直腸癌手術受けたり
越智 通世
楽門と思いきに
腸の頽(くず)れに気付かぬ傲り
このままに朽ちゆく身をば施術にて
蘇へらすと導かれゆく
病院は体と心解きほぐす
空気も清し眼鏡曇らず
温かき医師看護師等ネットして
心安けく手術受くなり
妻や子も安心しありみずからも
産み産まれこしこのホスピタル
早やばやと明け渡りたり手術の日
穏やかに晴れ薄靄漂う
子等の顔重なりて見ゆ妻の顔
われら一つの命なりけり
孫達のいとけなき顔つぎつぎに
目交い過り頬ゆるみくる
動揺はなしといえどもしかすがに
昂ぶりてあり手術待ちつつ
つぎつぎと師友の面影浮びくる
わが生涯の思い出の中
逝きし顔残れる顔も交々に
尽きせぬ縁五族の友垣
FAS歩み果てなむ限りなく
全人類の共なる生命
つぎつぎに湧きてとどまるなけれども
念い止めなむこのあたりにて
横たわりあるも坐るも異ならず
善を思わず悪を思わず
万端の段取り終り手術待つ
暫しの時を安らぎまどろむ
数年の生を偸まむそれがため
険しき手術命懸けなり
病痛苦一切いけないどうするか
痛苦とともに消え去りゆかむ
痛みには痛み止めあり苦しみは
止むる薬この世にあらず
傷口の痛み消ゆれど脳の芯
奇妙に冴えて眠り落ち得ず
病院と家族知友に支えられ
辛くも過ぎゆく術後の苦関
便通の回復過程根気なり
避くる許さず味わい尽くす
妻は言う「二人三脚どこまでも」
日毎の介助わが事として
予期超ゆる子等の支えのありがたく
われらの歩み大過なきかや
この我と偕なる命ここにあり
思いを超ゆる高まりのあり
予期せざる大患治療五十日
ただすら痛苦と取り組みきたる
漸くに端坐復する時至る
安楽法門易ることなし
八十三なお大患を癒さるる
何が故ぞと問いつつ生きむ
(二○○四・六・一四)