原田修道人を偲ぶ
 
  江尻 祥晃        


  原田修さんは平成十八年(二○○六年)九月二十三日午後六時二十八分、夕食の食事中に亡くなられた。とても静かな、そして穏やかな最期であったという。
  原田さんは越智さん(FAS協会の古参の道人)の大学時代の後輩で、グンゼに勤務しておられ、越智さんに誘われてはじめてFASの平常道場に参加されたと記憶している。明るく、屈託のない大らかな性格で、私はそれ以来、親しくさせていただき、平常道場以外にも、藤井明灯さんの大衆禅堂(生駒灯明岳の坐禅会)でご一緒させていただいた。
  原田さんは藤井明灯さんが二○○○年七月に、生駒灯明岳の山荘で大衆禅堂を開かれた時からの熱心な参加者(道人)で、二○○二年初春に脳梗塞で倒れられ、参加できなくなるまで、月一回日曜日に開催される坐禅会にほとんど休むことなく参加された。
  原田さんとは坐禅会の後、いつも近鉄生駒駅近くの居酒屋で一杯やりながら、いろんな話をさせていただいたが、その中で、今でも強く印象に残っていることが二つある。
  一つは原田さんの商売哲学(商いの道)である。原田さんは常々、商売の極意として「売ってニコニコ、買ってニコニコ」と言っておられた。売り手は買い手のことをいつも思いやり、買い手に喜んでもらえるような商売をしなければ本当ではないと熱を込めて語っておられた。私はその話を聞く度に、全ての商売人が原田さんのような哲学を持っていたら、どんなにか素晴らしいであろうと思ったものである。
  もう一つは、原田さんの心底から出た「いきるいのちのもとぢから」という言葉である。原田さんは長い人生経験の中から、自分の奥底で働くいきるいのちのもとぢからなるものを見出されたのである。原田さんは、人間は誰にでもいきるいのちのもとぢからというものがあり、そのことに気づくことが人間にとって最も大切なことであると言いたかったのだと思う。
  最後に、原田さんが灯明岳大衆禅堂だよりに寄せられた文(一部省略)を掲載し、原田さんの願心を偲びたいと思う。

たより第一号所収(二○○一年五月二十七日発行)
【灯明岳坐禅会の礼賛と回顧】
  私は毎月第三日曜日に生駒山荘で坐禅するのを楽しみにしている。その上、この三月より息子も参加させていただき、この場を通じて、親と子の対話をすることによって「永遠のいのちの継承」をすることができると思うと、私の人生にとって、こんな有り難いことはない。
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  私は、道元さんの現成公案・西田幾多郎の哲学(特に晩年到達された場所的無の境地)を生駒の地で透脱を求めて精進しようと念じている。と同時に自分なりに二十一世紀の日本が世界への発信を、FASの「人類の誓い」で十分であると思うが、現在の若者にも共感を受ける、分かりやすい内容と言葉にしたいと思う。金沢工大・場の研究所所長・清水 博さんは「場と共創」即ち自己中心的な「拡大の時代」から「共創」型経済・社会への転換を提唱されている。これをメインテーマとして考えていきたい。
  生駒の山を眺め、神々の信仰の山に入って山の霊気に触れ、静寂そのものの世界で参禅・論究し、素晴らしい道人達からの啓発を受けることができる。私にとっては「いきるいのちのもとぢから」を得て行動を起こすこと、身心を挙して今日一日を完全燃焼して生きることに尽きる。心のときめきと安らぎを感じる一日である。
  お互い子供の心にかえって、足取りも軽く山を下りる。私はそれにつけても贅沢な、至福の場所的無の世界ではないかと思う。
 生涯を貫いて奈良を愛し続けた会津八一=秋艸道人の歌「あきしのの みてらをいでて かえりみるいこまがだけに ひはおちなむとす」このこころと歌をいただき、私の心境を歌う「坐禅して 山荘いでて 返り見る 灯明岳に 日はおちんとす」この年になって万感の想いを去来させ、缶ビールを飲んで家路に向かう。
 昨年の七月十六日第一回の坐禅から早くも十回を数えるとのこと、光陰人を待たず、生死事大、私にとっての座右の銘である【今・ここ・ただいま】をいきるいのちのもとぢからを受け、力一杯に行きたいと想っている。
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       二○○一年五月十五日
 
たより第九号所収(二○○二年一月二十日発行)
【二○○二年年頭に当たって】
「灯明岳坐禅会での今年の抱負」
(一)回顧
  昨年一二月で早くも十七回の坐禅会になった。「光陰矢のごとし」「歳月人を待たず」を痛感する。私も喜寿を迎え、金婚式の祝いをしていただいた。私の人生にとって大きな節目の年であった。これから八十路に入る。
 一二月の坐禅会の相互参究の記録を読ましていただき、大藪さんが、ハイデッカーは「良心はどこまでも完成した状態でなく、良心的であろう、自らのやましさを受け入れようとする姿勢である。」云々は全く同感である。更に己事究明し傲慢な自分を放下しつづけねばならない。  
 昨年の画期的な出来事は、明灯禅師が平成一三年六月二○日享年八七歳で永眠されたことである。その遺志を受け継ぎ、大藪さんと江尻さんが中心となり献身的に果たされたことにたいするこころからなる尊敬とありがとうございましたという感謝の年であった。
(二)今年の抱負
「人、皆、我が師なり」この一語に尽きる。
その第一は、明灯禅師の遺志をついで「場の共創」を行いたい。このことは灯明岳という環境を場とし、いきるいのちを実感し、即ち宇宙エネルギーをうけ、森羅万象のいのちをいただき、人間の本性に帰ることである。野生に戻ろうとする生き生きといきる【今、ここ、自分】をいきることである。人でなしでない「一無位の真人」を求めつづけたい。  
 人間とは肉体的に見れば単一存在であるから、本能的欲求を持ったエゴ的存在である。しかし人間は精神的には共存在、他人といっしょに生きていく構造をもっている。単一的に生きるとは、死ねば自己は消滅するということ。一方、共存在的に生きるとは、みんなで一つの大きいいのちをつなぐことである。自分が肉体的に消滅しても大きい生命のなかでいきていることになる。そこに人生の意義がある。  
 以上のことを承知の上で、第二は、次の三つの躾を実践項目にしたい。
ひとつ はい、ありがとうという感謝の言葉
ひとつ 背筋をのばし、腰骨を立てるという姿勢で 下座行の実践
ひとつ 他を拝むこころ、すべてを尊敬し、自己を無にする
『自未得渡先渡他』われ未だ渡らざる先にまず人を渡せ、(`98・7・11明灯禅師より江尻さんへのメッセージ)、われ仏と地獄に留まるとも他を極楽に渡せの境地であろう。  
 第三に、母のいのちの最期を訪問診療・介護の人々のおせわになり、家内と二人三脚で見とどけたい。  
 (榎本栄一さんの詩から)
 『ぞうきんは 他のよごれを いっしょうけんめいに拭いて 自分は よごれにまみれている』 
 以上 

       平成一四年一月一七日