イラクから遠く離れて
山田 愼二
はじめに
戦火のくすぶるイラクから少年はやってきた。砲撃で負傷した目の治療を日本で受けるためであった。
現地で少年に援助の手を差しのべていた日本人ジャーナリストは、直前にテロの銃弾に倒れた。遺族らがその遺志を引きついだのである。
私たちは、いくたびとなく絶望をかさねたあげく、ここに、ささやかな希望のひとつを見い出したといってよいのであろうか。国際紛争によって人々が血を流し続ける世界のなかに、私たちはいま生きている。
正義が語られ、宗教が問われた。その結果は、いったい、どうであろう。なにかを解決したであろうか。それらは、むしろ紛争の原因にはなっても、残念ながら解決にはなっていない。
このままでは、正義のために、あるいは神の名において人類に厄災がもたらされ続けるのではないのか。いま私たちはすくなくとも、美しすぎたり、立派すぎる言葉をまず疑うことからはじめるしかないのかもしれない
その一
私たちは、白昼に悪夢を見たのだろうか。それとも、これはタチの悪い冗談なのだろうか。米軍によるイラク人虐待事件の現場写真をみて、私は暗たんたる気持ちになった。
「これは、私の知っているアメリカではない。われわれの価値観にまったく反する。けっして容認できない」
ブッシュ米大統領は、声高に非難してみせた。謝罪したのではない。むしろ、この事件がアメリカの主義・主張とは完全に無縁であることをしきりに強調したのである。
大統領がムキになって弁明すればするほど、かえってその不自然さが目立ってしまう。どうみても、本来、無縁であろうはずのない出来事について、あえて、「関係ない」と切り捨てる。真実を見ようとしない。そうした姿勢こそ、実は根深い問題をかかえているように思えてならない。
ここで私が思い起こすのは、人間の深層心理をめぐってC・G・ユングが指摘した「影」の問題である。「影」とは、自分のなかの劣等な傾向を人格化したものである。すべての人間が意識下に秘めている。「もう一人の私」といってもよい。
たとえば、よく知られているように、宗教家とか教育者の家庭にしばしば、とんでもない放蕩息子や犯罪者が出現することがある。親子でありながら、どうしてあんなに性格が違うのかなどと不思議がられたりする。このパラドックスには「影」の力がはたらいている。
つまり、親がホンネをひた隠して「影」を抑圧したまま、あまりにもキレイごと一点張りの生き方をしていると、子供や家族が「影」の肩代りをさせられる。この意識されないメカニズムは、個人だけでなく、集団についてもあてはまる。
正義。人権。自由。一見、だれも反対できないような美辞麗句のスローガンを高く掲げて、タテマエだけを無理やりに押し通そうとすると、無意識の「影」が裏切って、意図とは逆方向に作用してしまう。おぞましい現場写真に写し出されているのは、まぎれもなく正義と人権を唱えるアメリカ自身の姿にほかならない。
自分の正しさだけを信じるあまり、自分の見たいものだけを見て、見たくないものから目をそむける。それが、いま世界で起きている事態の実相ではないか。
さらに、厄介なのは、自分の無意識の「影」を自覚しないどころか、相手に向かって投影することである。ユングは、かって東西冷戦の時代にいみじくも語った。
「鉄のカーテンの向こう側から西側の人々に歯をむいているのは、自分自身の邪悪な影の顔なのである」
アメリカとイスラム過激派も、あるいはイスラエルとパレスチナ・ゲリラも、ともに不倶戴天の敵と戦っているつもりであっても、おたがいにみずから生み出した「影」に対面しているのである。
イスラムはアメリカの「影」であり、アメリカはイスラムの「影」であろう。だから、いま世界を巻き込んで血を流しているのは「影」と「影」の戦いなのである。
「この戦争には、大義がない」
こんな批判をよく耳にする。この考え方によれば、すくなくとも戦争には「正義」が必要なことになる。ほんとうにそう考えてよいのだろうか。
現在、宗教や民族をめぐる紛争は、地球上のいたるところに拡大している。立山良司の最新版『世界宗教地図』によると、大きな紛争だけで四十二か所にのぼる。それらの当事者の双方が「正義」を主張していることは、いうまでもない。
正義が足りないのではない。世界中に正義があふれているのだ。紛争の原因になっているのは、邪悪な思想ではなく「自分たちこそ正しい」とする正義の主張である。
私たちは、いま正義こそ疑い、警戒しなければならない。とりわけ、立派すぎる正義ほど人類にとって危険なものはない。
その二
地域紛争といういい方は、もはや適切ではない。地球上のいかなる場所で火の手があがろうとも、私たちは対岸の火事をきめこむことはできない。
イラクについていえば、すでに日本の自衛隊が駐留している。外交官二人が殺害された。ジャーナリスト二人もテロの犠牲になった。民間人が人質にとられる事件も起きた。
そうした出来事だけではない。あらためて私がいいたいのは、やはり戦争の「正義」をめぐる主張である。その理由づけとしてともに「日本」を引用しているのである。この事実を見過ごすことはできない。
「われわれは、日本で成功したように、中東に民主主義をもたらす」
イラク攻撃にあたって、アメリカ政府高官は公言した。つまり、この戦争の目的はイラクの「日本化」にほかならない。そんなモデルに勝手に仕立てられていることに、私は強い違和感を覚えないではいられない。
とにかく、なにをもって「成功」というのであろう。これに関連して二○○二年七月の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙において、政治評論家のロバート・ケイガンはきわめて明快に論じていた。
「かってわれわれの目的は、危険な大日本帝国を排除するという単純なものではなかった。アメリカの描いたイメージに従って日本の政治と社会をつくり直す点にあった」
その結果は、どうなったのか―
「それからほぼ六○年たった現在でも、日本の領土にアメリカの軍隊が駐屯しているのだ」
いかにも誇らしげに語っている。これがアメリカの「成功」なのである。いまから六○年後のイラクが、はたして「日本」になっているか、どうか、私は想像してみる気持ちになれない。
戦う理由に、「日本」を利用する論法にかけては、イスラム過激派もけっして引けをとるものではない。二○○一年の「九・一一」テロ事件の直後に、中東の衛星テレビ「アル=ジャズィーラ」にテロ集団の首領とみられるビン・ラーディンが登場して語った。
「アメリカこそ核兵器を保有し、ヒロシマとナガサキで人民を殺りくしたではないか。戦争が終わりかけていたにもかかわらず、子供も女性も老人もいっしょに人民全体の攻撃に固執したのだ」
アメリカに対するジハード(聖戦)を正当化する根拠として「ヒロシマ」が利用されている。しかも、これを切り札にして一般市民を狙う無差別テロまで正当化してしまうのである。
アメリカが彼ら流の「成功」のために日本に対するトドメの一撃として原爆を投下したことは、たしかに否定できない。しかし、だからといって、それを無差別テロを正当化する口実に利用されるとき、私たちはとうてい納得できるものではない。
大佛次郎論壇賞を受けた若手のアラブ研究者、池内 恵(日文研助教授)の現地報告によると、アラブ世界で庶民が知っている日本の都市名は、トーキョーかヒロシマ・ナガサキに限られるという。
「だからといって、日本人がヒロシマを通して訴えてきた平和主義がアラブ世界で理解されているのかといえば、それはかなり疑わしい」
池内はアラブ諸国と日本の認識のギャップに驚いた。日本は被爆国であるがゆえに核兵器を保有しないという立場を説明したところ、アラブの人たちから意外な反応がはねかえってきた。
「日本は核武装してアメリカに報復する気はないのか」
アラブ世界だけではない。パキスタンが一九九八年に第一回の核実験を行ったとき、当時のシャリフ首相はテレビでこんな演説をした。
「ヒロシマとナガサキに起きたことは、日本が核兵器を保有していれば起きなかったはずだ」
東西冷戦が終わりを告げたとき、人類は核の恐怖から解放されると思われた。その見通しは、あまりにも甘すぎた。二一世紀においても、「核の論理」は、依然として健在である。国際テロの時代を迎えて、核は不気味な存在感をあらわにしている。
その三
西洋近代文明が原爆を生み落としたとき、その誕生には多数の亡命ユダヤ人学者たちが携わっていた。とりわけアインシュタイン博士が米大統領に対し原爆の開発を急ぐよう進言したことは、あまりにも有名である。
二次大戦後に博士はこのことを悔やんだ。それもよく知られている。それにしても、当時の自分がとった立場について博士は、こんな弁明をしている。
「ナチス・ドイツが先に原爆を造るかもしれない。その危惧と不安が私を動かした」
自分たちにとっての悪を滅ぼすためなら、いかなる手段も許される。アインシュタインといえども、この論理を疑ってはいない。悪魔をやっつけるためといいながら、原爆という別の悪魔をつくり出したのが、近代科学なのである。
人類初の原爆は、ユダヤ人を迫害したわけでもない日本人の頭上で大爆発した。それからわずか二年後の一九四七年に、もうひとつの“大爆発”を人類は経験することになった。いわゆるビッグバン宇宙論の登場である。
天体観測の結果、宇宙は膨張していることがわかった。それなら、昔はもっと小さかったはずである。宇宙の始まりには、すべての物質が一点に集まっていたことになる。だから、爆発からはじまる。
ロシアからアメリカに亡命した物理学者のジョージ・ガモフが、この仮説を唱えたとき、イギリスの学者、フレッド・ホイルがこれに真っ向うから反対した。「まるでドカンだな」とひやかしのつもりで「ビッグバン」という言葉を使ったところ、このネーミングがあまりにもぴったりだったので、すっかり定着した。
大爆発する宇宙のイメージは、炸裂する原爆の鮮烈な印象を抜きには浸透しなかったはずである。ピカドンからビッグバンへ。素粒子の世界から大宇宙まで物質とエネルギーの論理が、一直線に貫かれた。
「光あれよ!」と神がはじめにいって天地が創造された。あの旧約聖書の創世記さながらに、これはまるで現代の天地創造物語にほかならない。
「このように宇宙を認識するために、人類は誕生したのではないか」
この発想は、現代の宇宙論のなかで「人間原理」と呼ばれている。かの有名なホーキング博士らが主張している。人間の側からみるならば、これほど壮大な「生きがい」はないであろう。
こうした宇宙論の進展について、宇宙物理学者で名古屋大教授の池内了は著書『物理学と神』のなかで、手きびしく批判している。
「厚顔な物理学者は増長し、ついにこの宇宙の目的は人間をつくることにあるとまで宣言する始末となった」
池内教授にいわせると、人類が観測している宇宙はまだ狭い範囲にすぎない。東京や日本だけを見て地球全体像を論ずるのと同じ間違いを犯すことになる。
「お釈迦様の掌の上をうろうろしている程度の私たちであることを心に留めておきたい」
原爆という悪魔をつくり出した物理学者は、もっと謙虚になるべきではないのか。その戒めに池内教授はブッダのイメージを提起するのである。
物理学という西洋近代科学の最先端を歩みながら、仏教文化圏で育まれた深い精神性が、ここに息づいている。そういえば、東洋思想に親しんだアメリカの物理学者、フリチョフ・カプラは、かって「ブッダか、爆弾か」と鋭く問いかけていた。
「現代物理学は、われわれをブッダに導くこともできるし、爆弾に導くこともできる」
ところで、宇宙から飛び出したビッグバンは、いまや地上で猛威をふるっている。政治・経済・軍事などありとあらゆる分野で語られる。銀行が二つか三つ合併するだけで金融ビッグバンと呼ばれる。この言葉を持ち出せば、どんなにおかしなことでも正当化できるかのようである。
西洋近代文明にとって、ビッグバン説は地球上の覇権をにぎるために都合のよい理論かもしれない。なにしろ宇宙規模の正当化なのである。
その四
新約聖書のマタイ福音書は、イエスのいわゆる山上の垂訓を伝える。そこには、あまりにも有名な教訓が語られている。
「悪者にさからうな。あなたの右の頬を打つ者には、左の頬をも向けよ」
キリスト教における愛と寛容の精神を語るときに、必ず引き合いに出されるといってよい。それならば、なぜ、キリスト教文明圏において紛争が絶えないのであろう。もし、右の頬を打たれようものなら、たちまち何倍にもして殴りかえすのが、キリスト教国のやり方ではないか。
私は、この教えの通りになった実例を、すくなくとも一つだけ指摘することができると思う。それは、キリスト教国ではなく、一九四五年の日本である。皮肉にもキリスト教国によって「ヒロシマ」という右の頬を打たれたとき、黙って「ナガサキ」というもうひとつの頬も打たれるにまかせたのである。
私は意地の悪い冗談をいっているのではない。あのとき、日本は殴り返したくても殴る力なんかまったくなかった。だから、どんなに口惜しくとも、がまんするしかなかった。そのことは、殴った側が一番よく知っていた。
この事実に気づいたとき、私はあの山上の垂訓について認識をあらためた。あの教訓は、愛と寛容の精神をあらわしたものではない。抵抗すらできないほど無力な立場に置かれた弱者の屈辱的な思想の表現ではあるまいか。そう理解したほうが、はるかに納得しやすい。
もうひとつ逆のケースも想定できるかもしれない。殴られた側のほうが精神的に圧倒的な優位に立っている場合である。これは、相手を軽蔑して馬鹿にしきっているから無視して殴り返さない。つまり差別意識そのものである。これまた、愛と寛容の精神からはほど遠いといわねばならない。
つまり、まったく無力か、それともゆるぎない優越感にひたっている場合でない限り、彼らは当然の如く復讐に立ちあがる。愛と寛容の精神といわれているスローガンは、紛争の歯止めにはならないのである。
数々の宗教が美しい言葉で説教を続けてきたけれど、人類の歴史はそれを裏切り続けてきた。宗教がこの悲しく不幸な現実から目をそむけて、抽象的な教義をいくら論じても人類の悲劇は終わらない。
私たちは早くも忘れかけているのかもしれない。かってアフガニスタンにおいて有名なバーミヤンの仏像が破壊された。イスラム原理主義のタリバン勢力の暴挙として世界の非難が集中した。
そのとき、隣国イランの高名な映画監督、モフセン・マフマルバフは現地レポートのなかで大胆に指摘した。
「アフガンの仏像は、破壊されたのではない。恥辱のあまりみずから崩れ落ちたのだ」
アフガン二○○○万人の国民は飢えていた。その三○%は難民となった。一○%は殺された。残り六○%は餓死寸前だった。そのことに世界はほとんど無関心だった。
だから、彼にいわせると、ブッダの高邁な哲学はパンを求める国民の前に自分の無力を恥じ入り、力つきて砕け散った。この貧困、抑圧、無知のすべてを世界に伝えるために、ブッダは崩れ落ちたことになる。
この絶妙なレトリックによって、私たちは深く考えさせられる。とりわけ仏教指導者たちは、どう受けとめるのであろう。あるいは、このレトリックのなかにイスラム教特有の「偶像否定」の思想を読み取ることができるかもしれない。
私にいえることは、多くない。宗教は人類の現実を見つめ直さなければならない。それゆえに、このマフマルバフの美しい言説も、テロリズムの隠れみのになってはならない。それもまた、現実から目をそらせることになる。
「九・一一」テロでツイン・タワーのビルが倒壊した。あれは破壊されたのではなく、資本主義を恥じてみずから崩れ落ちたのだといえるだろうか。それは、ビン・ラディンなら、いかにもいいそうなセリフである。
おわりに
今年は、日露戦争から数えて、ちょうど一○○年目にあたる。日本近代の岐路をふり返るとき、私はある一日の西田幾多郎の姿を思い浮かべる。
「午前打坐。午後打坐。夜打坐。雨中にも関せず、外は賑し」
一九○五年一月五日の日記にこう書き残している。この日は、旅順陥落の祝賀会がひらかれていた。提灯行列がおこなわれ、万歳の声が聞こえた。西田は終日、ひたすら坐禅をしている。
「幾多の犠牲と前途の遼遠なるを思わず、かかる馬鹿騒ぎをなすとは…」
ここで西田が悲しんだ犠牲は、戦死した実弟を含む日本人の犠牲である。遼遠なる前途は、西田の心配した通り四○年後に破局を迎えた。
一○○年後の今日、私たちもまた深刻な歴史の危機の中で「打坐」に取り組んでいる。私たちの悲しむべき犠牲は日本人に限らず、人種・国家の別なく、すべての同胞である。心配するのは、人類全体の前途である。
この危機をもたらしながら、けっして反省しない近代至上主義。その背景として排除の論理を貫く宗教原理主義。この二つの理念は、いまや西田の生きた時代よりもさらに一段と矛盾を深めている。
近代二○○年と大宗教二○○○年。この二重の大きな壁が、私たちの前に立ちはだかっているのである。二重の危機と言える。
近代を超えて「現在」に生きようとする私たちにとって、いかに宗教を超えて「現実」に向きあうか、あわせて問われようとしている。