『寒山詩闡提記聞』巻二 81(禅の語録『寒山詩』26)
および「南嶽懶 賛和尚歌」
常盤試訳(2001、9、15)

『寒山詩闡提記聞』巻二 81(禅の語録『寒山詩』26)

「ああ、私が寒山に居住しはじめてから、これまで幾万年を経たことか。生きることの不安を放下して林泉に退いて、のんびりと安らぎ、[世間を「色即是空、空即是色」と]観察することは思いのままだ。冷たい岩のあるところに人はやってこない。白雲がたなびくだけだ。細い草を敷いてねぐらとし、青空を掛け布団とし、石を枕にすることを楽しみとし、天地の改変は天地にお任せだ。」
「南嶽懶 賛和尚歌」(景徳傳燈録巻三十) 
*下線部は、寒山詩への白隠の註に挙げる箇所。(王へん+賛)

1。じいっと動かず、結果を求めることなく、変わることもない(兀然無事無改換)。
2。結果を求めなければ、何事かをひとしきり論じることも不要だ(無事何須論一段)。
3。ひた向きで心が散乱することがなく、他人事をさばく必要もない(直心無散乱、他事不須断)。
4。過去はすでに過ぎ去った。未来を今から計算することはない(過去已過去、未来猶莫算)。
5。じいっと動かず結果を求めずに坐る。何で他人が声をかけてくることがあろうか(兀然無事坐、何曾有人喚)。
6。外に向かって工夫の仕方を求めるものは、どいつも皆、愚かものだ(向外覓功夫、総是癡頑漢)。
7。食料は一粒も蓄えない、飯に出会えばただ食らうことを知る(糧不蓄一粒、逢飯但知喰)。*(テキストの字は、口へん+馬)
8。世間の多くの結果を求める人達は、いくら私につけこもうとしても、誰もよりつけない(世間多事人、相趁渾不及)。
9。私は来世に極楽に生まれることを願わず、また供養を受ける仏や僧を好きではない(我不楽生天、亦不愛福田)。
10。飢えれば飯を喰い、疲れれば眠る(饑來喫飯、困來即眠)。
11。無知な連中は私をあざ笑うが、智者はよく分かってくれている、「これは愚でも鈍でもない(愚人笑我、智乃知焉、不是癡鈍)、
12。人間の本来の主体がこうなのだ、行く必要があれば行く、止まる必要があれば止まる」と(本體如然、要去即去、要住即住)。
13。身体に破れ衣を一つつけるだけで、腰から下は生まれたままの下着だ(身披一破衲、脚著孃生袴)。
14。多く喋り多く語ることは、元來、お互いに方向を誤るものだ。(多言復多語、由来反相誤)。
15。もしも人々を生死の迷いから救いたければ、まず自分を救うに超したことはない(若欲度衆生、無過且自度)。
16。真の仏をみだりに求めてはならぬ。真の仏は見えないのだ(莫 曼求真仏、真仏不可見)。
17。一人一人に具わる優れた本性と優れた心身とは、改めて薫陶を受けるには及ばぬ(妙性及霊台、何曾受熏錬)。*敦煌本『六祖壇經』惠能「心是菩提樹、身為明鏡台」。「菩提本無樹、明鏡亦無台」。神秀「身是菩提樹、心如明鏡台」。
18。心は結果を求めない心、顔は生まれたままの顔(心是無事心、面是孃生面)。
19。摩り減らすのに一劫を要するとされる岩石を動かすことは可能だが、これには改変がない(劫石可移動、箇中無改変)。
20。結果を求めないものは、もともと結果を求めない。何で文字を読む必要があろうか(無事本無事、何須読文字)。
21。自分を中心とすることを止めれば、これの意義に自ずと適うのだ(削除人我本、冥合箇中意)。
22。さまざまに筋骨を疲れさせるよりも、林のなかでぐっすり眠るに越したことはない(種々労筋骨、不如林下睡兀兀)。
23。眼が醒めて日が高いのを見ては、乞食して出されたものを片っ端からつかむのだ(挙頭見日高、乞飯從頭律)。*つかむ、とる。(手へん)
24。国のために手柄をたてるのだ、手柄をたてるのだ、と次々と愚かなことを繰り返すのを見るが(将功用功、展轉冥蒙)、
25。大切なものを取って自分のものにしようとするから、得られない。取らなければ自ずと通じてくるのだ(取即不得、不取自通)。
26。私には一言、これについて云っておきたいことがある。これは分別を離れ思考の対象にはならないもので、どうしてもうまく云えない、心で伝えるだけだ、と(吾有一言、絶慮亡縁。巧説不得、只用心伝)。
27。これについて、もう一言ある。これは直に提供するに越したことはない。細いと云えば毛の先、大きいと云えばどんな空間にも収まらない、これは本来自ずから完成しており、これから織機と杼とを使って織り上げるものではない(更有一語、無過直与。細如毫末、大無方所、本自円成)。
28。世間のことに悠々としていることのモデルは山や丘だ。松の緑が日の光をさえぎり、渓流の深い青色が長く延びている(世事悠々、不如山丘。青松蔽日、碧澗長流)。
29。山にたなびく雲を幕になぞらえ、夜空の月を幕を吊る鈎と見、藤や蔦葛の下に横たわり、石の塊を枕にして私は、一国の天子に謁見することもせぬ。王侯が何で羨ましかろうか(山雲当幕、夜月為鈎、臥藤羅下、塊石枕頭、不朝天子、豈羨王侯)。
30。生死は問題ではない、何の憂えることがあろうか。水に映る月影に捕らえ所がないように、私は常にただ安らかだ(生死無慮、更復何憂。水月無形、我常只寧)。
31。すべて何かであるものは、皆おなじことだ。元々それ自体、不死の生命として捉えられるものはないのだ。じいっと動かずに坐っているだけだが、春が周って来れば、草がおのずから緑だ(万法皆爾。本自無生。兀然無事坐、春来草自青)。

懶 賛和尚。 神秀(606?〜706)ー普寂(651〜723)ー明 賛(Ming Can)
                   普寂ー道 (せん)ー大安寺行表ー最澄      

『宋高僧傳』巻19(大正大蔵経巻50、834上中、常盤略述)
氏族、生縁不明。嵩山を訪れて、普寂に従って、黙して普寂の心と契(かな)った。そのあと衡岳に閑居した。人々から怠け者の 賛「懶 賛」(Lan Can)と評された。僧の残り物を好んで食べたので「残」(Zan)と呼ばれた、ともいう。誰かが彼を追いたてると、時々何か云うその言葉は仏の理に契っていたが、具体的に何をしていたのかは不明である。
賛は、玄宗の天宝年間の初め(742年)衡岳の山中の寺に来て仕事につき、寺の重要なことはすべてを歴任し、夜は牛の群れの足元に止まり、20年間飽きることがなかった。
後に国の宰相になった、業 公・李泌は、皇帝の寵愛を受けていた崔円と李輔国とに危害を加えられることを避けて衡岳に身を隠した。そして密かに 賛の行動を観察して凡人ではないことを知り、また夜中に梵唄の声が山の谷を通して聞こえて来るのを知って「経を読む音が、初めはすさまじく、後、喜びに溢れている。今は落ちぶれているが、いずれその時がきてここを去って行く人だ」と考えた。李公は人の声を聞いてその人の喜びと憂えとを弁別する人だった。夜中になって密かに李公は 賛に会いに行き、筵を戸の代わりに下げた住まいを望んでその生き方を賛え礼拝した。 賛は罵り、空を仰いで唾して「わしを誹りにきたのか」と云った。李は、ますます丁重に礼拝するだけだった。 賛は牛糞の火を掻き分けて中から芋を取り出して食べた。暫くして「どうぞ筵におすわりください」と云って食べていた芋の半分をとって差し出した。李はひざまずいて芋を捧げ、すべて食べ切ってお礼を云った。 賛は云った「言葉を慎んで行かれるならば十年先に宰相になられよう」と。李は礼拝して去った。滞在すること一月であった。、、、
その前、天宝の末(756)粛宗が即位されたとき、使者をやって李泌を招きよせ、枢務を司らせた、その権限は宰相を超えていた。しかし崔円と李輔国が泌の才能を妬み妨げたので、李泌は危険を感じて粛宗の許可を乞うて衡岳に入り、米穀を断って数年後、上記のように 賛に出会ったのである。その後、李は遂に宰相の位に就いて、 賛に豫言された通りになった。 賛は勅によって大明禅師と謚り名された。塔が衡岳にあるといわれる。
『碧巖録』第34則頌への圜悟の評唱に、懶 賛和尚が皇帝の使者と応対したという話しが載せられている。日本に伝わる只一つの刊本(元の成宗の大徳4年、1300年)に由来する4写本のうち2本は唐の粛宗(在位756〜762)のときとし、他の2本は唐の徳宗(在位779〜804)のときとする。白隠の提唱の記録『碧巖録祕抄』、入矢義高訳註(岩波文庫。以下に紹介)は粛宗をとるが、大正大蔵経巻48、山田無文提唱、などは徳宗をとる。

懶 賛和尚、衡山の石室の中に隱居す。唐の粛宗、其の名を聞き、使いを遣わして之を召す。使者其の室に至って宣言す、「天子詔有り、尊者まさに起って恩を謝すべし」。 賛方に牛糞の火を撥(かきた)てて、やき芋を尋りて食すに、寒涕、頤に垂れて、未だ嘗て答えず。使者笑って曰く、「且(しばらく)は勧む、尊者涕を拭え」。 賛曰く、「我豈に俗人の為に涕を拭う工夫(ひま)有らん」と。竟に起たず。使回って奏す。粛宗甚だ之を欽嘆す。
圜悟は『宋高僧傳』巻19の、上に紹介した記録を元に、『景徳傳燈録』に伝えられる懶 賛和尚自身の歌を参考にして、李泌を皇帝の使者と入れ替えてこの話しを作ったものと考えられる。徳宗をとる写本のばあいは、『宋高僧傳』の話しとの食い違いを避けることを念頭において、焼芋の話しが李泌の時と皇帝の使者の時との二回となり、却って作為がですぎている観がある。しかし、いずれにしても、これは作り話と考えられ、 賛と李泌との真剣な出会いの様子は取り払われている。

白隠註
懶 賛和尚歌曰わく、「劫石可移動、箇中無改変」。又曰く、「山雲当幕、夜月為鈎、臥藤羅下、塊石枕頭」。傳燈録に見ゆ。
『寒山詩』に云う「寒山に住み着いてから幾万年、悠々観自在」とはどういうことかを、白隠の註に従って、禅者の歌を通して理解して見たつもりである。               以上。