出家とは何か


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1999.10.9 sat
佐々木閑「出家とは何か」大蔵出版1999.9初版

著者を囲んで、話をしました。

仏教教団は、自ら生活のための労働をせず、それらはすべて乞食(こつじき)を通して、俗世間から手に入れたことについて:

「乞食だけは人々の残り物をもらって歩くわけであるから、施主の好意なくしては成り立たない。」「生活の根本となる食物供給を完全に俗世間の人々の好意に頼らねばならないという、この規定こそが仏教僧団と俗世間の間の関係を決定づける最も重要な点である。」「仏教僧団という島社会は物質的な生活基盤を俗世間に完全に依拠することによって存続している。俗世間の好意が絶たれた時点で否応なく消滅せざるを得ない」「特性を持った社会」である。

以下は、常盤氏のレジメから:

往々木閑『出家とはなにか』(大蔵出版一九九九年九月二十日初版三〇六ページ)要約など

序文
1。「出家」とは、「親子、親族の絆を絶ち、家財産業を投げ捨てて修行生活の場に身を投ずる」「宗教的行為」である。それが成り立つためには「我々が日常生活を営んでいる」「俗世間と呼ばれる世界と、その俗世間から逃れてきた人々を受け入れる修行者の世界」が必要である。その一方から他方への「一足飛びのジャンプが出家と呼ばれる」。ジャンプする共通の理由は「彼らが俗世間での生活に満足を感じていない」ことである。

2。出家者は、個人あるいは集団の、自殺志望あるいは脱出願望のいわゆる世捨て人とは異なり、グループで俗世間とは「別個の独立社会を作り、独自性を守りながら一般社会の中に根を下ろして生きていく」もので、「外部の俗世間との間に密接な経済関係を結ばざるを得ない」。

3。日本に存在する「仏教教団」を名乗る集団は、「穏健」なものから「武装集団」、「政治権力に執着する教団」、「反権力を旗印とする教団」など、あまりにも多種多様で共通する要素が見られない。そのことは「仏教とは本来いかなる特性を持つ修行社会なのかという、この実に基本的な問いに対する答えを不可能なものにする。」「その教団が本当にシャカムニの造った仏教教団の末裔なのか、それとも現代仏教の多様性を隠れ蓑にして生まれてきた似非教団なのか、という点を見極めるためには、どうしてもシャカムニ教団の本当の姿を知っておく必要がある。」

本文の章立て

一「仏教僧団の成立と構成」
(1)シャカムニの出家。(2)シャカムニの修行。(3)仏教僧団の成立。(4)僧団の構成員。(5)僧団の生活原理。

二「律蔵」
(1)律蔵とは。(2)律蔵と部派分裂。(3)律蔵研究の意義。(4)界とはなにか。(5)僧団の概念と界。

三「出家作法」
(1)さまざまな出家のコース。(2)信者の獲得。(3)三帰依と五戒の誓い。(4)在家信者の存在意義。(5)沙弥出家(出家生活の始まり)。(6)受戒。

四「遮法」(1)遮法とはなにか。(2)比丘になれない人々(1転向者、2外道、3重病人、4官吏、5犯罪者、6負債者、7奴隷、8二十歳に満たない者、9父母の許可を得ていない者、1O黄門=去勢者および同性愛着、11賊住者、12畜生、13五逆罪者、14比丘尼を汚した者、15両性具有者、16身体障害者および病人)。(3)差別性の意味。(4)女性の受戒。

五「僧団の施設」
(1)四依の原則と現実の生活。(2)僧院の所在地。(3)建造物(ヴィハーラ、アッダヨーガ、パーサーダ、ハンミヤ、グハー)。(4)内部の設備。(5)僧団と僧院。

六「日常生活」
(1)三衣と鉢。(2)日用口o回。(3)共有財。(4)食事。(5)およばれ。(6)日常の雑務。(7)僧団の役職。

七「僧団と一般社会の関係」
(1)開放空間としての僧院。(2)出家者とその家族。(3)信者とのなれあい。(4)聖と俗のバランス。(5)信者とのトラブル。(6)金銭管理。(7)衣を中心とした僧団内経済。

八「僧団の教育制度」
(1)和尚とはなにか。(2)和尚の責任と弟子の義務。(3)阿じゃ梨。(4)阿じゃ梨のもうひとつの意味。(5)新たな阿じゃ梨の発生(1出家阿じゃ梨と受戒阿じゃ梨、2教授阿じゃ梨)。(6)教授阿じゃ梨の特殊性。

九「仏教僧団と女性」
(1)差別される比丘尼たち。(2)八敬法。(3)比丘尼の波羅夷法。(4)比丘尼の僧残法、新参者としての比丘尼。(5)僧団内の男女平等性。(6)大乗仏教の女性観。


一:ゴータマ・シダッタの出家
(1)「ゴータマ・シダッタの出家」を受け入れた社会。「神々との交信によって世界をうごかすことのできるバラモン」「を中心とする強固な身分社会」「の価値観を拒否する人々」、沙門(シュラマナ、努める者一)たちの世界がインドに存在していた。「ゴータマの出家は、まさにこの沙門世界への出家であった。彼が剃髪して出家姿になった時、その場には彼を受け入れる別の社会は存在していなかったように見える。しかし実際は森の中で修行に励む無数の沙門たちの世界が彼を受け入れたのであり、ゴータマ自身、そのことを十分承知したうえでカピラ城を出奔したのである。」

(2)「この世にブッダが出現した」「その直後に」「二人の商人が通りかかり、ゴータマに食べ物を布施したいと願い出る」「この時点でシャカムニは食事のための道具をもっていない。」「これを知った四天王が天界から石鉢を持ってきてシャカムニに差し上げた。」コ一人の商人はシャカムニノ食事が終わったあと、仏教の在家信者(ウパーサカ)になることを誓ってから立ち去っていった。」「注目すべき点は鉢の使用である。鉢は人から食べ物をもらうために使われる。つまり乞食(こつじき)生活の象徴である。」「その後の仏教が乞食生活によって生計を立てていくという、その出発点を明確に示している。最初の信者獲得の場面がそのまま在家信者による出家者の扶養という仏教教団の基本的な経済システムの成立をも物語っている。」

(3)「乞食生活を選択したシャカムニ」「は最初、自分の悟りを他の人々に教えようとは考えなかった。悟りの喜びに浸りながらそのまま一人で一生を終えようと考えていた」。しかし「梵天の願いを聞き入れ」て「自分が悟った真理を人々に説き広めることを決心する」。「ベナレスのサールナートで最初の仏教僧団は誕生した。団員数はシャムニも入れて六人。生活方針は在家信者からもらう布施への全面的依拠。修行の基本は苦行を否定する瞑想型。そして信者獲得による僧団勢力の拡大が奨励された。」

(4)内部構成員ビック、ビックニ、(男女二十歳以上)サーマネーラ、サマネーリー(男女見習い)(シッカマーナー十八歳で許可をえたサーマネーリー)。外部構成員ウパーサカ、ウパーシガー(三宝への帰依を誓った在家男女)。

(5)出家僧団、サンガは自活を禁せられており、一切の生活を在家者の好意に頼らなければならない。そのようにシャカムニが決めた」。「毎朝托鉢に行って人々から余った食料を分けてもらい、それを生活の糧とする(乞食)」。「これはあくまで原則であるから、もし在家信者が特別の好意で比丘たちを食事に招待してくれたり、僧団まで食事を届けてくれたなら、これをありがたくいただくことは許される。しかしこちらからそれを要求することはできない。」

出家者が「守るべき四種類の生活方針(四依)」は、1衣生活--糞掃衣、2食生活-乞食、3往生活1-樹下柱、4薬――陳棄薬(牛の小便)。「この中で乞食だけが異質であることに注目しなければならない。糞掃衣、樹下柱、陳棄薬の三項目はどれも、その辺りのものを勝手に利用する方法であって、誰か特定の人の世話になる必要はない。ところが乞食だけは人々の残り物をもらって歩くわけであるから、施主の好意なくしては成り立たない。」「生活の根本となる食物供給を完全に俗世間の人々の好意に頼らねばならないという、この規定こそが仏教僧団と俗世間の間の関係を決定づける最も重要な点である。」「仏教僧団という島社会は物質的な生活基盤を俗世間に完全に依拠することによって存続している。俗世間の好意が絶たれた時点で否応なく消滅せざるを得ない」「特性を持った社会」である。

二:律について
(1)「律は仏教僧団の生活規定に関するシャカムニの直説」と言われるが「実際には、そのほとんどが後世になって創られたもの」「しかし信奉者にとっては変わることのない権威として絶対視されて来た」。「律蔵は大別して二部分からなる。「パーティモッカとスッタ・ヴィバーガ」(「個人に対する規則」で「罰則をともなう禁止令の性格をもつ」ものとその注釈)、「カンダカ」(「僧団全体の活動に関する規則」「行事のマニュアル

「パーティモッカ」(禁止令)「重罪から軽罪の順に並んでいる」冒頭の四つの条文「他者と性的交わりをおこなってはならない」「人を殺してはならない」「他人の物を盗んではならない」「自分が悟っていないことを知りながら故意に嘘をついて『自分は悟っている』と言ってはならない」の「いずれかを犯した者はビックの資格を剥奪され即刻僧団追放となる。」

「パーティモッカは」「各自が全条項を記憶していなければならない。そうしないと知らない問に罪を犯してしまうからである。規則を知らなかったり忘れていて罪を犯したとしても罰は猶予されない」。

「カンダカ」は「第一章が本書の主題である出家作法の規則」である。「そのほかにも半月に一度開催されるウポーサタの開催方法や、安居(ヴァッサーヴァーサ)、自恣といった特殊な行事の手順、悪ビックの糾弾方法、僧団内の裁判規定といった僧団活動規定が紬かく述べられている。」「重要行事はすべて僧団のメンバー全員で、決められた手順にしたがって執行される。」

二(2)「律蔵は仏教僧団の法律であるから、どんな僧団にもかならず存在する。」「仏教僧団が独自の生活規範をもっていなければ出家者と在家者の区別がなくなってしまい、その僧団は一般社会の中での独立性を保持することができなくなってしまう。誰が坊さんで誰が一般人かわからなくなってしまうのである。そうなると仏教信者はいるが仏教僧団は存在しないという奇妙な事態が生じてしまう(日本仏教はこれに近い状態にある)。」

「仏教僧団には必ず律蔵が伝られていたが、それは必ず一種類であった。一つの集団が異なる複数の規則を持つことはあり得ないからである。」「ところが現実は」「律は実に六種類もある」「仏教僧団はその長い歴史の中で次々に分裂したのである。」「ーパーリ律、2『四分律』、3『五分律』、4『十調律』、5『根本説一切有部律』、6『摩詞僧祇律』」

「日本の仏教僧団は」「実はどの律も使っていないのである。日本に仏教が導入されたとき、それは国家仏教として取り入れられた。つまり仏教とは当時の国家権力が日本を統治するために輸入した新思想であり、ビックやビックニーはその国家プロジェクトの実行員すなわち国家公務員であった。国家公務員が自分たち独自の法律を作って独立共同体を運営することなど許されない。国家公務員は何をおいても国家の規則に従うべき存在である。したがって当時の仏教は律蔵に基づく僧団生活を導入することが許されなかった。」「律蔵を厳密に守る者こそが真の出家者であるという原則は無視された」。「鑑真が持ち釆った出家儀式さえも放棄されることとなった。その結果日本の仏教は、教団毎に違った儀式を採用することになった。特定の団体が出家の儀式として認定する手順を通過し、その団体が出家者の条件として認定する生活形態を守る者は、それがどれほど律蔵からかけ難れたものであってもその団体における仏教出家者として正式に認められる、という特殊な状況が出現したのである。しかも本来の律蔵をそのまま守る集団はどこにも存在しないのであるから、多種多様な仏教団体のうちどれを正統とし、どれを邪教団とするかという判断根拠は講も示し得ない。こうして真の僧団を持たない日本仏教は、おそろしく多様な仏教世界を形成するに至ったのである。我々日本人は、律蔵なき仏教という非常に特殊な世界に生きている。」

<以下は常盤氏のコメントです>



往々木閑氏は『出家とはなにか』の「あとがき」で「本書の問題点を二つ」挙げておられる。一つは、本書では出家修行者の「日常を具体的に描写したが、修行そのものの内容については一切ふれなかった」「シャカムニの教団とはこうだ、と断定することが可能な領域」「とは別のところに、悟りとは何かという個に関わる問が存在している」ことを指摘して読者の注意を喚起される。

それはそのとおりだが、修行の思想的な内容と具体的な日常の修行形態とは、実は密接に関連するはずのもので、後に大乗仏教が出家修行者の経と律とをともに批判して行くのは、思想と実践とが本質的に別々のものとはならないからである。出家修行者の経と律とは、現実への関わりが問題になるところで批判されてくるのであるが、この新しい批判者、大乗仏教の経と律とは、さらに大きな問題を提起するため、これが出家修行者たちから非難されるのである。「五無間業」は、出家修行者による大乗仏教への非難として提起されたと思われる。大乗仏教者は、これを逆手にとって、これを犯すことが悟りの内容だとする。しかし、大乗仏教の経と律とがどういうものであるべきかは、大乗仏教各派の間で合意されているわけではなく、現実とのかかわりを重視するその立場で出家修行者からの非難を本当に克服してきたかどうか、疑問であり、それが今日問われている。

佐々木氏が指摘される第二の問題点は、「乞食という生き方は、仏教僧団に反社会的な活動を許さない。一般社会の好意にすがる以上、僧団が社会の要請を無視することは不可能なのである。この関係は、社会の要請が仏教の宗教理念と矛盾しない限り何の問題も起こさない。しかし社会は時代によって変化する。時として外部社会の通念が仏教の基本理念と背反する事態が起こる。たとえば社会が教団に殺人を強要することさえある。その悲惨な例を昭和の仏教は体験した。布施をもらい、一般社会の中での存続を認めてもらう代償として僧団は戦争参加を求められた」「社会の要請が仏教の理念と対立するとき、出家者はどう行動すべきか。律蔵に答えはない」と。これは重要な指摘である。

日本では戦争中、仏教の各派が戦争を推進する国家の強要に迎合することでほとんど一致した。それは、国家が仏教を神道とならぶ国家宗教の一つとして扱い、仏教側も国家によってその存続を支えられてきたとして、国家の方針を進んで支持したからである。出家が現実の根本的批判だという面は忘れ去られ、出家を支える現実の在家社会を代表するものとして国家が考えられたからである。そこには国家を越えた世界を自己の立場とするという発想は皆無であった。それは出家というものの在り方への根本的な反省を迫る恐るべき事実である。実は、その批判が大乗仏教を生み出したはずである。他者に依存した生活形態が出家のもつ現実への根源的な批判を無意味にしているのであれば、在家生活の中でこれを根源的に批判して新たに形成するという方向しかないはずである。白隠が、「およそ見性して生死の家を出づるを、都て名付けて禅門出家とす。剃髪して親の家を出づるを云うに非ず」と言うのは、理由のあることである。白隠は、在家に対する出家の本当の在り方を説く立場からそう言ったのだが、ここでは在家が在家のままで在家を超脱することを意味したとも解することができる。

日本の仏教各派は、自分のなかに出家集団とそれを支える在家集団との両方を含んだものとして存在しているようである。そのうちの出家集団の存在が形式的になっているのが大体の現状ではなかろうか。もしもそれが事実なら、在家集団が出家集団の外観を保ち、内実の欠落を糊塗していることになる。在家集団を主張しながら出家集団の外形をよそおっていることもあろう。とにかく、出家と在家とが支えあって一つの宗派を形成し存続を図るなかで、出家が特定の在家集団とのかかわりの中に埋没していては、現実そのものへの根源的批判の原動力となることはできない。出家の意義の根本的な反省が今日求められる所以である。