『正法眼蔵 現成公案』について
法橋 史彦
(一)この巻は正法眼蔵中の正法眼蔵。道元三十四歳の中秋に書かれ、七十五巻本の巻頭の【仏法の根本】を説いた書である。
迷悟・修行・生死・諸仏と衆生・万法と我が縁起現成という生命力あふれる仏道修行の要を、公(平等)案(差別)の縁起(現成)という不即不離の立場で説かれたものと理解します。
(二)「自己を運びて万法を修証するを迷いとす。万法進みて自己を修証するは悟りなり」
「諸仏のまさしく諸仏なる時は、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず」
が、前半にあって、この句(仏道をならうというは…)が出てきている。
無我の現成した真の自己(身心脱落・脱落身心底)を生き続けてゆく。
(三)人と舟のたとえ、薪と灰のたとえ、生死・冬と春のたとえ、水(人)と月(悟り)のたとえ、魚の水行・鳥の飛空のたとえ
(四)麻谷禅師の「風と扇」の問答
弟子「どこにもここにも行き渡っていることを教えて下さい」
師、黙々として扇子を使うだけであった。
弟子、深く礼拝して、師のこの無言の教えに感謝した。
「万法すすみて自己を修証する」悟りの生活の様子が、この問答で示されている。
風の本性は常に存在しているから、学道する者は、それを十二分に活用して、この大地に颯々たる金風を起こすことをしなければならない。
衆生無辺誓願度の自己及び他己の身心を空行していく生活に精進していくことではなかろうか。
※今回、京都深草坐禅会の取り組みを紹介するに当たり、月一回発行している『深草だより』(最近のもの)に少し手を加えたものを掲載させていただいた。