老いと死の現場から
(傾聴ボランティアとして)
大薮 利男
〈こころ騒ぐもの〉
私はここ十年ほど、傾聴ボランティアとして高齢者の方々を中心に、実に多くのみなさん方にお会いしてきました。私がボランティアとしておこなっていることはただ一つ、お会いした方々のお話をひたすら聴かせていただくということ、それだけです。それ以上のものではありません。私自身は何もしないのです。また、何一つできない私でしかないのですが、ただただ相手の方の身になって、その場に寄り添い、お話を一方的に聴き、まるごと受け取らせていただくという、それだけのことを精一杯おこなってきました。
こんな単純な、こんな簡単なことで何ができるのかと思われるかも知れません。これは私自身も不思議なことなのですが、傾聴させていただくことが、こんなにもみなさん方に受け入れていただけ、喜んでいだけるものなのかということは、正直なところ私の驚きでもありました。今、私は難しいことより、簡単なことを単純に、素直にお任せしてやることの中に真理はあって、そこに人知を超えた不可思議な力が授けられるようになっているのだと思っています。今は、いかなる人、たとえば、重度の認知症の人であっても、まさに死を前にしておられる人であっても、聴かせていただこうと決意して対するならば、どなたにも、その場で受け入れていただけるものなのだという確信がもてるようになりました。
私たちは一度でも傾聴させていただくという関係ができた人とは、断られるということがない限り、原則として継続して定期的にお会いしています。ですから、同じ人と数十回、数百回と、その方がお亡くなりになるまでお会いするケースもあるのです。このような関係のなかで、その方の人生を洗いざらい聴かせていただくということは珍しいことではありません。
この活動を続ける中で常々思うことがあります。それは当然といえば当然のことでありますが、お会いするお一人おひとり、まさに違うということです。その人の健康状態、身体や精神の障害状態、家族や周りの人たちとの関係などの身辺状況、その人の生い立ちや人生経験、そして生きざま、そういう諸々の前提があって、その人の「今・ここ」における気がかりや苦悩があるのです。共通点といえるようなものは全くないといってもよいでありましょう。よくもこんなにいろいろあるものだとさえ思います。
しかし私は、また思うのです。「同じだなあ…」と、「私もまさにそうだ…」と。私の傾聴の原点、傾聴を継続させるパワーの源泉は、実はここにあります。他人ごとであって、まさに自分のことなのだという実感です。見捨てておくことはできない、というこころの騒ぎです。この騒ぎを大切にしていきたいという思いです。
その「同じだ…」との思いとは一体何にかと言えば、それは人間個々人の特定な気がかりや苦悩の内に潜む普遍です。釈尊は「生きることは苦しみだ」と言いましたが、人間存在として誰もが持ち合わせている根元的な苦悩(スピリチュアル・ペイン)の問題です。
その人の「今・ここ」における気がかりや苦悩は、現実的で一見瑣末な取るに足らないものとしてしか捉えることが出来ないかも知れません。しかし、それを超えて、そのことを通して、誰もが生きてきたことの意味、今を生きることの意味を真剣に問わざるを得なくなっておられるのだということが、聴けば聴くほど見えてくるのです。人間とは「私とは何か」、「本当の私とは何なのか」を問い続け、求め続けない限り生きていくことができない、また死んでいくこともできない存在なのだと思います。この問題は、老いや死が切羽詰まるターミナル・ステージのなかでより先鋭化しているのです。
もう一つ、マザー・テレサはこう言っています。「誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ、それは一切れのパンに飢えているよりも、もっとひどい貧しさなのです。豊かな日本にも貧しい人はたくさんおられるでしょう」と。
人間は関係存在として、つながりのなかで今を生きています。一人では生きていけないのです。老いのなかで自分の役割が奪われ、誰からも必要とされず、見捨てられ、誰もが無関心という孤独のなかで、心は萎え、心の貧しさのなかに突き落とされている人たちは、マザー・テレサが言うように、ちょっと周りを見わたせばあちこちにおられます。特に珍しいことではありません。
この現実に対して、私に出来得ることは実にささやかでしかありません。このような人たちに具体的に一時であっても、心を込めて寄り添うこと、そのことを地道に精一杯やらせていただければ有り難いと思っているのです。それが実は、他人ごとでなく私自身の安心につながる道なのだと信じているのです。
〈巷の妙好人たち〉
私たちは先ほども述べてきましたように、本当にいろいろな方々にお会いします。一概に傾聴ボランティアとは、こうだと一般論をもって言えるようなものではありません。しかし、ときに「凄いなあ…」と、こんな生き方、老いざまもあるのか、と思うような方とお会いすることがあります。よく世間では「生きてきたように老い、老いざまが死にざまをつくる」(早川一光氏)と言われますが、このような方たちとお会いしていると、この言葉にも一理あることを納得せざるを得ません。
私はこう思っています。「凄い」という私の感激は、お会いする方をとおして、人間が老いや死をも乗り越えていく姿であり、最後まで成長していこうとする力を持って在るものということを実感させていただくことであります。私はこの頃、人間誰もが老いや死という苦渋の道をとおして、幾多の想い煩いや執着を諦め(明らめ)、超えていくというコーピング・プロセスを、健常な意識を保つ人ならば持っているものであると思っています。そして、最終的に人間は、生死をも超えた処、あらゆる生命が輝いて見える処へ回心していく能力を潜めて生きているのだという思いを強くしています。
この回心こそ、あらゆる宗教が目指すものであると思います。仏教においては昔から、世俗のなかで仏道を実践する篤信の人たちを「妙好人」として称えてきました。私は傾聴ボランティアをとおして、現代の妙好人に、まさに邂逅しているのだと思っています。
ここでいう妙好人とは、特別に宗教を究めた、優れた偉い人として、称えられているような人をいうのではありません。そこあそこに平然として生きておられる普通の人たち、日常を正直にまっとうに苦しみながら、平凡に生きてこられた人たち誰も、誰もが等しく通っていくプロセスの到達点としての現れなのだと思っているのです。
ただ違うのは、一人ひとり、到達点に達するときが早いか、遅いかということでしょう。しかしながら、死という事実との引き替えが、到達点であったという人生では、あまりにも虚しいし、もったいないと思っているのです。
私は、人間も生命の仕組みのなかで、妙なる摂理に従って生かされてあることを確信しますが、妙なる摂理を自在に生き切りたいという願望を持って生きるのが人間であり、また、ままならないと煩悶するのが人間でもあると思います。
傾聴ボランティアにおいて、この妙なる摂理に身をまかせた方々に邂逅し得ることが、私にとって感激であり感謝であるのです。ここでは私が最近、出会った三人の方、この方々からお聴きした、忘れられない言葉の片々を紹介して、私の感動の一端を知っていただければと思います。
Aさんは85歳の小柄な女性。ご主人が芸術家であったということもあり、家計は安定したものではなかったと言い、3人のお子さんを抱えて、Aさんは毎日、肉体労働に明け暮れてきたと言われます。そして「よくぞこんな身体で、事故もなく、病気一つせずこれたものだと、身体に感謝している」と、折れ曲がった腰と細い骨太の足を撫でさすっておられます。
「私には、気になることや心配するようなことは、いま何にもないなあ」と言われ、「誰でもあんた、いいようになりたいと思うはなあ。だけど、なるようにしかならへん。それは仕方がないことや」。「今になってああしたらよかった、こうしたらよかったと過去のことは思わん」。「これが私の人生やった…、と思うだけやなあ」と、自分の人生を全面的に受け入れ、今ある現実を達観視し、肯定しておられるのです。
また「人間やもの、死ぬときはあるわ。死ぬのはしゃあない。死ぬときが来たら死んだらよいのや。死ぬのは自然や」。「それは人間やから、まだまだ生きたいと思うかも知れんが、死ぬときは、ああ死ぬときが来たか、と思うだけやろなあ。それだけやなあ…」。「死んでどうとか考えたことがない」と、あっけらかんとして死を確信ありげに語られます。
Bさんは87歳の女性、車いすの生活です。Bさんはお子さんはおられなかった。ご主人が亡くなり、今は5人おられた兄弟もみな亡くなっておられて、「誰一人身寄りがない。ただ一人取り残されてしまった」と言われます。この施設に入るにあたって、家も処分して来たと言われ、「私は、もう行くとこはないのです。 もうここで、最後まで居らしてもらわないかんのです」。「だけど、本当にみなさんにようしてもらうのです。こんな良いとこやとは思いもしませんでした」。「もったいないことです」と言い、「もう思い残すようなことはなにもありません」と、今・ここにある、そのことを感謝しておられます。
日頃の職員さんたちの介護に「有り難い、有り難い」と言い、職員さんの後姿に手を合わせておられます。Bさんは日常の些細なこと、普通は見逃してしまいそうな何でもない一こまに、「有り難い」と感謝せざるを得ない何かを発見できる、みずみずしい心を持っておられるのです。たとえば、「あの看護婦さん、毎朝、私がこうやっていると(両手を広げて)、ここにちょこっとクリームのせてくれはるのでっせ(目を潤ませて)。私、こうやったらいいだけなのです(両手をもむようにして)」と、感激されているのです。
そして「毎日、こうやって有り難い、有り難いと思いながら過ごせる私が、一番有り難いのですなあ…」と言い、「ほんとに幸せなことです」と手を合わせ、あらゆるものを拝んで毎日を過ごしておられるのです。
Cさんは94歳、女性、身体は衰えておられても日常生活に特に不自由はない。声が大きく、朗らか、精神的に若々しい方。「私はグジグジ考えることはいやなんや。なるようにしか、ならへんのやからなあ…」と言う。「物があっても、気にせんならんようなものはかなわん。みな処分してきた」。「お金なんか、そこそこあったらいいのや。ここの払いを済ませて、ちょっとコーヒーが飲めたらいいだけや」。「お金を持って死ねるか」とも言われる。
「人間は諦めることが大切や。お父さんが教えてくれた」と言い、なにか決断しなければならないことが起こったときは、「私は、ここまでは考えるのや(顔の高さまで手を挙げて)。これ以上考えても、しゃあない。後のことは、なるようにしかならへん」。「なるようになれるかも知れんもんは、それは一生懸命考えて、やらないかん。なってしもうたものは、グジグジ後悔しても、しゃあない。あきらめるしかないなあ」。「ものは思いようやからなあ」と言う。
また「私は苦がないから長生きするのか知らんが、もうそろそろ迎えがきてくれたら、ありがたいのや。そやけど、これだけはどうしょうもないなあ…」と言う。みんなから「あんたはいつ見ても朗らかやなあ。何でそんなに元気なんや、と言われるのや」と、カラカラと笑っておられるのです。
私が邂逅する巷の妙好人たちは、どの人も老いのなかで身体的な衰えは当然あって、不自由さに何かと苦しんではおられるのです。しかし、そこに暗さ、惨めさ、悲しさは感じられません。精神的に明るく、朗らかに生きておられるのです。
これらの方々は、いま出遭っておられる現実がいかなる状況のなかにあっても、それがいかに困難で辛い現実であったとしても、それらをそのままに受け入れ、物事を肯定的に、ポジティブに見わたせる位置に立てる「何か」を掴んだ人たちだとも言えます。この人たちからは、もう不平、不満、愚痴は聞こえてきません。むしろ、この現実を「有り難い」、「幸せだ」とまで言い切れるものを持って、「今・ここ」を明るく元気に生きておられるのです。そしてまた、元気に死んでいかれることでしょう。
この人たちは、難しいことを語りません。自分自身の今までの生きざま、老いざまそのものをありのまま語られます。この人たちは、その人なりの確信があって、ある境地に到達しておられるのです。世間から見れば忘れられた存在でありましょうが、紛うことなく、この人たちは「生きる」ことの実力者であり、成功者であると言えるでありましょう。
しかしながら、私たちが傾聴ボランティアにおいてお会いする方々は、まさに様々です。ここに紹介してきたような方たちと出会うのは、むしろ、数少ないことかも知れません。しかし、私はこう思っています。私たちは誰もがこの人たちのようになれるのだと。また、なることを誰もが切望しているのだと。さらに言うなら、なれることを私たちの深さの私はすでに知っていて、それがために騒ぎ、もがき苦しむのだと。
人間はもがき苦しんでこそ、開けるものがあるのです。もがき苦しまない限り、超えられない摂理のなかを生かされています。この人間に持たされた崇高なるコーピング・プロセスを全面的に支え尽くしていく、希望を持って、どこまでも精一杯支え尽くしていく、それが傾聴なのだと思っています。
※ コーピング・プロセス…自分が自分で対応し自己治癒しようとする心理的ストレスの対処過程
〈無垢なる微笑み〉
私たちが傾聴ボランティアをさせていただくのは、高齢者福祉施設(特別養護老人ホーム、老人保健施設など)が多いのです。超高齢者社会を迎える日本にとって最重要課題の一つは「認知症」だと言われており、今も疾患者は増え続けています。高齢者福祉施設に入所される認知症の方々も当然、世間の増加傾向以上に増えています。ですから、私がお会いする方々も認知症の症状を持った人たちが多いのです。
認知症は脳の神経細胞ネットワークが、何らかの原因で壊れていく病気だといわれます。認知症の症状としては、記憶障害、見当識障害(ここはどこ、今はいつ、私はだれ、がわからなくなる)、理解・判断力の障害など、中核となる症状があって、現実を正しく認識できなくなります。そこに、その人の性格や環境、人間関係などの様々な要因がからみ合って、周辺症状(鬱状態、徘徊、幻覚・妄想、興奮・暴力、不潔行為など)が出てくるのだと言われています。
しかし、お一人おひとりを認知症として、一括りに語れるようなものではないでしょう。お一人おひとりの症状は異なります。また認知症の経過とともに、症状も変化していかれるのです。でも明らかに、私が先に述べた現代の妙好人と呼んだ人たちとは違います。お会いすればわかります。
それは何かと言えば、「私」に対する意識の問題だと、私は思っています。私たち健常者は当然「私は私だ」と思い、今を生きています。「私は私で、お前はお前だ」とどこまでも思い定め、そのことに何の疑いも感じません。しかし、認知症の方々は脳機能の障害が進行するなかで、「私」という意識が壊れ、崩れていくのだと言われています。お一人おひとりの症状の違いは、「私」の意識の崩れ方の経過を表すものでもあると言えます。
私たちが認知症の方々の傾聴をさせていただくと、実に様々です。過去のあることへの拘りから、今現在とその時が混在しているという方。今、ここにいることが理解出来ない方。先ほど食べた食事を忘れて、食べていないと言い張る方。自分の主人や子供たちさえわからないという方。一生懸命に語られても、聴く私には意味が何一つ理解出来ない方。言葉がもう出なくなっておられる方。等々、実にいろいろな方々にお会いします。
私たち傾聴においては、このような方々にたいしても、相手の立場を無条件に完全受容します。相手の話がどんなことであっても、たとえそれが理解できないことや間違っていることであったとしても、無条件に受け入れて肯定的に聴くのです。無条件に聴くということは、その人を批判したり、否定したりしないで、その人のありのままを、まるごと受け入れて聴くことです。
このような関係のなかで言葉を超えて、心が通じ合ったコミニュケーションが出来、ここに不可思議な力が働き出す場が出来あがるのだと私は思っています。もしも、相手の方が周辺症状の悶えのなかにおられるとしても、このような関係のなかで、何時しか穏やかになっていかれるものなのです。
私は認知症の方々との傾聴において、ときに「凄いなあ…」と思わざるを得ない体験をします。それは何かと言えば、認知症の方々の笑顔に出会うときです。あのニコニコとした笑顔は純粋無垢な清らかで、くもりのない赤子の笑顔です。本当に、いい顔に出会うのです。まさに天真爛漫、屈託のない最高の微笑みなのです。この微笑みは、観音の微笑みであり、仏さんの微笑みに通じたものだと思います。
私たちはもともと一人残らず赤子でありました。その幼子がだんだんと知恵づいて、「私が、私が…」という自己中心的なエゴが発達し、エゴこそが「私」だと、何時しか思い定めて生きるのが人間であり、この無明の「私」に戸惑い、想い悩み、苦しみ続けるのが人間でもあります。認知症のみなさん方は脳機能の疾患によって、「私」という意識が壊れ、崩れていく経過のなかで、赤子の無心に還っていかれるのです。
認知症の経過は赤子の発育の反対だと言われます。まず認知領域が衰え(赤子の場合は後で発達する)、感情領域が残るのです(赤子はまず快・不快、喜怒哀楽など、感情の発達から始まる)。世俗を凡夫として生きる人間の感情から、認知領域が脱落したものを想像すればよいのでしょうが、ここは私たちの理解を超えています。凡夫として生きる私たちの当たり前からの逸脱のなかで、認知症の方たちは「本当の私」を遊戯しておられると言ってよいでありましょう。その象徴としての現れが、無垢なる微笑みなのだと言えると思います。
幼子は献身的な母親なくして、成長をなし得ませんように、認知症の方々も、介護者なくしては生きていくことが出来なくなっていかれるのです。ここで厄介なことは、私たち人間は、幼子に対しては自然に愛おしさを感じ、優しく接することが出来たとしても、老いた人、死を前にした人たちに対しては、出来れば目をそらし、避けていたいという本能を背負って生きているという不幸です。
このようななかで、私が関わる各施設の職員さんたちは本当によく尽くしておられるのです。頭が下がります。しかし、施設の現実は入所者の身体介護で精一杯です。心のケアまで手が届かないのが現実でありましょう。としても、認知症の方々の到達点として、無垢なる微笑みに出会うということは介護の希望であると思います。
先に述べた巷の妙好人たちの老いざまの明るさや元気さと、認知症の方たちの無垢なる微笑みは、実は同じところ、同じところに到達した結果としての現れではないか、と私は思います。そこは無心というところです。しかし、両者は違います。認知症の方たちは脳障害によってエゴの私が喪失したのであり、妙好人と呼ぶ人たちは自分自身の苦悩を通して、苦悩の意味を自身で問い、深耕してエゴの私を再甦生させておられるのです。
私たちは裸で生まれ、裸で死んでいきます。世俗を生きるため、営々として築き上げてきたもの、これらを何もかも捨てて、一人で死んでいかねばならない。これは厳然たる事実です。この事実は容赦なく誰の前にも襲いかかります。妙好人たちはこの事実を、出来る限りの執着を自らが絶つという覚悟をもって、くぐり抜けておられるのです。
でも、妙好人たちにとっては、ここに述べてきたような理屈など、必要なかったことでしょう。理屈や知識を巡らす前に、実践があり、生活がただあったのです。そのなかで、その人なりの確信があったのです。
現代は老いや死が忘れられた時代と言えるでしょう。超高齢者社会といい、毎年亡くなる人は百万人を越えようという時代に、老いと死が実は忘れられているのです。でも、老いと死は巷ではいっぱい語られています。しかし、それはあくまでも他人ごとのものであって、自分自身の老いと死を見つめた上での話は少ないでしょう。現代社会は老いや死は暗い、汚い、怖いものとして忌み嫌い、隠蔽してきました。出来る限り見えないよう、見ないよう、考えないようにして、生をただ謳歌する仕組みをつくりあげ、そのことを進歩発展だとしてきました。しかし、私たち人間にとって、現実の老いと死に直接出会ったことがあったか、どうかは、「よく生きる」上にとても大切なことです。
「よく生きる」とは何かを、老いと死を抜きに考えることは出来ないでしょう。といって、老いと死をただ知識として、学ぼうとしても学べるものではありません。個々人が、その現場で実体験を通して学ぶ以外、学ぶことが出来ないものがあるでしょう。しかし、現実の現場は一見、実にやるせなく、辛く、「どうしょうもないなあ…」と思わざるを得ないものかも知れません。
であったとしても、その奥に果敢に立ち入るとき、そこに漂う「凄いなあ…」、「それはそうだわなあ…」と受け止めざるを得ないものがあるという事実。人知を超えた摂理の厳粛さ、善悪・幸不幸・生死などを超えた敬虔なもの、言葉を超えた大いなる何かに、こころ打たれざるを得ないものを誰もが実感せざるを得ないでしょう。
往々にして人は、求めるべきものは遠くにあると思い、頭で迷っています。でも、実は求めるべきもの、学ぶべきものは目前に、脚下にあるものなのです。そのものは、概して、そっとしておきたい、正面から見たくないものとしてありますが、そのものを受け入れ、積極的に見よう、背負おうと覚悟を決めたとき、そこで、はじめて前は開けてくる、足がかりとしてあるのです。
私は医療や介護の専門家でも何でもありませんが、老いと死の現場には、一般のイメージとは反対に、明るいもの、光り輝いているもの、救われるもの、希望につながるもの、あるいはまた、ケアする相手から、ケアされていたという気づきなど、実体験した者のみが持つ、ポジティブな事例が数多くあるだろうと思っています。この時代、現場の事実とともに、ポジティブな部分にスポットライトをあてて、社会の多くの人々に知ってもらう必要があると、私は常々思ってきました。その視点から、拙くともこの一文を記してみました。多くのみなさんから、ご批判をいただければ有り難く思います。 (2009・6・10)