『寒山詩闡提記聞』巻二、80(禅の語録『寒山詩』164)
白隠注、評、常盤試訳(2001、4、21;5、19;6、16)
(点線箇所訂正および「参考」和文・英語訳追加、9月15日。)

「男児大丈夫、事を作すに莽鹵なる莫かれ。勁(つよ)く鉄石の心を挺(も)ち、直に菩提の路を取れ。邪路は行くを用いざれ。これを行かば枉(いたず)らに辛苦せん。仏果を求むるを要せず。心王の主を識取せよ。」
(優れた願いを実現することを誓うものは、何事をなすにも粗略であってはならぬ。堅固な意志をしっかりと保ち、目覚める路を直ちに歩め。邪な路を行くことはいっさいするな。さもなければ空しく苦労するだけだ。悟りを未来に求めることは不要だ。意識の本当の主体を会得せよ。)

『宗鏡録』(百巻、961年、永明延壽撰)巻六にこの詩を引用する箇所の試訳。
「およそ真と妄とを立てることは、みな説明のためのことで方便に属する。一挙に見性する人ならば、誰がそんなことを云おうか。今日、直に一心(妄心であるものが本来は真心に外ならないこと)を悟ることを願わない人は、邪曲だ。もしも悟りを未来に求めることがあれば、すべて正しくない。寒山子の詩に云う、『、、、。』ここに知られるように、外に求めるべき真理があると考えるならば、すべて心王自宗(本来の自己を立場とする)ということの意義を失ってしまうのだ。もしも直に宗鏡(無相の自己が自由に形をとって働く境界)に悟入するなら、本当の落ち着きがえられ、凡夫と聖者とを分ける思いはいっさい尽きて、安楽妙常だ。ここを離れて凡と聖とを分ける心を起こせば、空しい苦悩となるだけだ。」(大正大蔵経巻48、448上)

(白隠注)[76頁]孟子滕文公の下篇に曰う「天下の広々とした居所におり、天下の正しい位に立ち、天下の大道を行き、考えが人々に受け入れられれば、ともにこれを実現し、受け入れられなければ、ひとりわが路を行き、富貴にも心を乱されず、貧賤にも志を奪われず、威力武力にも屈しない、これが大丈夫と云われるものです」と。
 莊子の第二十五章則陽篇に、封人(さきもり)が子牢に云った「[君主が政をなすのに鹵莽(ロモウ、粗略なやりかた)をしてはいけません。民を治めるのに支離滅裂であってはいけません。]以前、私が稲を栽培しましたとき、耕作を粗略にしますと、稔りも粗略な仕方で報いを受けました。草取りを粗略にしますと、収穫も粗略でひどい報いを受けました。[次の年、やり方を変えて深く耕してしっかり土ならしをしましたところ、稲はよく繁って、お陰で一年中食べ放題でした」と。莊子は、これを聞いて、人が心身を治めるのも同じことだと、共感を示された。]
 陸方壷がこれに注を加えて云う「鹵莽とは、土塊が大きいために草の根が尽きること。滅裂とは、善い種類を滅ぼして庭草が死ぬことだ」と。
(白隠評)[1 男児大丈夫]
(1。勝友・明師)ほとんどすべての修行者は、始めて本格的に修行する決意をもつ前は、あたかも人が十字路に立って西へ行くか東へ行くかを決めかねているのに似て、修行を進める前に自分で十分注意深く點檢する必要がある。実際の所、分かれ路は万とあり、波羅蜜に6つ(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵の別が)あるように、修行も万とあって、違った見解が入り乱れ、あたかもほつけた糸の先のように多いことだ。修行者は、しばしば、ちっぽけな一隻の舟に乗って万里の霧の海に浮かぶようで、西東を見分けることができず、空はどこまでも続く波に霞んで先が見えない。昨日は西へ今日は東へ、あるいは南あるいは北と、いたずらに櫓を漕ぐぎいぎいという音だけを来る日も来る日も聞くだけ。[77頁]しまいに、舟を寄せて一休みする島の渚にたどり着くこともできず、挙句の果ては、風波に叩かれて舟はこわれるのに似る。あるいはまた、飼い主に捨てられた老犬が毎日いくつもの村人の家を窺い、うろつき廻って結局身を寄せる所がないのに似る。あるいは、目の見えない驢馬が脚に任せて歩き廻るのに似る。私が恐れることは唯一つ、彼等が邪悪な師の指導を受けて一生誤って偽物の禅者になることだ。
 実際、邪師と正師との見分けは難しい。塩を水に入れたようなもので、本物か偽物かは、誰が見分けられるだろうか。絵の具に混ぜた膠は絵の具と一体になっているのだ。もしも人が道を見極める大志を起こすならば、まず何よりも先に優れた友を求め、明智の師に就いて参禅の要道を尋ねる必要がある。その間に、また、ひそかに歴史に現われた仏陀の遺された教えを確かめ、祖師たちの修行のことを探って、よくよく観察することだ。あの師家の権威を示す椅子に腰を下ろしている和尚が、沢山の大衆に囲まれて説法すること雨が降るようであり、その教えを受けて沢山の人が悟りを開き、その指導をえて多くの人が力を得たとしても、その和尚の説くことが仏陀や祖師方の教えとかけ離れて食い違っているばあい、さっさとそこを離れることだ。一掴みの薪と破れ鍋しかもたない惨めな暮らしをおくる、風体の揚がらない坊主でも、本物の知見をもち、仏祖の行履を実践するものに出会ったら、自分の修行の旅を中断して、二・三十年、この人に親しく教えを受けることに徹する必要がある。
(2。禅定・見性)そもそも経律論の三藏の、釈迦仏の言葉は八万四千種の真理の宝を収めており、(頓、漸、祕密、不定の四の方法の教え、小乘の三藏、小乘と大乗とに通ずる教、菩薩だけの別教、究極の円教という四の内容の教えに見られる仏陀の尊い)八つの教えの調べは、欲、色、無色の三界の、全部で二十五種の衆生への教えとなっている。それらのなかから、縦横自由に選択して真実の修行の要となる道を探して行けば、禅定に勝る道はなく、見性の真理(智恵)より尊いものはない。だいたい、見性する前はすべて衆生としての鬼畜生にほかならない。それゆえ、釈迦仏は八千回も娑婆に生を受け、五百劫を経てこられ、最後に西北の方向に向かって端坐する努力[78頁]の甲斐があって、ついに見性され、真理に悟入する本懐を達せられ、始めて無上の悟りをえられたのだ。過去にも現在にも未来においても、禅定に依らない賢者聖人はおらぬ。見性しない仏祖もない。ただし、見性はしても禅定の力がないものは、空に咲くかに見える幻想の花のように、実を結ぶことはない。禅定があっても見性の眼のないものは、死者の霊が棺を守るのに似る。禅定によって見性の正しい眼を開くのだし、見性によって禅定の根源に透徹するのだ。
 一体、見性のところに仏陀が現われないことがあろうか、悟りが成就しないことがあろうか、戒律を保たないことがあろうか、真理に通じないことがあろうか、修行が備わらないことがあろうか、人徳を積まないことがあろうか、誓願が満たされないことがあろうか、救われない人があろうか。それゆえ迦葉(カーシュヤパ)以来の二十八人尊者、達磨(ボーディ・ダルマアーチャルヤ、菩提・法師)以来の六人の祖師が、この見性の真理を伝えて、それぞれの師の深い恩に報いておられるのだ。志をたてたものが身命を顧みず修行に進むべきは、この見性の道だ。これこそ、いわゆる大事因縁であり、正法眼の蔵であり、円頓に備わる諸仏の教えの核心そのもの、金剛の尊い戒律なのだ。
 そうではあるが、象、兎、馬の別のある禅定に、深い浅いがあり、金、真鍮、銅と、見性にも本物と偽物があるうえ、鉱石の金も、百度の製錬を経て光輝き、宝玉も磨きを重ねて始めて光を増すのだ。修行者の精進の有無、師となるものの賢か愚かによるだけのこと。東魯の聖者、孔子の言葉にあるではないか、人が一を成し遂げることができれば私は百をする、人が十を成し遂げることができれば私は千をする、と。ましてや、我々が問題にするものは真理の領域における無上の宝、心王に不傳に備わる玉印ではないか。だからこそ達磨大師は云っておられる、諸仏の無上の妙道は、果てしない長さの難行だが、行じ難いのを行じ、忍び難いのをよく忍ばれたものだ、君たちが自尊心でもって立ち向かっていては、[79頁]どうして容易に達成できようか、と。
 然るに、今日往々口と耳とだけのまやかしの禅を説き、皮膚感覚で分かる真理を授けるのを、いい加減に受け入れ頷くものが俊敏とされ、簡単に納得して帰依するものが賢者とされる傾向にある。そのため、平凡な、意志の定まらない偽の出家が愉悦の眉を広げ、追従する軽薄な偽の修行者が歓喜の尻尾を振り、師と弟子とが騙しあい、客と主人とが嘘をつきあい、これこそ達磨直伝の宗旨だと称し、向上の家風だとぬかす。それゆえ、真正の見性の人を求めても半かけらも見つからぬ。叢林にこれはという人が乏しいのも当然のことではないか。これでは、正法を葬り去る魔がはびこる日がもう来ているのか、末世の法滅の日は数えるほど近いのか。唐の太宗の治世、貞観のころ(627〜49)禅苑が栄えた当時ですら、寒山先生が「男児大丈夫事を作すに莽鹵なるなかれ」と云っておられる。今日の状況を見られたら、これでよいと云われるか、どうか。
 こんな言葉を聞いたことがある、たとえ身体が7〜8フィートの身長があり腕の力が強くて人よりずばぬけた才能に恵まれた男子でも、永遠の仏性というものを会得できないものは、男子とも丈夫とも云われない、たとえ容貌・身なりが醜く短小で貧しく卑しい女子であっても、永遠の仏性を会得し終ったものは、究極の丈夫というべきだ、と。これこそ仏陀ご自身の教えなのだ。私に云わせてもらえば、一人ひとりがすべて大丈夫なのだ、古代の王者舜が何物だというのか、私が何物だというのか。誰であれ、一生を下劣な卑しい生き方に甘んずることがあってよいものか。誓って激しい志を起こして、一回白い玉のような汗を流すことを徹底しようと奮発することがなければ死んでも退かないぞという気概をもち、生死の一大事を成し遂げるために、忍び難いことを忍び、果てしない苦悩にも動揺しないで、[80頁]親族があれば親族を捨て、田畑があれば田畑を捨て、官位があれば官位を捨て、役職があれば役職を捨てて、すべてを捨て終ったとき、この大事は一度地獄に入らなければ成就できないというなら、一度地獄に入ることを誓い、このことの成就には一度餓鬼の世界に入らなければ、というなら、一度餓鬼界に入ろうと誓い、修羅界に落ちなければ成就しないといえば、一度必ず修羅界に落ちようと誓い、こうして阿鼻地獄を始めさまざまの地獄を恐れず、まして、それ以外の艱難、飢餓、寒さのなかの修行を恐れることがあろうか。これこそ真の大丈夫、本当の参禅者と云うべきだ。
[2 事を作すに莽鹵なるなかれ]
「莽鹵(モウロ)」とは何のことか。莽鹵(粗略、いい加減)とは動作に真心がないことだ。いわば、日常経験の主体である意識の働きがすべてであり、それで何ら不足することはない、とすることが、莽鹵なのだ。何人もの似たような話しを聞いてきてこれを自分の見性の大事の説明にすることが、莽鹵だ。これが禅だと人から聞いたままを無考えに口にすることで悟りの力を得たとするのが、莽鹵だ。阿楼の漆器(不明。阿盧山は雲南省にある)をかついで、行く先々で自慢して売って廻るのは、莽鹵だ。默照の邪禅は、莽鹵だ。湿った穀物を臼でついて、それを炊いて食べるのは、莽鹵だ。悟りを開いていないのに悟りを開いたというのは、莽鹵だ。古人は決着の時がきて修行を終っているが、今の人は決着の時がきていないのに止めることを自慢する、これも莽鹵だ。自分がこのままではどうしてもいけないと、疑いの塊になることを求めずに、何人かが寄り合って古人の公案の言葉を取り上げて、その主旨はああだこうだと、妄想する、これは莽鹵だ。一言でも知的理解を得たとたん、それを自分の見性の内容を示すものだと主張するのも、莽鹵だ。(81頁)
 仏陀や祖師が提起された透過しがたい公案を徒に弄んで、普通の謎解きのように扱い、それで悟りの力を身につけたとするのは、莽鹵だ。透過しがたい考案をとりあげて、修行者に与え、一則を理解できたらまた別の一則を与えて理解させ、まるで烏が栗の実を嘴で啄んで一つ一つと片付けてゆくのに似るのは、莽鹵だ。傳燈録に記録される千七百則の奥深い公案を、分けも分からずに丸のみするのも、莽鹵だ。公案などは、現われたものに過ぎぬ、俺はすでに、易経に説く天地・陰陽などの二儀が分かれる以前のところに座を占めておるぞ、いまさら疑いの塊となるべき公案などあろうか、というのは、莽鹵だ。公案などは下男下女のこと俺はすでに王者たる心を以心伝心する印可を得ておる、いまさらそんな下衆なことに拘わる理由はない、というのは莽鹵だ。我は今、仏陀や祖師が現われる以前の境界に到達しておる、仏陀や祖師の言葉を疑う余地があろうか、というのは莽鹵だ。すべての言語表現はみな究極のところに帰するのだ、と、自分勝手に飲み込んでいるのは、莽鹵だ。わざと難かしげにひねり回した言い回しをする公案は古人がひとの執着を奪い去る手段として設定しただけのこととして、自分は深くこれを參究しないのは、莽鹵だ。公案は古人が修行者を落ち着かせるために仮に設定したものだから、からくり、機関、と称するが、まともに見れば、これは目出度くもない戦の道具であって、取るにたらぬ、というのは莽鹵だ。公案はせっかくの自己本来の働きを縛りつける文字だ、と云って、全く是を無視するのは莽鹵だ。仏祖は、君がこのままではどうしてもいけないという思いに縛りつけられることがないことを嘆かれるのに、却って君が回避する[つまり、仏祖が提起されながら実は君自身の在り方を君自身が根源的に問う公案が君を絶対危機に追い込むことがない]ということは、莽鹵だ。公案が日常意識が構築する安住の思いを打ち砕く鉄の杵であり、是非善惡の固定した見解という刺から毒をだす樹木を断ち切る剣であることを知らず、勝手に妄想でもって加減を図るのは、莽鹵だ。(82頁)
 あらゆる公案を取り上げて、修行者たちに適当にコメントや偈頌を添えさせ、自分も代語や別語を付けることで目覚めた真理の世界を充実させているとするのは、莽鹵だ。俺のようなものの及ぶところではない、と云うのは、莽鹵だ。他人が久しく純粋な苦心を尽くして纔なが目覚めた真理というものにかなうことができたと聞いて、裏でこれをけなすのは、莽鹵だ。言葉など理解する必要はない、理屈で分からぬところこそ究極のところだ、と云うのは、莽鹵だ。祖師はわざと、かみ砕くこともできず真似することもできない公案の言葉を吐き出して修行者をむやみに困らせるのだというのは、莽鹵だ。すべての言葉は、どれが適当でどれが不適当かということには関わりがない、ただその時々ににわかに彩りを用いるだけだというのは、莽鹵だ。分かる分からぬは一切関わりがないというのが禪宗の根本だ、というのは、莽鹵だ。分かる分からぬは一切関係がない、というのは、莽鹵だ。博学で多聞の人が多いことは、莽鹵だ。聡明で利口な生まれつきの人が多いことは、莽鹵だ。世間の常識が豊かで物わかりのよい人は、決まって莽鹵だ。働きが特定の立場と密着して自由ではないものは、莽鹵だ。棺の中で眼を開けたままの様なのは、莽鹵だ。流れの止まった水に浸りきっているのは、莽鹵だ。「カー」と一喝されたように分かったとするのは、莽鹵だ。鉄棒を食らったように分かったとするのは、莽鹵だ。
[3 勁(つよ)く鉄石の心を挺(も)ち、直に菩提の路を取れ。]
(1。鉄石の心)どんなのが鉄や石のように堅く変わらない心か。例えて云えば、よい、あるいは悪い、あらゆる状況のなかで、まるで鉄製の牛が獅子の咆哮を聞くように、あるいは、石製の人が美しく描かれた鳥を見るように、利得や損失、是や非のすべてに心を奪われずに、生と死との二文字を見ること、あたかも恐ろしい虎が昼も夜も追いかけて来るようであり、一則の公案を見ること、あたかも狭い道で仇敵に出会ったように、あるいは猫が鼠を見るように、あるいは雌鶏が生み落とした卵を見るように、頭をあげて(83頁)空を見ることなく、頭を下げて地面を見ることもなく、無数の人だかりの中にいて一人の姿をも見ず、一旦この工夫が熟して疑いの塊そのものとなると、たちまち、千仭の高い棚の上から急に離れて棚を見失ったようであり、百尺四方の鉄製の圏に放りこまれながら身体は少しも縛られていないようであり、自分の心身を振り返って見ると、あたかも飛ぶ蛾が激しく燃える火の穴に落ち込んだようであり、また一片の雪が真っ赤な溶鉱炉の炎に落ちたかのようで、何処を見てもただ死そのものがあるだけだ。これを、険しい崖の上で手を離す時節と云うのだ。このとき、恐怖を思わず、逃げることをせず、助かろうと思わず、手段を弄せず、ただ、始めから参じている公案をひたすら究め尽くそうと努めるなら、必ずそれまで詰まっていた底が抜ける(落節底)時節があって、それまで眼前に広がっていた志願の海はひっくり返って自己の働きそのものとなるのだ。參究がこ険しい所を透過することを鉄石の心と云うのだ。
(2。菩提道)どういうことが菩提(目覚め、悟り、覚)の道なのか。咳をし、肘を突っ張ることが菩提の道だ。本性を見ること(見性)、掌を見るようであるのが、菩提の道だ。仏祖不傳の妙道を心にかけることが、菩提の道だ。目覚めた真理の窟から出て獅子吼する獅子の爪と牙とを磨き、奪命の神苻を手にして、未来の衲子の修行成就を助けることが、菩提の道だ。空一杯に金の網を張り、至るところの地面に鉄製のはまびしを撒いて抜き差しならぬようにし、人々が自分を釘付けにしているものを抜き出すことが、菩提の道だ。
[4 邪路は行くを用いざれ。]
一体何が邪路か。西來の祖師に人を救おうという意図があっては自分をさえも救うことはできないと云われるが、自分をも救えない偽禅を説いて修行者の悟りの道を妨害することは、邪路だ。早く飛べとばかりに、脇の下に傷を付けて外から翼をくっつけてやるのは、邪路だ。代りにかみ砕いた食物を与え嬰兒を養うのは、邪路だ。苗の心を抜いておいて人の成長を期待し人の役に立つと考えるのは、邪路だ。悟りなど枝葉の事とするのは、邪路だ。むやみに尊大ぶって(84頁)他人の帰依尊敬を求めるのは、邪路だ。人を欺いて、自分がとりわけ優れた境界にいるように見せて、批判力のない修行者を篭絡するのは、邪路だ。授けるべき何かがあるとして、そういう何かである真理を授けて修行者をつなぎ止めるのは、邪路だ。修行する大衆の数の多いことが叢林の栄えることだとするのは、邪路だ。大衆はいるが、修行が行なわれないのは邪路だ。修行はなされるがそこに批判の眼がないのは、邪路だ。修行の場に入るなり、いきなり人情の縄紐で繋いでひき倒し、よその叢林に行って参禅することを許さないのは、邪路だ。宋代から明末にかけて禅者が[禅淨雙修など]いろいろの姿をとったのは、邪路だ。默照、無事、の死んだ禅を人に教えて、修行者をして自分の普通の在り方に根本的な疑いを生涯起こすことのない鈍感な人間にしてしまうのは、邪路だ。日常の意識の出てくるもとであるアーラヤ識(根本妄想)を、これこそ仏祖不傳の妙道だと教えこんで、衲子の智恵の命を断ち切ってしまうのは、邪路だ。
[5。これを行かば枉(いたず)らに辛苦せん。]
質問。修行者が誤って、そういう偽の禅を修行すれば、見性にも本物と偽物、得た力にも正しいものとそうでないものがあることは云うまでもないでしょうが、それはさておき、そもそも、古人は透過しにくい公案を透過し、出会い難い本物の宗旨を究明するために、20〜30年誓いを立てて修行することは、まことに辛苦多いことでしょう。これにくらべれば、聞いたままを人に伝える偽の禅に従って枯れ木のように默照の坐禅をするのは易行道であり安楽の法門だと云うことになります。辛苦など、どこにありましょうか、と。
答え。そういう人も、それにふさわしい辛苦をため込んでいるのですが、本格的な修行の場に入らないうちは、それがどんなことか分からんでしょう。本物の衲子に軽く追及されると、黒目を突出させ、口はへの字に結んで、微かな息もつけない様子になる、これがこの人の辛苦です。静かな、人気のないところでは、まことに痛快、快活で、王者のように壮大な気概を見せますが、現実の変化窮まりない状況に接し、(85頁)順境だけでなく逆境にあうと、とたんに意気消沈し恐れおののいて氷の上を歩く驢馬のようになる、これがこの人の辛苦です。仏祖の教えに実際に接すると、至るところで自分の考えと食い違いがあって、内心に憂え悶える、これがこの人の辛苦です。始めて自分の見解を覆えされ、新しい見解を授けられ、それを認められ、人の師となることを許可されて、自分ではこれで一大事を究めることができた、これからは自分の思うがままにふるまってよい、と思うとしましょう。それが、日常どのように役に立つかを振り返って見ると、まるで邯鄲の夢枕で、現実の世界ではお粥が半煮えの時間に夢のなかでは出世し財宝が周囲に積み上げられていた、とか、槐樹の下の蟻の世界、槐安国、に入った夢を見ているうちに地方の大名となり家臣や妻妾に囲まれた、というようなもので、よくよく点検すれば、一文の利益も身につけてはいない、これがこの人の辛苦です。死んだ狼や川うそのような状況であること、これがこの人の辛苦です。醒めきっていないことが、この人の辛苦です。誤って一生を過ごし、人に默照の、偽指導者と呼ばれる、これがこの人の辛苦です。諺に云うではありませんか、蛇は穴から一寸出ただけでその大小が分かる、人が一言云っただけで、もうその人の賢愚の察しがつくと。禅門の指導者は、決して、滅茶苦茶なことを云って人を窮地に陥れるわけではありません。注意深く相手の見性が本物か偽物か、得た力は正しいものかどうかを試して見て、直接これを確認するだけのことです。その吟味を加えるあいだに言葉のやり取りがあるわけです。公案等取るにたらぬと云ってはいけません。本当に一度見性した人でなければ、たとえシャーリプトラの智恵、プールナの弁舌があっても、猫が小判を見、おうむが煎茶を見るようなもので、公案が現成することはありません。一体、金の真偽は石でこすって見分けます。玉の美醜は、火で熱して弁別します。水の浅い深いは杖でもって確かめます。悟りの正邪は言葉を使って試します。これこそ、叢林に伝わる(86頁)、人を悟りに導く方法です。
[6 仏果を求むるを要せず。]
質問。すべての修行者は仏となり祖となることを修行の究極の目的とします。寒山子が「仏果を求める必要がない」と云われるのは、納得できません。答え。これは、本物の見性の人でなければ、その心中を窺い知ることは難しいことです。寒山子の真意を知りたいと思うならば、まず見性する必要があります。
[7 心王の主を識取せよ。]
心王の主とは、一体どのようなものか。

参考 大慧宗杲『正法眼藏』巻中第157則(訓読)

黄檗恵和尚、疎山(匡)和尚(837〜909)に参ず。初めて到る時、正に[和尚の]法堂に坐して参を受くるに値(あ)う。恵、先ず大衆を顧視し、然る後、問いを致す。曰く、「刹那に便わち去る時は如何。」山曰く、「虚空に逼塞す(一杯に満ちている)。汝、作麼生か(どのようにして)去る。」恵曰く、「虚空に逼塞す、去らざるに如(し)かず。」山便わち休す(応答を止めた)。
恵、堂を下り、第一座に参ず。第一座曰く、「適(先ほど)上座の和尚に祇対(応対)するを観るに、語甚だ奇特なり。」恵曰く、「此れは乃ち率爾(偶然)なり。実に自ずから偶然たり。敢えて望む、慈悲もて愚迷に開示せよ。」座曰く、「一刹那の間、還って(はたして)擬議(ためらう時間)有りや。」恵、言下に大悟す。(『景徳傳燈録』巻20)

Dahui Zongkao Zhengfayanzang 2, No. 157

Huangbo Hui practised under Master Shushan Kuangren (837~909).
When he first arrived, he came to when the Master sat in the dharma-hall to receive practitioners' questioning. Hui first looked back over the other practitioners, and then asked, saying, "When a moment goes, how does it do so?" The master said, "It fills the whole air; how do you leave?" Hui said, "Since filling the whole air, I would rather not leave." The master then stopped responding.
Hui went down from the hall, and attented the first senior monk. The first senior monk said, "Observing your response to the master, I perceived you sound very wonderful." Hui said, "No, I did not. I happened to say like that; it was accidental. Would you be kind enough to disclose the truth to me, this silly one." The monk said, "During one instant, is there time for deliberation?" Hui immediately attained Awakening.
(Tentatively from the Jingde Chuandeng-lu 20. Gishin Tokiwa)

『寒山詩闡提記聞』巻二、81(別紙)
『寒山詩闡提記聞』巻二、82
(禅の語録『寒山詩』附録、拾得詩48の一部と共通)
「重んずべきは是れ寒山。白雲常に自ずから閑(しず)か、猿啼いて道曲*を暢べ、虎嘯いて人間(じんかん)を出ず。独り歩んで石を履(ふ)むべく、孤り吟(うた)いて藤を攀じるを好む。松風清く颯颯、鳥語の声 官 官。」
* 「道内」を拾得詩48によって「道曲」に訂正した。項楚注165番参照。
(尊ぶべきは寒山だ。白雲がいつも自然に現われて穏やかだし、猿たちの鳴き声は自然の世界の調べを展開しており、虎が吠えることでここが俗界を離れていることを知らせる。私が独り歩きを楽しめば足元には石が転がっており、独り大声で歌えば藤の幹をよじ登るのが面白くてたまらぬ。松風が爽やかな音を立てて風に揺れ、鳥のさえずりは和やかに響いてくる。)
(白隠注) 官 官和鳴也。