虚妄の時代の果てに


 
                                   山田 慎二


   はじめに
 2006年は、いったい、どんな年として記憶されるのであろう。国内に限っていえば、すくなくとも5年の長きにわたった小泉政権が、ついに終わりを告げる年には違いない。
 その間に、日本人の自殺はふえ続けた。親は子を殺し、子は親を殺した。小学生たちは、通学途中につぎつぎに姿を消した。あらゆる悲惨な出来事が日常茶飯事となった。
 恐るべき時代である。それにもかかわらず、日本の戦後で最悪というべき政治は、なんと終始変わることなく、国民から高い支持を受け続けたのである。これは、いったい、どういうことであろう。
 自分さえよければ、それでよい。自分以外はみんなバカといった自己中心主義。あるいは、その場限りの気まぐれな刹那主義。人びとが意識しないままに、軽薄なニヒリズムが広く深く浸透した。
  世の中から真剣さが失われた。「なんでもあり」のやりたい放題の風潮とともに、政治も経済も、犯罪すらもすべて “劇場化 ”した。しかも、気がつけば、いつしか“笑劇場 ”と化していた。
これが、自由と民主主義のもとで大衆社会がたどりついた結末なのである。私たちは、ついに虚妄の時代の果てまで歩いて来てしまった。ここで立ちどまるしかない。行き詰まりなのである。私たちにできるのは、まず絶望することなのであろうか。

    その1
 不夜城のごとく、きらびやかに東京の夜空をあざむく。あの超高層の六本木ヒルズがテレビ画面に映し出されるたびに、私はなにか不気味な印象を受ける。それは、いつしか「勝ち組」のシンボル・タワーと呼ばれた。
 このビルには、IT関係や金融、投資関係などの新興企業がこぞって本拠をかまえている。いずれも証券市場の規制緩和の波に乗り、巨額の利益を手にして急成長を遂げた。その高みから大不況の底に沈むニッポン列島を見降していた。
 その牙城に検察の捜査陣が踏み込んだ。1度ならず2度までも。今年1月と6月。時代の寵児のようにもてはやされていたホリエ某やムラカミ某は、あいついで逮捕された。彼らは異口同音に「カネを儲けて、どこが悪い」とうそぶきながら、その目的のために手段を選ばなかった。
 現代における「光」とみられていたのは、実は「影」であった。ニューエコノミーと呼ばれた新しいバブルが、ここでふたたび崩壊したのであろうか。事態はもっと深刻ではないか、と私には思える。崩壊したのはバブルどころか、現代の “バベルの塔 ”ではなかったか、と思えてくる。
 そもそも「勝ち組」とか「負け組」とは、いったい何であろう。まず、この露骨な言い方はミもフタもない。ジョークの一種かと思っているうちに、どうやら大マジメらしいとわかって驚いた。おそらく私たちの時代が、いかに知性と教養に欠けているかを物語っているに違いない。
 正直なところ「勝ち組」と聞いただけで、私は眉に唾をつけたくなる。実は、この言葉には忘れられた歴史的事実があった。私はそれをすぐに連想したからである。
 第2次大戦が終結したとき、ブラジルの日系人社会で日本の敗戦をどうしても信じようとしない人々がいた。彼らは「日本は負けるはずがない」と言い張って「勝ち組」と名乗った。これに同調しない人々は「負け組」と呼ばれた。
 つまり「勝ち組」とは、自分たちの勝手な思い込みに囚われて真実を直視することができなかった人々である。これに対して「負け組」とは、どんなに辛くとも真実を受け入れる勇気のある人々であった。
 考えてみると、敗戦の直前まで日本人の大多数は、ブラジルの同胞と同じように負けを信じない「勝ち組」であった。「勝ち組」は必ず負けるのである。“二度目の敗戦 ”といわれたバブル崩壊のあとにおいて、日本人は歴史に学ぶことを忘れていた。
 女流哲学者の池田晶子は、著書『勝っても負けても』(新潮社)において、勝ち負けにこだわる風潮について論じている。勝ち負けとは、いうまでもなく他人との比較にすぎない。他人とくらべて勝つことによって、人はいったい何を求めるのであろう。
 いうまでもなく、人はそれぞれの幸福を求めている。金や名声は、そのための手段と信じられている。仮りに他人とくらべて金や名声があっても、別の他人とくらべると、金も名声も足りない。つまり、まだまだ幸福とはいえないことになる。
 他人との比較を基準にする限り、決っして満足されることはない。心の安まる時はない。心の安まらない幸福とは、いったい何であろう。
 「そのような勝ちとは、すなわち負けである。人生の敗北である。こんな不幸なことはない」 ここで池田は、実にイエス・キリストのあまりにも有名な言葉を引用するのである。
 「もしも全世界を得ようとも、己れの魂を失うならば、人は何を得たことになるのか」
その人は、磔にかかった。ソクラテスも死刑になった。ブッダは王子の地位を捨てて乞食になって暮らした。
 「彼らは、人類最初にして最大の負け組なのである」
これは、いささか極端な議論にみえるかも知れない。ここまでいわなければ、いまの日本人の目は覚めない。実にそれほど重症である。

   その2
 奇妙な光景を目にした。大のオトナがジャンケンに興ずると、日本の政治が良くなるとでもいいたいのであろうか。選挙車の上で「最初はグー」と叫んでいるのは、なんと政権党の幹事長であった。
 この人物は、いつも常軌を逸しているように見える。昨年秋の総選挙のさいにも、異様なはしゃぎぶりが、いやでも目についた。今年になって逮捕された某被告を当時、候補者にかつぎ出して「わが息子です!」と自慢げに持ちあげていた。
  前回選挙で圧勝したのとは打ってかわり、今年4月の参院・千葉補欠選挙で小泉政権与党はあえなく敗退した。当然ではないか。あまりにもバカげたパフォーマンスで選挙民を愚弄した報いというべきであろう。
 わが国の政治は、いまや見苦しくも “おふざけ ”に陥っているとしか思えない。かの幹事長自身が臆面もなく「私は偉大なイエスマン」と公言してはばからないのだから、もはや救いようがない。
 なぜ、こんな茶番劇がまかり通ることになったのか。この喜劇的な状況こそ、5年間にわたる小泉政治の結果なのである。政治権力のトップリーダーがみずから招いたといってもよい。
 「小泉政治の欠陥は、誇大宣伝と思い込みにあった」
 政治ジャーナリストの岩見隆夫は、著書『孤高の暴君 小泉純一郎』(だいわ文庫)で指摘した。一枚看板のごとく「構造改革」を掲げながら、5年間もついやして、ついにその全体構想、到達目標、将来像のいずれもハッキリしなかった。
 もともと「改革」という言葉は、その中身がきわめてあいまいである。まず第一に「改善」なのか「改悪」なのか。その善悪を判断する基準が問われなければならない。海の向こうの大国の “イエスマン ”になることが基準だとでもいうのであろうか。
 岩見のひそみにならって、私が小泉政治の欠陥を語るならば、それは「言い逃れ」と「ひらき直り」をあげることができる。政治家にとって生命というべき言葉をないがしろにしすぎた。
 年金未納問題が国会でとりあげられたとき、小泉首相は平気で口走った。
 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ…」
 島倉千代子のヒット歌謡曲を引用しながら、へらず口をたたき、ひらき直った。自分に都合の悪いことは、ごまかして言い逃れようとする魂胆がまるみえであった。
 今春に小泉政権にとって最後の国会で、いわゆる格差論争がもちあがった。これをめぐる首相発言には唖然とさせられた。
 「格差があって、なぜ悪い」
 いうまでもなく、格差がまったく存在しない社会は考えられない。だからこそ、その格差をすこしでも縮小する方向へ機能するのが政治の役割のはずである。ここまでひらき直る暴言は、ブッシュ大統領でも口にしない。
 私は、作家の丸谷才一と井上ひさしが『文芸春秋』誌特別版で現代の日本語について語り合った対談を思い出す。政治家の言葉をめぐって論ずるなかで、わが首相が登場する。
 井上「小泉さんの日本語は、ほとんど犬猫の言語じゃないかと思います」
 丸谷「ああ、あの人は片言隻語ですよね」
 井上「言葉でやりとりをするというより、ただ反応するだけですから」
 丸谷「もっと論理の展開がある話しをしてほしい」
 さらに劇作家の山崎正和は、文明論の新著『社交する人間』(中央公論新社)において、あるべき政治家像を描いた。
 「政治家は、仲間のあいだで社交家であり、民衆には作法の模範演技を見せる役者でなければならない」
 もっとも大切な作法が、言葉の使い方であることは、いうまでもない。その模範を示すべき政治家が、こともあろうに率先して日本語をないがしろにしてきた。
 言葉でごまかせると思っているのは、言葉の力を信じていないからである。言葉を信じない政治に未来はない。言葉を大事にしない国にも、未来はない。郵便局の民営化などよりも、はるかに重大な問題がここにある。

   その3
  先日、久しぶりにテレビで成瀬巳喜男の映画を観て、私は新鮮な発見をしたような気がした。舞台は、終戦後まだ間もない東京の下町。田中絹代の演ずるヒロインが、相手の男をピシャリとたしなめる。 「あなたの人格にかかわりますよ」
 ああ、そうなのだ。名もなき庶民でも、ためらうことなく「人格」を口にする。そんな時代が、たしかにあったのである。私たちは、それを長い間、忘れていた。
 考えてみれば、いまこそ私たちは同じセリフを投げかけるときではないだろうか。何ごとにも歯止めがかからず、やりたい放題の風潮がはびこる世の中で「品位」とか「品格」は、いつの間にか世間から消えていた。
 そうした危機感が、ようやく世間にめばえていたというべきであろう。数学者の藤原正彦が新著『国家の品格』(新潮新書)を発表したところ、たちまちベストセラーとなった。
 「戦後日本は、経済成長の代償に失ったものが大きい。国家の品格が失墜した」
  国の経済がどんなに繁栄しても、国民に深い誇りは生まれない。そんな国は世界から嫉妬されることはあっても、決して尊敬されることはないからである。
 とくにバブル崩壊後に、日本人はまるで正気を失ったようにうろたえた。それまでの美風をかなぐり捨てて暴走をかさねた。
 「究極の競争社会は、ケダモノの世界です」
  だから、いまの日本に必要なのは、グローバルな論理よりも日本的な美しい情緒。英語よりも日本語。拝金主義よりも武士道精神。これが日本国の「品格」をとりもどすための藤原流「改善」なのである。
 こうした主張は、かならずしも目新しいものではない。たとえば、かの三島由紀夫は死の直前に新聞に発表したエッセイに書き遺していた。
 「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」
 三島の政治的あるいは思想的な行動に賛同する人は、けっして多くないであろう。それでも、この三十五年前の予言がほぼ正確に的中したことについては、認める人が少くないであろう。
 ともあれ注目されるのは、藤原が日本的な美しい品格を生み出す道徳規準として、あらためて「武士道精神」なるものを推奨している点である。しかも、もっぱら拠りどころにしているのは、新渡戸稲造の著書『武士道』(岩波文庫)なのである。
 この書物は、1900年(明治三十三年)に、アメリカ滞在中の新渡戸が英文で書き、アメリカで出版された。読者は、あくまでも欧米人である。新興国の日本が、いかに欧米各国と肩を並べるような立派な国であるか。そのことを理解してもらうのが目的であった。
 いま私たちは、まことに皮肉な歴史のめぐりあわせに直面している。明治時代の新渡戸は、日本について何も知らない外国人を相手に日本流のモラルを説明した。100年後の藤原は、日本について何も知らない日本人を相手に、同じ内容のモラルを話して聞かせるハメになった。
 よく知られているように、新渡戸はキリスト教徒であった。武士道精神が西洋の道徳大系に匹敵することをしきりに強調しながらも、さらに高い次元としてキリスト教の「愛」の観念を説いた。いわば武士道精神の限界を指摘していたのである。
 「武士道は、そうしたことに正当なる重さを置くのを忘れた」
 この点においても、私は歴史の逆説を感じないわけにはいかない。キリスト教・西洋文明を背景とする “情け容赦もない ”グローバリズムに席巻されたあげく、いま日本人はかろうじて「義」や「仁」や「誠」を思い出そうとしているのである。

   その4
 電車の中でときに見かける。座席にふんぞり返り、どうみても横幅はゆうに2人分を占めている。一種の壮観(!)というべきか。こんな驚異的な体形の日本人が、さいきん目立ちはじめたような気がする。
 もっとも、あまり他人のことはいえない。私も、近頃せり出し気味のお腹を気にしていたところ、5月に厚生労働省から決定的なデータがついに発表された。
 中高年男性の2人に1人は、いわゆるメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)とみられる。つまり、内臓のまわりに脂肪がたまり、脳卒中や心筋梗塞を起こしやすい。
 肥満の心配は、大人だけではない。臨床栄養学の調査によると、肥満児の八十%は肥満成人になるといわれる。だから、こどものときから正しいダイエットが必要なのである。
 こどもや若者の間で、ファーストフードやコンビニ食を食べる傾向が広がっている。これは間違いなく脂肪のとりすぎを招き、肥満につながる。食をめぐる評論で知られる山田博士は、現代社会におけるケータイとコンビニ食の共通点について語った。
 「どちらも、いつでも簡単に使ったり、食べたりできる。その手軽な便利さに人びとは溺れている」 大人も子供も、みんな食べすぎなのだ。飽食の時代といわれて、すでに久しい。それなのに、どうして私たちは食べすぎるのであろう。
 その理由について京大農学部教授の伏木享が著書『人間は脳で食べている』(ちくま新書)で指摘している。つまり、現代人はあまりにも脳の情報に依存した食べ方に慣れてしまった、というのである。
 書店には、グルメ雑誌があふれている。テレビ画面では、朝から晩まで入れかわり立ちかわり大口をあけて食べまくっている。現代人は食べることに目の色を変えている。まさしく、むさぼり食っているのだ。
 「食の文化が人間の生理的な制御を凌駕したということもできる」
  考えてみると、これは恐ろしいことではあるまいか。現代人の食生活がすでに生理的な限界を超えているのならば、私たち人間はもはや動物として決して正常とはいえない。
  食べることが生命を維持するどころか、かえって生命の危機を招く。ここに現代のパラドックスが出現した。いわゆる生活習慣病とは、本来の目的を逸脱した人類に対する警告とも思える。だから、伏木教授は一つの結論を出した。
 「人類は緩慢な死を迎えつつある。現代人はその先頭を引っ張っている」
 私たちの人生に終わりがあるように、人類に終わりがあっても不思議ではない。その破滅を招く原因は、肥大化した脳がひたすら快楽を追い求める欲望に陥ったせいである。これは、大きく発達した脳を持ってしまった人類の宿命なのであろうか。
 ここで私は、宗教哲学者、上田閑照の言葉を思い出さないわけにはいかない。著作集第4巻『禅―根源的人間』(岩波書店)に収められた論考「日常工夫」のなかで、私たちが毎日、口にする「いただきます」という決まり文句について語った。
 「ただ目の前の食卓の食物をいただくのではない。〈食〉としてここに供されてくる生命の犠牲と、自然の営みと、人間の労との全過程と全重量とを頂戴するのである」
 上田の語る通り、牛肉はもともと食料品ではない。牛という生命である。一粒の穀物にも、ほとんど全自然の恵みがこめられている。鮭の一切れも、北洋漁船の遭難やその家族の悲痛なしには、私たちの食卓にのぼらない。
 その全過程と全重量を自覚したとき、はじめて私たちはそれに酬いる気持ちを抱くことになる。食べて何をするのか。私たちの生き方が問われるのは、まさしくその時である。

      おわりに
 2006年にもっとも重くのしかかっているのは、実は「2007年問題」かもしれない。終戦直後生まれのベビー・ブーマーたち、いわゆる団塊の世代が六十歳定年に達し、来年から大量退職の時代を迎える。
 これは、私たちの現代史において一つの大きなターニング・ポイントになるに違いない。この巨大な人口の膨みが、年齢をかさねるとともに数々の社会現象をひき起こしてきた。受験競争も学園紛争もバブル景気も、彼らが通り過ぎる嵐であった。
 彼らこそ戦後日本を象徴する存在といえる。彼らが若い頃「若者文化の時代」ともてはやされた。若いことに価値があるとされた。自分たちがやがて老人になることは、思案の外であった。上手に歳をとることが、もっとも苦手な世代といわれた。
 いま私たちは、きわめて印象的な光景を目にしている。この世代を代表する作家の立松和平とか三田誠広といった人たちが、まるで一種の“転向 ”でもするかのように仏教に対して強い関心を示しはじめた。かって出世作『僕って何』で芥川賞を受けた三田は、新著『団塊老人』(新潮新書)で語っている。
 「個人主義という考え方には、限界があります」
 団塊世代がみずから体現してきた戦後的な価値観に対して、ようやく反省がはじまった。それは、まず経済至上主義の洗脳から解かれることである。三田は、さらに一歩を踏み出すように「悟り」を口にしている。
 「悟りの境地とは、心が静かになり、迷いがないことです。私たちもそういう境地に到達したい」 いまや明らかになった。戦後日本の最大の問題は、結局、宗教の不在であった。近代合理主義の立場から、宗教を近代以前の遺物とみなして軽視した。さらに無視した。その近代主義そのものが行き詰まり、ついに破綻しようとしている。
 いくら否定しても、否定し尽くすことができなかったもの。近代主義によって解決できなかったもの。それこそ、私たちの時代が求めている宗教性であろう。あるいは、それは、鈴木大拙のいわゆる「日本的霊性」の再発見につながるともいえる。
 容易ではない。多くの人たちが絶望を共有したとき、はじめてかろうじて希望がめばえる。そんな逆説の時代を、私たちは生きているのかも知れない。