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1999.11.13 sat
相互参究について

協会で相互参究というとき、通常、二人一組となり互いに接して参究することを指しています。「参究」とは、ただ単に参加するのではなく自ら主体的に究める、つまり、自己と世界との源に参じ、そこを究めることをいいます。

この「相互参究」はFAS協会独特な参禅の仕方という風に考えられいましたが、久松先生が亡くなられてから次第に行われなくなりました。これはおそらく、悟っていない者同士で相互に参究しても意味がないと一部の会員が感じ始めたことが原因であろうと考えられます。一方、相互参究の意義を認めて積極的にこれを生かそうと考えている会員もいます。

そこで、今回、この「相互参究」をテーマに取り上げ論究しました。相互参究をどうするかというより、相互参究とは何かということに議論が集中しました。
以下、会話の(ごく)一部の抜き書きです。
(なお、「相互参究について」、「基本的公案」久松真一著作集第3巻、法蔵館1994をお読み下さい)

相互参究を英語に訳すとき、mutural investigationではなくmutural self-investigationと訳した。このselfは重要である。

相互参究とは、自分に参究すること。

めざめている私とめざめていない私との対話(相互参究)

本来の仏性。本来とはどういうことか。必ず迷っている形でしか「本来」は現れてこない。(起信論にも記述がある)

他人に出会う=自己に出会う


本日のビジター
インド人にしてカトリックの神父、現在禅をテーマに日本で博士課程に在籍しておられるジョージさん。滞在2年半。