二〇〇四年 七月
FAS協会総会報告
川崎幸夫
五月一日の午後二時半から四日の正午まで、相国寺山内林光院において別時学道を行なつたのをうけて、四日午後一時半から約三時間、昨年どおり座談会形式で総会を開催した。参加者は江尻、大藪、湖海、後藤、斎藤(文)、志田、種村、常盤、法橋、山田、米田、川崎の十二名であつた。
まず総会に先立つて江尻さんによる『傾聴と禅』(生駒山灯明岳坐禅会報告)といふ講演が行なわれた。講演の前半は、三年前に故人となられた藤井明灯さんが熱心に説いた「大衆禅」の考え方に賛同した若干の会員が十年ほど前から生駒の明灯さんのアパート(のちに生駒山の山荘)に集つて月一回乃至三回の割で坐禅会を続けている「生駒山灯明岳坐禅会」の沿革が報告された。そこへ大藪さんが参加している「傾聴活動」のメンバーが二年前から参加するようになり、それ以後、傾聴と禅との接点を探ることが江尻さんの関心事となつた経過が詳しく述べられた。
「傾聴」活動といつても関西ではまだあまり知られていないが、社会的に孤立した病者を訪れ、心の痛みや悲しみを只管聴くことに徹し、悩める者自身が自ら自分の悩みに立向い、問題の解決を自分で工夫してゆくのを側面から支援する運動であり、その眼目は、目の前で語つている病者に向つて、傾聴者の方から働きかけることは一切停止して、ただ相手の心を映す「鏡」となることに徹するところにある、ということであつた。このような活動は『人類の誓い』に則つてわれわれが「あわれみ深いこころをもつた人間となり…個人や社会の悩みとそのみなもとを探り」と唱えていることの具体的実践に通ずるともいえるので、講演後はかなり活発な意見交換がなされた。但しその場合に、協会の現委員たちが「生駒山灯明岳坐禅会」の中心メンバーとして活動するのはまつたく自由であり、またFAS協会員以外の同会のメンバーが臨時に協会の行事に参加することも一向に差しつかえないものの、FAS協会と同会とはあくまで別個の組織であり、したがつて同会の広報活動も『風信』や「ホームページ」といつた協会の広報機関とは別のところで行なわ 五月一日の午後二時半から四日の正午まで、相国寺山内林光院において別時学道を行なつたのをうけて、四日午後一時半から約三時間、昨年どおり座談会形式で総会を開催した。参加者は江尻、大藪、湖海、後藤、斎藤(文)、志田、種村、常盤、法橋、山田、米田、川崎の十二名であつた。
まず総会に先立つて江尻さんによる『傾聴と禅』(生駒山灯明岳坐禅会報告)といふ講演が行なわれた。講演の前半は、三年前に故人となられた藤井明灯さんが熱心に説いた「大衆禅」の考え方れるべきであることが確認された。
講演が予定より長くなつたので、三時を過ぎてから総会に移つた。昨年と同様に今年度も特に大きな議題はなく、最初にここ数年来の懸案であつた久松真一著『人類の誓い』が昨年六月廿五日に目出たく刊行されたことが報告された。その際に会員の方方にひろく御支援を訴え、一冊一○○○円で頒布することを謳つたところ、一九名の方から合計三九三冊の御申出をいただき、委員会としても感謝に堪えない次第である。しかしもはや協会の保管分も底を突いており、特別補助の措置は五月上旬をもつて打切ることにしたので、今後の御注文は一般書店を通して定価で御求めいただくようお願いすることにしたい。
ついで本年五月より新に広報(インターネット)担当の委員を一名補充する必要が生じたので、昨年から実質的に携つて下さつている種村辰男さんにお願いすることにし、御快諾を得た。またこのところ原田修さんに監査を担当していただいてきたが、御家族の方から病気のためにこれ以上は無理である旨御申し出があつたので、早速、常盤義伸さんにお願いすることにし、御快諾を得た。以上二件は直ちに承認された。
なお創成期からの会員であつた梶山雄一さんのほか、清水榮さんがおなくなりになつたことが報告された。
最後に湖海さんより平成一五年度の会計報告が行なわれたのち、平成一六年度の予算案が説明され、異議なく承認された。但しその際にここ数年来講演会費や論究会費が予算に計上されながら一向に実績をあげていないことが湖海さんから指摘され、委員会としては責任を感ぜざるを得ないが、協会の現状から当面は名案が浮かんできそうにないことを申上げるほかはない。
北原隆太郎さんの
御逝去について
六月八日付のお手紙で、北原隆太郎さんが去る五月一日午後零時二九分に帰真された由、夫人の東代(はるよ)様から御知らせがありました。それによりますと四年前の秋に心筋梗塞を発症され、御自宅で療養をつづけておられる内に、昨年秋に体調を崩して入院されましたが、その後は快方に向はれ、五月末には退院の御予定だつたところを俄に呼吸不全に陥られ、八十二歳の生涯を了えられたとのことです。北原さんは数少ない古参の道人でありながら少しも権威者ぶらず、FAS禅の実践を片時も怠らぬ気迫を保ちながら同時に純真な人柄と謙虚な挙措のゆえに多くの会員から敬愛を聚めておられました。北原さんの無心な笑顔に接することができなくなつてしまつたのは協会としても大きな痛手であり、まことに残念なことといわねばなりません。なお久松先生の御遺誡を護つて、葬儀は行われず、また弔問・御供物も一切辞退されるとのことです。
(川崎 幸夫)