テロとみることができる。

大澤教授は「現実」に対する反対語として「理想」「夢」「虚構」の三つを挙げる。戦後社会は、現実との対比において「理想の時代」から「夢の時代」さらに「虚構の時代」へと変遷してきた。「不可能性の時代」は、私たちが辿りついた最後の時代である。

同じような事件は、いまもあとを断たない。いずれの事件の場合も、犯人たちは「誰でもよかった」と繰り返す。同じセリフを耳にするうちに、私は奇妙なことに気がついた。

彼らは意識することなく、もうひとつの意味をつぶやいていたのではないか。「これをするのは、自分でなく、誰でもよかった」。それならば、いつ、どこで起きても不思議ではない。

 

 

〈その4〉

今春の米アカデミー賞には驚いた。日本映画のダブル受賞。とくに外国語映画賞の『おくりびと』は、イスラエル戦場映画の本命説をくつがえした。この予想外の逆転は、私たちに時代の空気の変化を感じさせた。

思えば、このところ、世界はあまりにも多くのテロや戦闘のシーンを見過ぎたのである。正義を掲げた殺し合いには、うんざりした。忘れられた死者たちにまなざしを向けるときが、ようやくきたのであろう。

受賞作は、主演俳優の本木雅弘と一冊の書物の出会いから生まれた。詩人の青木新門の体験記『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、それが映画化のきっかけとなった。

著者は、冠婚葬祭会社の社員として死者を棺に納める仕事を続けてきた。その体験を通して、しだいに厳粛な事実に気づくようになる。

「死者は静かで美しく見える。生者の醜悪さばかりが目につく」

死者たちは、ほとんど安らかな表情を見せていた。それにひきかえて、まわりの生者はどうであろう。ひたすら死を忌み嫌い、恐怖のまなざしで覗き込むばかりである。

こうした体験をかさねるうちに、彼は不思議な感覚を味わった。死者と自分だけが、ぽっかりと光に包まれるように感じられた。

「いつの間にか、宗教書を読むようになっていた」

つらい思いもした。この仕事をはじめた頃、家族にも理解されなかった。あるとき、妻から「穢らわしい。近づかないで!」とヒステリックに拒絶されたこともある。

私たちの社会は、日常生活から徹底して死の影を遠ざけようとしてきた。いまや死は、現代におけるタブーとなった。ここに問題がある。

多くの場合、現代人にとって死はもっぱら統計数字として語られる。人びとは他人の死についてほとんど無感覚になってしまった。

そんな時代に、天童荒太の小説『悼む人』が、今春の直木賞に選ばれた。他人の死を悼むために、全国を訪ねて歩く若者の物語である。

彼は、どこまでも死者の人生にこだわる。どんな死者についても、周囲の人から話を聞く。三つのことさえわかれば、必ずその人を悼むことができると考えている。

「誰を愛したか。誰に愛されたか。どんなことで人に感謝されたか」

これを読むと、いまの時代に書かれるべくして書かれた作品という気がする。無差別殺人の時代にあって、無差別に他者の死を悼むのである。

日本発のアカデミー賞映画にも、期せずしてあてはまる。死が排除される時代に抗するように、悼む人も送る人も、現代人と死のかかわりをあらためて問い直す人なのである。

千葉大教授の広井良典は、長年にわたりターミナルケアの現状について考察してきた。そこからもっとも根本的な問題が浮かびあがった。

「日本人の死生観そのものが、ほとんど空洞化している」

その著書『死生観を問い直す』が指摘するように、日本人はもともとそうではなかった。歴史的にみて、現代ほど日本人が死を忘れた時代はない。

死の意味がわからなければ、生きる意味がわかるはずがない。私たちの社会が抱えている不安は、そこに深い原因がある。近代的合理主義のみを信じて突っ走ってきた戦後社会は、ついにここで挫折するのである。

 

けふのうちに

とほくへいってしまふ わたくしの

いもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあか

るいのだ

死者を送りながら、青木は宮沢賢治の詩『永訣の朝』を読んで魂をゆさぶられる。道元や親鸞や良寛の言葉に感動をおぼえた。おくりびと≠ヘ、仏教的死生観にめざめる人であった。

 

〈おわりに〉

政治家たちは、いまなにかといえば必ず「100年に1度の危機」を口にする。この言葉を聞くだけで、信用できない。露骨な責任逃れの自己弁護にすぎない。

米国発の金融パニックを引き起こした。その張本人のグリーンスパン前連邦準備理事会議長が、自分の責任をごまかすために言い出した。だまされてはならない。日本の政治家が便乗するのは、恥の上塗りといえる。

「200年に1度の危機」というならば、むしろ信用できるかもしれない。19世紀初頭、イギリスに金融資本主義が生まれた。それ以来続く英米流の金融資本主義そのものが、ついに終焉に向かって歩みはじめた。

もうひとつの「200年」に目を向けるならば、今年はチャールズ・ダーウィン生誕200周年にあたる。わが自然学者の今西錦司は生涯を通してダーウィンの進化論を批判し続けた。

「生存競争による適者生存の考え方には、承服できかねる」

生物進化の事実は否定できないけれど、その理由について説明の仕方は、洋の東西で議論が分かれる。ダーウィン説は、初期資本主義社会における競争原理を生物にあてはめたように見える。西欧近代型の発想である。

近代主義は、結局、西欧流の弱肉強食原理によって支配されていた。しかも、その原理のゆきすぎによって破綻を早めようとしている。

私たちの戦後社会は、西欧型近代主義を短期集中させた凝縮版であった。その結果はどうであろう。人びとは生きにくさと、息苦しさにあえぎ,憂鬱なる時代を迎えてしまった。

私たちのFAS思想は、その近代文明批判の精神において、ますます存在意義を高める。「近代」を超える価値観によって「現代」を生き抜く。その覚悟が、いまほど痛切に実感されるときはない。