同、中七八(同通一九四〜七頁)、現代語訳一六二
「尊ぶべし天然物。独一、無伴侶。他(かれ)を覓むるに見るべからず。出入に門戸なし。これを促(つづむ)れば方寸にあり。これを延ぶれば一切處。汝もし信受せずんば、相逢うて相遇わず。」

(白隠注、訓読)波羅提(プラティ、菩提達磨の印度での弟子とされ、師に代って王に、仏性とは何かという質問に答えて)偈に曰く「[仏性は]偏ねく現われて沙[婆世]界を倶に該(つつ)む。収摂せば一微塵にあり。識る者はこれ仏性なりと知る。識らざるは喚んで精魂となす」と。(以上、『景徳傳燈録』巻三から)

(同)梁の武帝、達磨の碑文を撰して曰く「ああ、これを見て見ず、これに逢うて遇わず。今も古も、これを悔やみ、これを恨む」と。

(『景徳傳燈録』では、武帝は達磨の碑文を撰したいと思いながらその暇がなかったが、後に宋雲が西域でインドに返る途中の達磨に出会ったという話しを聞いて碑文を完成した、とあるだけで、文章は載せていない。ここの武帝の碑文とされるものは『碧巖録』第一則、本則への圜悟克勤の評唱の終に見られるもの)

(白隠の評、訳)「信受」には二種がある。[一方に]文字の優れた特徴をたよりとし、師や友の提携(たすけあい)をたよりとして信受するものがある。信受することは甚だ信受するわけだ。甚だ信受するのだが、如何せん、骨に透り髄に徹して真正に疑惑がないまでは行かぬ。あたかも、夢の中で油いための餅を噛んで食べるのに似ている。噛んで食べることは甚だよく噛んで食べるのだが、如何せん、胃を補い腸を養って真正に飢餒(きだい、うえ)を免れることはできぬ。信と受との二文字は、大難、大難だ。それ、仏法の大海は信があって初めて入ることができる、と云われる。けだし、信とは疑惑のないという意味だ。生まれるとは、何処から来ることなのか。さらに、何処へ去ってゆくのかもまだ分からぬことでは、疑惑のない人間とは云えぬ。

[洞山良价禅師の法嗣の一人、越州の乾峰和尚は、上堂説法で云われた、「法身にも三種の病、二種の光不透脱ということがある。これらを一々透脱できて始めてよく家に帰って穩坐することができる。法身にもさらに向上に透るべき一竅(一つの穴)があるのだ」と。たまたまそこへ来ていた若い修行者、後の雲門文偃が衆から出て云った]
「庵内の人(法身)はどうして庵外のこと(自分の病)を知らないわけがありましょうか」と。
[和尚は呵呵大笑した。雲門は云った「それでも私の方は、そこに疑問があります」と。和尚が云われた「君はいったいどんな心の迷い(心行)があると云うのだ」と。雲門「それでも、和尚はそこをはっきりしておかれる必要があります。」和尚「それはそうだ、直下にはっきりして始めて穩坐できるのだ。」雲門は相槌を打って云った「そうですとも、そうですとも」と。](『五灯会元』巻十三、曹洞、三十一丁)

これは一体どんな道理を説くものだと思うか。もしもこういうことが疑問になってこなければ、本当に疑惑のない人とは云えないのだ。
 寒山が詩の中で「独一無伴侶」と云っているものは直心、見性、無上菩提の道、を指すのではないか。すでにこれこそ、仏祖不伝の心を信受するものだ。どうしてこれが、仏祖の語路を了知していないだろうか。それには、ただ一回、全心身から真っ白の汗が流れて親しく冷煖自知することが必要だ。これを、古い自分の家屋敷が破れ散る時節と云うのだ。このとき、仏祖は仏祖であることを止め、衆生は衆生であることを止めるのだ。そこで、仏祖の提起する難透の公案に立ち返ってこれを見れば、そのとたんに、あたかも万里の異郷にありながら妻子の顔を見る思いがするはずだ。このあと、自利と利他とが同時に成立する訳だ。例えて云えば、老練な竜が顎の下にもっている一滴のわずかな水の働きで万里の荒涼たる世界を緑あふれる世界に蘇らせるようなものだ。あるいは、鴆鳥がその一枚の羽を水に落とせば、大河の魚やすっぽんなどのすべてを毒殺するのに似ている。これこそ、真正の信受の人なのだ。

それだからこそ、黄檗山の方々(黄檗希運、臨濟義玄など)、大シ為山の方々(シ為山靈祐、仰山慧寂など)、象骨山の方々(雪峰義存、玄沙師備など)、あるいは眞淨克文などの諸老が終始、鳥の成長を助けるために脇したに傷をつけて羽をとり出してやるというような醜態を演ずることは絶対にせず、[どうしてもいけなればどうしますか、と]問うだけで、これをまともに受け止める修行者は、たちどころに自分を何物かとして固執する心魂を喪失するし、[私には煩悩がありません、という]答えを出してこられると、魔波旬も肝っ玉を落としてしまうわけです。これこそは、仏祖の世界の孤独で厳しい真の息吹です。
 釈迦仏がなくなられてその教えの真髄が見失われて久しく、その影嚮力は衰えているが、そのなかでも、ときどきは、正信を具える優れた人物がいるもので、密かに自己本来の面目を究明すべく工夫を積み、力が充実してくると、生死、有無、自他、内外に囚われる意識が次第に止み、公案に工夫をこらすことにも窮して、身動きもならず、あたかもダイアモンドのなかに入ったかのよう、また瑠璃の瓶のなかで座するかのようで、前に進むことも、後ろへ退くこともできず、意識の働きが停止したかのようで、參究工夫するのだという心も一緒に、一度に止み、呼吸さえもが絶えるようになる。これこそは、いわば亀が甲羅を裂いて姿を現わす時節、鳳が卵殻を抜け出す時節、仏法がその人を得ようとする優れた状況なのだが、残念なことに、そのことを知らないばかりに、親切な指導者たちが、優しい心を起こし、先輩ぶりをして、手をとり足をとって様々の道理を教え諭し、本人を知的理解の落し穴に追い込み、分別推量の岩穴に引きずり込み、やがては、へちまの判を証明書にべったりと押して、「君もそうだ、私もそうだ、よくよくこれを今後も護持せよ」と云うわけだ。ああ、護持したければ君の好きなように護持するがよい。残念ながら、自己の立場への囚われは断たれておらず、これでは、仏祖の世界とは遥かに隔たる。護持するなどというのは、大事にするようで、実は仇のように憎んでいるのだ。実に笑うべきことだ。修行者が毒と知らずに狐のよだれをたっぷりと舐め回し、あたかも鯉が尻尾を振って喜び、頭をはね上げて水面に踊り上がるように、一生をなかば素面、なかば酔っ払ったようにしてすごす道人となり終わるのだ。こうなっては、いくらお釈迦様の手をもってしても、このような人を治療することはできまい。たとえ巫女や鍛治屋の師弟の間でも、こんなだらしないことはないはずだ。実に残念なことだ。せっかく棟梁の資質があり、素晴しい才能を具えているものを、こんなふうに一生、根本的な疑いを抱かずじまいの鈍な人間で終わらせるとは。禪門が衰え、叢林があれ荒ぶのは、実にこのためなのだ。もしも、自分の証悟の浅い深い、得力の真偽を見分けたいと思うならば、必ず、古人が提起した難透の公案の一つ一つを点検する必要がある。真正に透りえた、力のある人ならば、必ず、そこに一点の疑惑もないものだ。それだからこそ、「金かどうかは石を使って試す、玉であるかどうかは、火を持って試す。人が本物かどうかは、言葉でもって試す」と云われる。それでは、どういうのが人を試す言葉だろうか。「馬鹿者、いつまで三界に輪廻し続けるというのか。」

(項楚注。[1]「天然物」衆生の天生具足の仏性を指す。それが天然自足するから「天然物」と云われる。「天然」を按ずるに、すなわち天生自然のことである。
[2]「独一無伴侶」『大般涅槃經』巻五「また解脱とは、名付けて寂靜となす、純一無二、空野の象のごとく、独一無侶。解脱もまたしかり、独一無二。独一無二は、すなわち真の解脱、真の解脱はすなわちこれ如来なり。」)
「咄咄咄三界輪廻」 宋本『寒山子詩集』「閭丘胤撰序」が述べる寒山子の描写のなかに見られる寒山子の唯一つの言葉として記されるものが「咄哉咄哉、三界輪廻」である。
              (2001年1月20日)