『寒山詩闡提記聞』巻中七四(入谷一六○)資料
(常盤、二○○○年十一月十八日)

「人有り白首を畏る、、、猟師袈裟を披る、、、」

項楚注『寒山詩注』(北京、中華書局2000年3月第一版)一五七(五)訓読
「猟師披袈裟」猟師を按ずるに、殺生をもって業となす。袈裟はまた「法服」と称してすなわち出家者の服するところ。しかも出家人は慈悲をもって懐となす。ここに「猟師袈裟を披る」というは、その表裏符せず、そのよろしき所に非ざるを言うなり。『大般涅槃經』巻四、「正法滅して後像法中においてまさに比丘あるべく、似像持律、経を読誦すること少なく、飲食を貪りたしなみ、その身を長養し、身にきるところの服は麁陋醜悪、形容憔悴し、威徳あることなく、牛羊を放畜し、薪草を担負い、頭鬚爪髪悉く皆長く利く、袈裟を服すといえども、なお猟師のごとし。細く視、徐行し、猫の鼠を伺うがごとく、常にこの言を唱う、我、羅漢を得たり、と。諸病苦多く、眠るに糞穢に臥し、外に賢善を現わし内に貪嫉を懐く。」

又第七、「仏、迦葉に告ぐ、我般涅槃して700歳の後、この魔波旬漸くまさに我の正法を阻壊すべし。たとえば猟師の身に法衣を服するがごとし。魔王波旬もまたかくのごとし。比丘像、比丘尼像、優婆塞像、優婆夷像となり、ないし阿羅漢身及び仏の色身を化作せん。魔王、この有漏の形をもって無漏身となし、わが正法を壊らん。」

『方廣大荘厳経』巻六、「そのとき菩薩、鬚髮を剃りおわって自ら身の上を観るに、なお宝衣を着けたり。即ちまた念言すらく、出家の服はまさにこのごとくなるべからず、と。時に淨居天、猟師に化作して身に袈裟を着け、手に弓箭をとり、菩薩の前に默然と住す。菩薩、猟師に語って言う、汝の着ける所はすなわちこれ往古の諸仏の服なり。いかにしてこれを着けて罪をなすや、と。猟者いう、我れ袈裟を着けてもって群鹿を誘う。鹿これを見てすなわち来り我に近づく。我、これによっての故にはじめてこれを殺すことを得、と。菩薩言う、汝袈裟を着けて専ら殺害をなす。我もし得ば、唯解脱を求む。汝よく我にこの袈裟を与うるや。汝もし我に与えば、我まさに汝にカウシェーヤ(絹)衣を与えん、と。」