禅における「生死」と「善悪」
                

阿部 正雄       



 生と死は人にも動物にも共通していますが、自己意識を持つ人間にとってのみ、「生と死」の「事実」が深刻な問題となります。人は死そのものよりも、むしろ「死ななければならないこと」を苦にするのです。人にとって生と死は、価値と関係のない単なる自然現象ではありません。生は望ましく、死は厭わしい。それゆえ人は意識的に、意図的に、生を永続させることによって死を克服しようと試みます。他方、善と悪は本能にも反射運動にも関係なく、自由意志に基づいて決定することですから、善と悪は人間特有の問題です。さらに、生死の問題と善悪の問題は本質的に異なっていながら、人があること〈訳注1〉の深みにおいては切り離せないものです。たとえば仏教では、男に生まれるか女に生まれるかは業による、つまり過去の行いの結果であると理解され、キリスト教では、死が「罪の報い」であるとされています。

 道元は、「生から死へと移ると考えるのは間違いである」と述べています。私たちは日常生活において、今私たちは生きているが将来いつか死ぬであろうと、生から死へと徐々に動いていると考えていますが、生と死をこのように理解することは間違っていると、道元は言うのです。道元の立場からは次のように問われるでしょう。「生と死の関係をそのように考えるとき、私たちはどこに立っているのだろうか。生の中なのか、死の中なのか、それともほかの見晴らしの利く立場から判断しているのだろうか。」生と死の関係を生から死へと動く過程と見るとき、私たちの〔生きることに関わる〕姿勢は生と死の外に〈訳注2〉ある、つまり、死を将来の何かとして対象化し、現在の生もまた対象化しているのです。

 しかし対象化された、あるいは一般化された生は、もはや現実の本当の生ではありません。同様に、対象化・一般化された死もまた抽象です。このような視点からは、生の意味を真摯に問うことも、死の不安を今ここにあることに即して理解することもできません。現実の本当の生を外から対象的に見ることはできないのです。内から主体的に把握しなければなりません。生を主体的にとらえたとき、生と死が分かれたものではないことに気づきます。私たちは生から死へと動いているのではなく、今生き、また同時に死につつあことがわかるのです。これは年齢にかかわりません。母の胎内から生まれたばかりの新生児もすでに死に始めたのであると同様に、死の床にある老人もまだ生きているのです。死ぬことなしに生きることはなく、生きることなしに死ぬことはない。生と死を固定したものとして分けることは抽象的で現実から離れています。それは、生と死を超えたところに立って、すなわち思考が生み出した架空の場所に立って、生と死を対象化する概念的理解にすぎません。

 対象化によって私たちは生にすがりつき、死を嫌悪します。私たちは生と死の対立に縛られているのです。しかしそれでも、まさに生きていることによって、私たちは常に死に直面しています。生と死は一枚の紙の両面のように、分けることができません。またこの紙は、私たちが眺めていられるような普通の紙ではないのです。生と死の両面を持ったこの紙は私たち自身です。人生のどの瞬間においても、私たちはすべて生であり、すべて死なのです。私たちの生は、生から死への動きではなく、絶え間のない生きること即死ぬこと、矛盾した、ダイナミックな生死一如です。道元が「生から死へと移ると考えるのは間違いである」とするのはこの意です。

 プラトンは、人間を死すべきものとして理解し、魂の不死を真剣な問題として扱っています。キリスト教では、人は原罪の故に死ななければなりません。イエスキリストの復活を信ずることによって、キリスト教徒は罪と死を超えた永遠の生命を待ち望みます。仏教ではこのような見方と逆に、人間はプラトンの意味で死すべきものでもなく、罪の故に死ななければならないのでもなく、業によって生死すると見ます。仏教はこの絶え間のない生きること即死ぬこと(生死)を輪廻転生の観点から語ります。それゆえ、魂の不死や神の国での永遠の生ではなく、生死が完全に絶えた涅槃を求めるのです。涅槃が不生不死、生起と死滅からの解脱と語られるのはこの故です。禅はとりわけこの解脱を強調します。生起と死滅、生と死の二元性から開放されたなら、二元性の緊張にとらわれることなく自由にこの世界で働くことができるからです。

 妙心寺の開祖、関山慧玄(12771360)は、新参の僧に「何のためにここに来たか」と問いました。「生死の問題がどうしても解決できないのでここに来ました」と答えた僧を、関山は「慧玄が這裏に生死なし」と追い払いました。関山はこの無愛想な応対によって、僧の生死への執着の根を断ち切ろうとしたのです。

 死すべきことを、あるいは生を前提とすることによって、プラトンもキリスト教も、道元が厳しく拒否した、生から死へと動いてゆくという立場をとっています。言い換えると、プラトン主義の不死もキリスト教の永遠の生命も、ともに死を超えての生の延長であり、生を死の根拠であると前提する発想ではないでしょうか。しかし、生死の問題が〔生〕を根拠として克服できるのか、生と死は本質的に切り離せないのにもかかわらず、生によって死を克服することができるのかと、仏教から、禅からは問わざるを得ないのです。

 パウル・ティリッヒは、神を存在〈訳注3〉そのものと呼び、「存在は存在自身と非存在を〔包む〕。存在は、神聖な生命の過程に永遠に現在し永遠に克服されるものとしての非存在を自己の〔内〕に持つ」としています。ティリッヒによれば、それは「〔非存在〕という言葉が示すように、存在は非存在に存在論上先立つ」からです。非存在は存在の否定であって、その逆ではないから、存在は非存在に先立つということのようです。存在が非存在に存在論上先立つことに基づいて、生は本質的に死に先立ち、善は本質的に悪に先立つとみなされます。これがギリシャ哲学とキリスト教に共通な、生死、善悪の基本的理解であると思います。

 ここで禅から問わざるを得ないのは、〔存在〕はどうやって存在自身と非存在の両方を包むことができるのか、〔存在〕が存在自身と非存在の両方を包む基盤そのものは、存在でも非存在でもない、つまり仏教で言う〔空〕ではないのか、という問いです。西欧の哲学と宗教における〔存在〕は、非存在に優越していると無批判に前提されているのではないか、その結果、〔非存在〕あるいは生の否定的原理が真摯に、それにふさわしい深さで理解されていないのではないか。そうであれば、神とは、すなわち存在自身と非存在の両方を包む〔存在〕は、結局のところ仮定されたものではないのか、と。

 禅、また仏教において、死と罪は生と善によって克服されるのではありません。生と死、善と悪は、人があることにおいて同等の力と深みを持っています。死に対する生の優越、悪に対する善の優越は幻想です。私たちは死を生によって克服したいと思いますまた善によって悪に打ち勝つことは、疑いもなく道徳的要請です。しかしそれにもかかわらず、こうした衝動がいかに自然なものであっても、出発点が適切でなければ目標に到達することはできません。この出発点は、人間の生の否定的原則に優越していると無批判に前提されている存在そのものではありません。生の原則によって死を克服し、永遠の生命を得ることはできないのです。また、善の原則によって悪に打ち勝ち、最高善に達することもできません。

 このような出発点からは、「悪無限」に陥るほかはありません。人があることに内在するこの自己矛盾をプラトン主義が免れないことを明らかに見て取って、キリスト教は原罪の教義によってこのような理想主義を超え、イエスキリストの十字架に、すなわち死と復活に救済を見出しました。しかしキリスト教もまた、とりわけティリッヒにおいては、存在(生と善)の非存在(死と罪)に対する優越は基本的にプラトン主義と異なりません。キリスト教徒にとっては、信仰と希望がこの悪無限から逃れる唯一の道です。ティリッヒは信仰の名において「存在への勇気」を強調しました。しかし、「存在への勇気」としての信仰は、非存在に対する存在の優位を出発点とする神学的立場の必然的帰結であると、私には思われます。

 人があることにおいて、存在と非存在、生と死、善と悪が同等の力と役割を持つことを正直に認めて、両者の間の矛盾を克服しようと努めるべきではないでしょうか。したがって、禅の目標は究極の善としての永遠の生命ではなく、生でも死でもないもの、善でも悪でもないもの、すなわち空なのです。禅において私たちが取るべき立場は信仰ではなく自覚(自己に目覚めること)です。ここで私は、「禅とはなにか」ではなく、「真の現実とはなにか」を問題としています。

 仏教では、生と死、善と悪が、人があることの深みにおいて同等の力を持ち、反対の方向に働いています。しかしこれはマニ教に見られるような徹底した二元論ではありません。マニ教においては、光と闇、善と悪の根本原理が、独立してそれぞれの領域で永遠に存在し、互いに争いあっています。しかし仏教では、生と死は矛盾した一体であって、そこでは生きることと死ぬことを分かつことができません。

 仏教の教えでは、生きること即死ぬこと(生死)は過程でも継続でもありません。私たちがどの瞬間においても生き、かつ死んでいることに、実際に、主体的に気づいたなら、私たちは今ここで、一生を通じて変わらない生死の矛盾した一体となります。このとき、私たちが生死であることそれ自体が死であると気づきます。これは生に対するものとしての死ではなく、絶対的な意味での死です。禅においては、これが「大死」と呼ばれ、ここを通って、「死に果てて後によみがえる」、すなわち涅槃を得るのです。「大死」を死ぬその瞬間に、「大生」がはっきりと現れます。最も重要な禅籍のひとつである碧巌録(第四十一則)に、次のような公案があります。中国唐代の禅匠、趙州が投子に、「大死底の人が生き返ったときはどうだ」と聞きました。この公案に対して圜悟は(本則の評唱で)「この大死を死んだところで生を得よ」と述べています。

 言い換えますと、禅、また仏教は、二元論ではないのです。その反対に、生死がそのまま自己であることを、今この瞬間に悟らなくてはなりません。「大死」をこのように悟ることによって、私たちは自己の生死の根に還り、生死から脱します。これが、「大生」、「新たな生」の発見であり、この中で、生死に縛られず、自由に生死することができるのです。徳川時代初期の至道無難禅師による次の和歌は、禅における新たな生をよく表現しています。

 

生きながら死人となりてなりはてて思いのままにする業ぞよき

 

 キリスト教にもこの禅体験に対応するものがあります。パウロは、「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」と言います。キリストにおいて新たな時が始まるのです。不死の神は死を味わうことによって死を滅ぼしました。キリスト教徒は洗礼によって、キリストの死と復活に、単なる儀式ではなく、それを真に共有することの象徴として参与して、キリストとの合一を体験します。パウロにとって、信仰とは日々死すること、キリストを蘇らせた同じ神の力によって、死者から「新しい人」が蘇るために、罪の「古き人」が十字架にかけられて死ぬことです。

 キリスト教がプラトン主義の肉体と魂の二元性を単に再現しているのでないことは明らかです。肉体と魂は常に矛盾なく両立するわけではありませんが、どちらも神の創造です。それゆえキリスト教は魂の不死だけでなく、霊的な体の復活も説きます。パウロの神秘主義においても、人と神、被造物と創造者、信者と肉化した神であり歴史の中心でもあるイエスキリストとの間には、重要な区別があります。この区別は、キリスト教にまだ根本的な垂直方向の二元論があることを示唆しています。神と人の関係に暗示されたこの垂直方向の二元論に、私は積極的な意味を見ています。これは神の言葉に対する反抗である原罪と、イエスの十字架上の死による人間の救済の思想に基づくもので、人間の反抗と神の肉化による救済は、人と神との間のギャップ、二元性を示唆しているのです。

 禅が「仏を殺し、祖を殺し」、そして「廓然無聖」を強調するのは、「垂直方向の」二元性さえも克服する必要があるからです。私の見るところでは、キリスト教に見られる神と人の関係における垂直方向の二元性は、非存在に対する存在の優越という考えと切り離すことができません。ティリッヒの「存在は存在自身と非存在を〔包む〕」という言葉は、存在、すなわち神の、すべてを包摂する本質を表現しています。しかし、このように存在を考えることは弁証法的ではなく同語反復であり、閉鎖循環です。存在はどうやって存在自身と非存在の両方を包むことができるのでしょうか。このような〔存在〕の概念は、全体の背後に隠れている〔なにか〕によって支えられ、対象化されているのではないでしょうか。

 『存在への勇気』の最後の部分で「神を超えた神」について語るとき、ティリッヒは自分の立場が閉鎖循環を巡っていることに気づいていたようです。ここで禅仏教者は、「神越え神」がなぜ「神を超えた」でなければならないのかと問いたくなります。神を超えた何かを求めるとき、私たちは本当に神を求めているのでしょうか、それとも他の何かを求めているのでしょうか。禅にとって、神を超えるものは神ではありません。それは空、無聖です。神を超えるものがまだであれば、それは本当に神を超えてはいないのです。

 「仏を殺す」ことによって、すなわち宗教的超越さえ超越することによって悟る空は、存在についてのあらゆる閉鎖的、循環的な考え方を破ります。しかし「神を超えた」空が自己の外に見られたなら、それはすべてを包摂するものではなく、同語反復から完全に自由であるともいえません。空が自己であり、自己が空であるとき初めて、それは本当の意味ですべてを包含し、「存在そのもの」にある同語反復が避けられるのです。このとき、探求の対象としての「空」さえも否定されなければなりません。目的としての空から、自己の究極の根拠としての空への完全な再転換が求められます。

 生死の問題に戻って、次の話を考えて見ましょう。唐代末の禅匠である道吾は、ある日弟子の漸源を伴って死者の弔いに出かけました。漸源は真実を求める若い僧であり、とりわけ生死の問題に悩んでいました。師匠の考えを知ろうと、漸源は棺桶を叩いて「生か、死か」と問いました。道吾は直ちに、「生ともまた道わじ、死ともまた道わじ」と答えます。弟子がさらに「なぜ言ってくれないのですか」と迫ると、師匠は「道わじ、道わじ」と繰り返しました。これは弟子を生と死の二元論から解き放とうとする禅の答えです。しかし漸源はまだ目が覚めていませんでした。帰り道の半ばで、漸源はもう一度答えを求めます。「お願いだから言ってください。さもないと師匠を打ち倒します」道吾は、「打つのはお前の勝手だが、何もお前にいうことはない」と答えました。そこで弟子は師匠を打ちました。道吾がここで不死の魂や永遠の生命を宣言したなら、弟子は満足したことでしょう。しかし道吾は同じ否定的な答えを繰り返し、黙って漸源を送り出したのです。道吾の死後、漸源は道吾の弟子の一人、石霜を訪ねて、このことについて教示を求めました。石霜もまた、「生ともまた道わじ、死ともまた道わじ」と答えました。「なぜ言ってくれないのですか」と詰め寄る漸源に、石霜は「道わじ、道わじ」と繰り返し、これが直ちに、漸源の心を開いたのです(碧巌録第五十五則他)

 漸源が道吾と交わした問答も、石霜と交わした問答も全く同じです。しかし最初の問答では、漸源は師匠の言葉の表面の意味にとらわれていましたが、石霜との問答では瞬時にして目覚めたのです。この二つの場面の間にどれほどの時が経過していたのか私たちは知りませんが、その間に漸源はさらに真剣に生死の問題と苦闘したに違いありません。石霜を訪ねたとき、彼の二元的な考え方は限界に達していたのです。石霜の「道わじ、道わじ」によって、最後の防御壁が破られました。思考の主客の構造が崩壊し、あらゆる二元性を超えて本当の自己が目覚めたのです。

 漸源は生死の問題によって自己の「本来の面目」に目覚めましたが、善悪の問題によって本当の自己に目覚めた例もあります。明上座に禅とは何かを問われたとき、六祖慧能は「不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ明上座が本来の面目」と語りました。この言葉に打たれて、明上座は即座に悟ったのです。

 垂直方向のものも含めてあらゆる二元性を否定する禅においては、神の掟も、創造も、最後の審判もありません。歴史には、生きること即死ぬことである人間の存在〈訳注4〉(輪廻)同様、始めも終わりもありません。始めのない始めと終わりのない終わりがあるだけです。これはしかし空疎な観念ではなく、歴史的な肉化に暗示されている垂直方向の二元性の否定によって可能になる概念です。輪廻には始めも終わりもないので、歴史には中心がありません。したがって、歴史のあらゆる時点が中心です。それだからこそ、先に述べたように、生きるこ

と即死ぬことである私たちの現実存在のどの瞬間においても、生死の矛盾する一体をその全体性において自覚し、自覚することによってそれから自由となるのです。実存的な自覚の瞬間に、私たちに「大死」と「大生」が起こります。それゆえ、歴史には過程がありません。どの瞬間においても、意味深い不連続が自覚されます。時間と歴史は、実存的自覚の観点からは、いかなる瞬間にも自覚される「大死」によって「大生」が生きられるのと同様に、現実の不連続の連続です。

 十七世紀の俳人松尾芭蕉は禅の影響を強く受けていますが、死の床で弟子たちに辞世の句を求められました。詩人は最後の句に心と魂をすべて注ぎ込むと、昔から考えられているからです。この求めに対して芭蕉は、「別に辞世の句はない。私が日々詠んだ句のひとつひとつが辞世の句だ」と答えました。芭蕉にとって生は、生から死へと動く過程ではありませんでした。日々のどの瞬間にも、「大死」と「新生」によって、芭蕉は自己のすべてを作句に打ち込んでいました。今日という日は、私たちを永遠へと近づけるのではなく、今日この瞬間に、永遠は完全に現れているのです。

 

 

訳注

1 「人があること」の原語はhuman existenceです。訳注4も参照。

2 原文では太字部分にイタリックが用いられています。以下同様。

3 訳注3の「人間の存在」を除き、「存在」の原語はすべてBeing (大文字)です。ただし、ここで言及されている Tillich’The Courage to Be’ では表題と文頭以外は小文字で始まるbeingbeing-itselfが用いられています。

4 「人間の存在」の原語はhuman existenceです。

カッコ内の出典は常盤先生のご教示に基づいて付け加えたものです。

 

風信五十五号で常盤先生が紹介なさっている阿部先生のシカゴ大学での講義、“Life and Death and “Good and Evil” in Zen, Reprinted from Criterion, Autumn 1969 issueの訳文です。

簡潔で力強い原文に励まされて取り組みました。理解が浅いために舌足らずですが、常盤先生から繰り返して詳しく教えていただき、十二月二十四日の別時の際にはご出席の皆様が一緒に読んでくださったものですから、他の方にも読んでいただけたらと思います

津久井朱実