『寒山詩』中七一(『禅の語録』13、筑摩書房、157番)白隠慧鶴評の試訳

 評して曰く「寒山幽奇多く、登るもの皆つねにおそれる。」なにが一体寒山の幽奇のところか。頭上に一寸四方の虚空もなく脚下に一つまみの土もない。虚空は消え落ち、鉄製の船さえも砕けてしまい、上下を覆い隠す天地はなく、照らしてくれる日月もなく、火は熱を失い水は冷たさを失い、柳は緑を失い花は紅を失ってしまって、鬼神が足跡をも隠すだけでなく、佛祖も命乞いするところだ。是こそ、修行僧の本来の故郷だが、それはたったいま、どこにあるか。うろうろと外に求めることはいけない。「月が照らし水が澄みきって、風は音をたてて草を吹き動かし、花のしぼんだ梅に雪が花を咲かせ、枝葉のない木に雲が降りて葉を茂らせている。」年の暮れの雪は暗く降り続け、窓が明るむころ烏が鳴き騒ぐ。いまここを回避する余地はない。ここから、時には鉄製の樹木から枝が伸びてくるし、時には石製の樹木に花が開く。まさにこのとき生死流転の迷いの雲が隠れて跡形がなくなり、業の海に降るまばらな雨はきわめて新鮮であり、はなはだ靈妙である。そうは云っても、迷ったままでは登り詰めて下を見下ろすことはできない。髑髏の世界では識別能力は尽き、云うべき言葉もなく、分別の道理が窮したところで、忽然と、佛の世界と魔の世界、淨土と穢土、の真相が上は天の河にまで透り、下は地獄にとどくようにはっきりと明らかになり、静まり、広々と空しいことを悟る。このとき初めて、世界に初めて現われた仏陀、威音佛、以前から親しくこの山に居住していることをしるのだ。ははは。(白隠和尚全集第四巻、六六〜六七頁)